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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑬ パンツの中に咲く花

「怒れない私」を克服するために、SMバーでM男さんに鞭を振ってみる挑戦。2軒目「Mistress bar Guernica(ミストレス バー ゲルニカ)」の続き。ゲルニカ編の始まりは以下のリンクで。

鞭の宅トレ、エース級女王様の場合

「はい、どうぞ」
ユリカ様から、なまめかしく黒光りする一本鞭を手渡された。

やっぱり一本鞭はかっこいい。革紐を細かく編んである鞭の先端は、10cmぐらいだけ結び目が解かれていて、蛇の舌のようにちろちろと2、3方向に割れている。柄を軽く上下に振ると、よくしなり、その動きにはバラ鞭とは違う色気とストイックさがあった。

「基本はバラ鞭と一緒です」
構えの姿勢をとってみると、自分が少し強くなったような気がした。それでも最初は力加減がわからないので、そっと軽めに振り下ろす。

ふわっ。べしっ。
かろうじてお尻には当たったが、穂先はふんにゃりして生気がない。

もっとびしっと的確に当てたい。
プロの女王様たちはどのような練習をしているのだろうか。やっぱり美容師さんのカットの練習のように、お店が終わってから居残りで鞭や縄をふるっているのだろか。

蜜さんに聞いてみると、
「私の尊敬しているSの方は、自宅に鞭を持って帰って、部屋の明かりのスイッチのオンオフを鞭で操作できるように練習していたみたいですよ」
と、スターの下積み時代を語るような眼をした。
私は、都内のマンションで使い魔のように暴れる一本鞭と、パジャマ姿にヘアターバンの女王様を想像した。オフタイムさえも技術向上につぎ込む、なんというプロ意識だろうか。ちなみに、鞭点灯の技術は体得できたらしい。

そんなに遠慮しなくていいのに

意識を集中して、お尻の的当て練習に戻る。
オーナーやS嬢のみなさんは、相変わらず優しい。しかし、オーナーがある台詞を発する度に、私の心はちくちくと棘が刺さったように疼いていた。

それは
「まだ、遠慮がありますね」
の一言だった。

ミルキーウェイでも、吉村氏にも同じことを何度も言われた。
意図としては、「M男が痛くならないように手加減して、あなたは優しい。しかし、もっと力いっぱい打っていいですよ」という応援の意味あいだったと思う。
しかし、日ごろから人間関係に自信のない私にとっては、「お前はヒトを信頼しておらず、距離をとっている」というように誤訳されてしまったのだ。

「そんなに遠慮しなくていいのに」

社会人になってからだろうか。私はこの台詞をことあるごとに人から投げかけられていたような気がする。

26、7歳で広告系企業の契約社員だったころ、大きな仕事を抱えすぎて精神を病み、電車に飛び込みそうになった。そのあと持ち直して会社自体は円満退職したのだが、当時を振り返って、連携していた印刷会社やシステム会社の担当者さんは口をそろえてこう言ったのだ。
「私たちにはサポートする準備があったのに、もっと頼ってほしかった」

フリーライターとして独立し、プレスツアーで沖縄本島に行った10年ほど前。マングローブの森で、橋げたから地面に飛び降りなければならない箇所があり、ガイドの男性がツアー客を抱えて運んでくれるというサービスがあった。
他のお客さんはキャーキャー言いながら、ガイドさんに身体を預けていた。私は最後だったが、皆に倣ってそつなくこなしたつもりだった。しかし、私を放した後で、ガイドさんにちょっぴり寂し気にこぼしたのだ。
「なんだ・・・。もうちょっと僕を信頼して、体重を預けてくれてよかったのに」

私は申し訳なく思った。
自分には、こうやって人を寂しくさせてしまう何かがあるのかもしれない。
他人に対して、気さくにフレンドリーにふるまいながら、心のどこかで冷静に一線を引いている。
それを人は「遠慮がある」と表現するのかもしれない。

きっと星の巡りが悪かっただけだ、誰も悪くない

そうなってしまった理由は、知っている。
私は遠慮なく誰かに飛び込めた経験がないからだ。遠い昔にあったのかもしれない。もしくは誰かは受け止めてくれようとしたのかもしれない。だが、残念ながら実感値として、今の私にはない。

