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SMよ、人生をひっくり返してくれ⑪ 女王様の鞭コレクション

名入れ鞭の価値

「鞭、いろいろあるんで、気に入ったのがあったら使ってみてくださいね~」
小柄で栗色のワンレンボブが印象的なユリカ様は、はきはきとわかりやすく話す。手慣れた幼稚園の先生のようだった。まるで「はーい、おもちゃはいっぱいあるから、好きなので遊んでね」とでも園児に号令をかけるような。
でも、きつめのメイクと、大きな胸を強調した大胆なカットのラバーボンテ―ジが、すごい威圧感・・・。やさしいのか怖いのかよくわからない。このミステリアスさが、Mの人たちを翻弄するのだろうか。

ユリカ様は壁にかかったたくさんの鞭コレクションから、無造作に何本も抜き取って、テーブルの上に並べてくれた。
先が馬の尻尾のようにバラけたいわゆる「バラ鞭」や、一匹の蛇のようにしなる「一本鞭」、私がミルキーウェイで使った「パドル」の他にも、見たことのない形状の鞭がたくさんあった。

「ええと、これは?」
パドルの打撃面に「ユリカ」と名前が入っているものがあった。
身体に当たる部分、黒革の美しい表面に太い糸のようなもので名前が大きく刺繍されている。表面に指をすべらせてみると、かなりボコボコと凹凸がある。これが皮膚に当たって、赤くなるということは・・・
「もしかして、受け手の身体に女王様の名前が刻まれるってことですか?」
ユリカ様は楽しそうに、ふふんと鼻を鳴らした。
「うん、上手くいけばね」

Sの痕跡を己の身体に刻みこむ。これは、Mの方にとっては記念品のようなありがたみを持つらしい。
先日ミルキーウェイで吉村氏も言っていた。お仕置きでつけられた痣や手形を後日眺めては、めくるめくプレイの余韻を楽しむのだそうだ。だから跡がつくほど思い切り叩かれるときは背中やお尻ではなく、胸元や太ももの前側、腕など、「目で見て鑑賞できる部位」だとありがたいらしい。ビンタなどでせっかくきれいな手形を付けてもらっても、後日鑑賞できなければちょっと損した気持ちになるみたい。

ちなみにここゲルニカでは、プレイの締めに肩口を思い切り噛んで、歯形をつけてもらっているM男さんもいた。薄暗い中で鎖でつながれた男性、その首筋に顔をうずめる女王様は、吸血鬼のようで淫靡だった。

しばらくして女王様が顔を上げると、そこには綺麗に円を描いた歯形が。女王様はその形を検品するように眺めて、満足そうに目を細めた。
「あー、きれい。矯正した甲斐があったわ」
なんとこのために歯列矯正をしたということらしい。

M男さんは20代のフレッシュな社会人という風貌。残業で疲れた身体でシャワーを浴びるそのとき、鏡に映った首筋の歯形で自分の居場所を確認するのだろうか。その気持ちにまだ100%の共感はできないが、離れていても愛しい女主人の存在を身に宿すことができるとしたら、それは幸せなことなのかもしれない。

巣鴨の肩たたき器さえも

そういえば、後日ユリカ様の名入れパドルをネットで検索したところ、ある鞭のオーダーメイド店では、似たような品が1本8万円もした。

一方で、お手頃そうな価格帯のものもある。
ミルキーウェイにあった細い竹の束のような鞭は、Aちゃんが「肩こりにも効きそうですねー」と自分の肩にトントン当てていたところ、スタッフのヒデさんが「まさに元はそういう商品だったんです。巣鴨で買ってきたんですよ」と愉快そうに教えてくれた。Amazonで調べたら「肩こりシナイ(竹刀)」という商品がよく似ている。売り切れで値段は書いていなかったけど、せいぜい2000~3000円といったところだろう。
ジャッ、ジャッと派手な音は鳴るがそこまで痛くはないため、はじめての人に勧めるらしい。この業界、快楽を得るためには何でも使うのか。

しかし、「こっちは痛いですよ」と渡された同じような鞭は、試しに腕に振り下ろしてみると、うっ・・・骨に響くような鈍い痛みがある。
「中心に太い鉄心が入っているんです。ここに当たると痛いので、気を付けてくださいね」
と笑みを浮かべるヒデさん。
竹をかき分けると、銀色に光る直径3ミリほどの固い棒が入っていた。これお店の人がアレンジしたものなのだろうか。魔改造された日用品がこのお店にどれだけあるのか、興味はあったが怖くて聞くことができなかった。