幼少期、父と母のことは大好きだった。
しかし、たとえば母からは「テレビのチャンネルをうまく変えられない」という謎の理由で、おもちゃの魔法ステッキが壊れるまで殴られ続け、その直後に「ごめんね、あなたが大事だからこんなことをするのよ。だからぶってるママのほうが辛いのよ」と抱きしめられ、泣かれた。

多くの子どもにとって、親から抱きしめられることは喜びなんじゃないかと想像する。でも私にとって抱きしめられるということは、喜びと同等かそれ以上に恐怖だった。だってその次に来るのが、愛撫か暴力かわからないから。

「なんだ、喜んでも損じゃん。どうせすぐ悲しくなるんだし」

小学2、3年生ごろから、私は心の省エネをするために親の胸に飛び込むことを止め、ついでに喜ぶことも止めた。当時、この選択が正しかったかどうかは分からなかったが、高校1年のときにそれが確信となった。

はじめてできたカレシと別れて、夕方の薄暗い家で一人号泣していたとき、母が帰ってきたのだ。
「あんたどうして泣いてるの?」
このときばかりは、母にすがりたかった。だってオトナの女性ということは、恋愛の先輩でもあるだろうから。
だが、母に泣いている理由を説明した直後、私の身体がソファに倒れこんだ。え、何が起きたの? 一瞬理解できなかった。

母が私を力いっぱい殴ったのだった。
「そんな男のことで泣くなんて! みっともない!!」
私は一瞬でも母に慰めてもらおうとした自分を恥じ、呪った。
こいつぶっ殺してやる。恐ろしい考えが浮かんだ。イメージの中で私の身体はオオカミに変貌し、母の喉笛に嚙みついていた。

母は母で、私にそんな反応をせざるを得ないような、トラウマが何かあったのかもしれない。しかし、このときから本格的に母に精神的に頼ることを止めた。
30歳を過ぎてから、虐待があったことの辛さを他の家族や身近な相手にぶちまけたこともあるが、なぜか華麗にスルーされた。ここ数年、聞いてくれた人も何人か現れたが、私はまだ期待を裏切られることに怯えている。

こんな風に書くと、まるで「やってもらえてなかった」尽くしのくれくれお化けだが、もちろん人生の中で人からしてもらったことは山ほどあるし、そちらの方が断然大きい。逆に「この人の役に立ちたい」と思ったこともたくさんある。
だが、「人生でいちばん頼りたかった部分」を委ねた経験がすこーんと抜けているのだ。ダーツは高得点なんだけど、ど真ん中のbullには一回も入ったことのない人のような?
だから、もうbullに入れようと思って外すのが辛い。精神が持たない。だから力加減をして最初から別の得点枠に入れようとする。

私を全部丸ごと受け止めてくれる人を、私は知らない。
そんなものは幻想かわがままで、多くの人は受け止めてくれる人を分散させながらうまくコントロールして生きているのかもしれない。それこそが社会的動物で、その方法を見つけることがオトナになるってことなのかもしれない。

しかし、感情が納得してくれない。
私は、全体重を預けて寄りかかれる相手が欲しかった。
でも誰かに身をゆだねたつもりが、「そんなつもりじゃなかった」とひらりと身を交わされるかもしれないと想像すると、目の前が真っ暗になる。

だから相手に体重がかかりきらないように、調整するのだ。「そんなつもりじゃなかった」と言われたときに、「だよね、私もそんなつもりじゃなかった」と笑えるように。

私のとっての「遠慮」とはそういうものである。

マグマ噴出

それを・・・ううっ・・・
どいつもこいつも口を開けば「遠慮はいらない」とか言いやがって。けっ、責任を取ることのない偽善者どもめ。こっちが30年間以上、どんな想いで人との距離感を図ってきたか、知ってんのかコラ。

完全に、理不尽な怒りである。しかし、腹の奥底からマグマがあふれ出てくるようなエネルギーに、私はあっという間に吞み込まれた。

「そうだよ!! こっちは遠慮してんだよ!!!!」

ビシィィィィッツ!!!!

自分でも引いてしまうほど強烈な音が鳴って、鞭がオーナーのお尻に当たっていた。私は無意識に鞭を振り下ろしていたのだ。それも力いっぱい。基本の構えなどふっ飛んでいた。
それまでとは段違いの異形の音だった。私は一瞬にして元の気弱な人間に戻り「わぁっ、すみませんすみません。なんかスイッチ入っちゃいました」と謝罪した。気は動転していたが、何人かのS嬢様が振り返っていたような記憶がある。

しかし、オーナーは「おぉ」と感嘆の声を漏らした後で、叫んだ。

「すごくいいです!」

そして、やはりその股間は膨らんでいる。

いいんか~~い!?

浄化の大地、M男

しかし一方で、感動が止まらなかった。
こ・・・これが、本気の鞭。
オーナー、いや、ヤンさんは、私のこの身勝手な怒りを全身で受け止めてくれているのだ。

股間が大きくなっていることも、私にとっては救いだった。なぜならば、ここが屹立しているうちは少なくとも快感であろうと想像できるからだ。私のように気の小さい臨時S嬢にとって、このシグナルは信号でいう青。「安心してなぶっていいですよ」のサインなのだ。

虐待の経験からくる感情は、私にとって毒の水のように誰かを蝕んでしまうという恐怖を伴っている。しかし、SMを通じてその怒りを人にぶつけたとき、たとえば「乾いてひび割れた地面に、毒の水を撒いてしまった」と焦っていたら、そこに美しい花が咲いてくれたのだ。ただしその花は、パンツの中でしか咲かない花だけど。そんな浄化の大地こそがM男さんなのだ。

SMとは、肉体の掛け合いによる精神の旅なのかもしれない。

はじめは母を想定したMの女性を虐げてみたいと思っていたが、多分それはムリだと思い直した。彼女たちの身体は脆いし、わかりやすいサインもない。だからこそ、何をしてもびくともしなそうな屈強なM男さんの身体は、ありがたい存在だ。

気が付けば、私はヤンさんに馬乗りになり、パドルでお尻を叩き、鞭の穂先を股の間に巻き付けては
「じゃあもう我慢しないからね! ほら乳首はどこなんですか!!!」
と平手で腰を叩いていた。
ヤンさんは胴回りも太いので、うつ伏せの乳首には手がなかなか届かない。
手探りの指先に、ヤンさは「ううっ」と声を漏らす。快感のようだった。それがまた尺に触る。
「こっちは一生懸命探してるんだよ!!」
間髪入れずにパドルを打ち付けた。

しばらく暴れ太鼓のようにヤンさんを叩いていると、怒りの炎が鎮火し、また集中力もなくなってきた。鞭のコントロールが散漫になってきたのだ。
鞭を打ち続けることは筋肉疲労もあるし、体力も使う。

もう充分だろう。私はヤンさんに心からの感謝を伝えると一礼した。
全力で戦った、いい試合のようだった。

横で眺めていた蜜さんが、パチパチと手を叩き、優しい目で講評した。
「ヨシノさん、本当に女王様になれると思いますよ。お世辞じゃなくて」
「え? うれしいけど、どうしてですか?」
「飴と鞭の基本がとてもよくできているんです。鞭のタイミングもセンスがすごくいい。あと、本当に楽しそうだったので」
そうか、前に「Sの人が楽しそうにしているのが、Mの人の喜びであることが多い」って言ってたっけ。初来店の者に対するリップサービスなのかもしれないが、蜜さんは本心から言ってくれているように見えた。

あと2、3日で、私は東京を離れる。
この経験を無駄にしたくない。しかし島に帰って鞭の練習をするということは、当たり前だが自宅に鞭が必要だということだ。

私はユリカ様に、初心者が手軽に買える鞭はありますか?と尋ねた。
「痛くなくていいが、打った感のある派手な音がなる鞭がいい」と希望を伝えると、ユリカ様はある鞭職人さんのTwitterアカウントを教えてくれた。

いつかまた、東京に来たときにその職人さんの店でも訪れてみよう・・・。と、思い出半分で愛媛の島に戻ったのだが、しばらくしてふとその職人さんのTwitterプロフィールを見て驚愕した。

拠点の場所が、広島県尾道市と書いてある。
ウチから車で30分もあれば行ける距離だった。

(続く)

カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!