いちばん痛いのはクジラの髭

鞭の世界、なんて奥深いのだろう。
情報量のすごさに脳内のコンピューター処理が追いついたところで、やっと我に返った。隣では女王様としては新人の蜜さんも、興味深そうに数々の鞭を眺めている。
そして
「これがいちばん痛いそうなんですよ」
と、一本の鞭を見せてくれた。

見た目はとても華奢で短い。黒い木のような柄の先に、細くて平たい30cm程度の棒が1本伸びていた。目を凝らすと、べっ甲のような色合いで力を入れるとよくしなる。
もはやテイスティングのように、自分の右腕に鞭を打ち付ける流れが習慣化してしまった私は、ひとまず自分の腕で試してみる。
「はうっ!」
思わず腕を引っ込めたくなるような厳い痛みが、皮膚を走り抜けた。なのに音は小さく地味めだ。「フリ」じゃなく本当に痛い、こんなにサディスティックな鞭もあったのか。
「クジラの髭、だそうですよ」
と蜜さん。
え、海を泳いでいるあのクジラ? クジラの髭といえば、大きな口に入ったプランクトンを濾しとるブラシのようなイメージがあったのだが・・・。もしかして生き物など関係なく「クジラが髭を振るわせるほど痛い」等、暗喩のようなものだろうか。

調べてみると、やはり正真正銘、哺乳類のクジラで作られているようだった。
和歌山県にある「太地町立くじらの博物館」デジタルミュージアムによると、クジラの髭はヒトの爪と同じ「ケラチン」と呼ばれるたんぱく質が主成分で、三角形の細長い爪の先に毛が生えたような形状をしている。

しかもその髭は、日本でも昔からかんざしや釣り竿、ペーパーナイフなどに加工されていて、現在も北海道、宮城県、大阪府、長崎県などで生産があるそうだ。

蒸気で蒸したクジラのヒゲは柔らかくなり、型に圧力をかけることで様々な形に加工することができます。その独特の弾力や手あかで汚れにくいという機能性の高さとべっ甲にも似た気品を感じさせる美しさをあわせ持っていました。

くじらの博物館デジタルミュージアム」より

さすがに鞭は載っていなかったけど、性に奔放な江戸時代ならオトナの伝統工芸として使われていたりして。

「鞭にはそれぞれ作家さんがいて、自分でオーダーしたりもします。『超鞭会』(ちょうむちかい)っていう鞭のコミケもあるんですよ」
と、ユリカ様が教えてくれた。超鞭会は、自作の鞭をたずさえた作家さんが集結し、気に入った鞭を買うことができるのだそう。

女王様にとって鞭は商売道具。
自分が目指すお仕置きのスタイルや扱いやすさなどによって、こだわりもあるだろう。それは、カメラマンが機材をそろえたり、猟師が鉄砲にこだわるのと同じかもしれない。

お尻貸して

ああ、私も鞭を振るってみたい。
ミルキーウェイでの覚醒から数日しか経っていないというのに、個性豊かな鞭を見ていたら手首がうずうすしていた。

「実は、鞭のやり方を教われると聞いて来たんですけど、私でもできるのでしょうか?」
蜜さんとユリカ様の顔を交互に見上げながら聞いてみると、ユリカ様は「だいじょーぶです」と余裕たっぷりに頷いた。
「じゃあ、オーナーに協力してもらいましょう」
と、先ほどモンブランをくれたスーツ姿の男性に声をかける。
「ねぇ、ヤンさん。お尻貸~して♡」

え、お尻って貸したり貸されたりするものなの?

言葉の意味が飲み込めず、頭がくらくらしていると
「お待たせしました」
まさに経営者という落ち着きのあるどっしりした声がして、そちらを向くと、ヤンさん(仮名)と呼ばれたオーナーが堂々と立っていた。

黒いTバッグ一丁で。
その面積の小さすぎる布は、プロレスラーのように立派なお尻に、ちょっぴり食い込んでいた。

(続く)


カラス雑誌「CROW'S」の制作費や、虐待サバイバーさんに取材しにいくための交通費として、ありがたく使わせていただきます!!