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4月8日灌仏会(かんぶつえ)【誕生を祝う仏教行事】

釈尊(お釈迦様)の誕生日である4月8日、その日に開催の灌仏会(かんぶつえ)

自分がお釈迦様の教えが素晴らしいよりも、出会いによって興味を持つきっかけを持たせて頂いたというのがあります。

お一人は相模湖にある佛光寺(日蓮宗)
住職は相模原にある大きな建設会社の社長を務めながら僧侶への修行を積み、60歳で退いてから佛光寺を建立。そこに行き着くまでには30代でお金に人間関係にいろいろ悩み、たまたま経営者の会で出会った方の紹介で仏の修行をする様になって以降、社長業と修行の毎日を過ごしている中で、精神が鍛えられた。揺るぎないマインドを持つ事が出来たと。そして、お墓にかかる費用が高額で、墓を建てられない人の為に樹木葬や経済的な理由のため遺骨を持ちながら埋葬できない人。自分と家族の墓地を確保できない人などに低価格で提供出来る様にという想いを基に活動されています。

宗派にこだわりがある訳ではなく、何でも良かった。苦しい状況を何とかしたいと思ってたまたまの出会いがきっかけだった。そんな生々しく経験を通して得られたものだからこそ、〇〇学や〇〇の教え以上に心に響く事が多く、尚且つまだ自分も20代で駆け出しの頃だったのでその人の歴史、生き様で今に至るのを教えていただきました。

二人目は釈先生

今回の釈尊生誕についても釈先生のメルマガがきっかけで知ったのですが

釈先生との出会いから今に至る中、なかなか直接的に結び付きにくい心の教え、仏教と人生、仕事、生活にどう活きるのか?信仰心が強い人だけ、スピリチュアルに興味ある人だけというのが昔の自分の考えで、それを知ったからといってどうなのかな?というスタート地点。それは多くの人が同じ思いを持つところなのかなと思いますが、

良かったのは、仏教だけではなくいろんな角度で興味をもって、どこの角度から興味を持ったとしてもかかわりがありつながっていって、そこで仏教に興味を持つ。そんな所が入り口になるんじゃないかと最近思います。最初から釈尊が素晴らしい!という人がいる訳ではなく、歴史に興味を持ったり、心の苦しみ、病をきっかけに生き方を見直したり、普段の日常で出会う面白さ、大変さ両方ある中で行き着くところの1つに生き方の指針を求めたいのではないかと。

自分自身を振り返っても、大学2年生の2回目の時、、
大学を辞めるかどうするか?を考えて、とりあえず卒業だけはしておけと親から言われた為に、、であれば早く社会に出て実践力を身につけよう!というところから、留年しちゃったから普通の就職活動はできないかな~という事で、とにかく成長成長!で自分の実力がガンガンつく世界が当時メディアでたくさんITベンチャーや起業家が取り上げられていた訳であります。

留年で親にお金は頼れない、つまらない法学部の授業にこれから3年も出続けるのも嫌だ、ならば普通の大学を出て就職をしてというのを捨ててまずは自分の興味のある分野か興味のある人に会って、そして実力をどんどんつけていこうと思って、ガリガリ読み漁っていたビジネス書の中で、稲盛本「哲学」を見て、稲盛さんに会いに行こう!と決めて直接お会いし話を聞いた場所がたまたま起業塾でして、そこで学生スタッフとしてお誘い頂き、卒業まで働くのでした。当時まだビッダーズ(現DeNA)の南場さん、グッドウィル折口さん、飲み会に来てくれたアレンマイナー、そして夢おじさん

と出会いによって、自分が創られていくのを感じますが、その出会いの元になるきっかけは、ちょっとした想いと行動だなと。意図して近づきたい、お客さんになってほしい、仕事仲間になってほしいというのが実際の所殆ど無くて、その都度その都度出会うきっかけがあり、大切なのはその後の関係が続くための努力ではないかと。

ちなみに、その時共に過ごした学生スタッフさんが今回港区選挙に立候補されておりますのでよろしくお願いします。

釈先生も5年以上になりますが、仏教の教えというのは実際は今までは少なくて殆どが歴史、そして自殺について。

歴史を学ぼうかなと思って行くと、生々しい自殺の話に強烈に心を打たれ、自然と興味を持ちながら参加し続けた結果、仏教にたどり着くという不思議な感じであります。

それも、ご自身の体験談を基のお話で

釈先生も当時40歳前後の頃、

自殺寸前までいった自身の体験から知人や信者7人が相次いで自殺し、名をかたった詐欺で多くの人が被害を受け、さらに生命保険を解約した日にがんの宣告を受けるなどの不運が重なり、自ら命を絶とうとした時、首吊りから引き戻したのは、偶然帰宅した娘の声。

以来、閉ざされた孤独な人たちへの声掛けを続けていらっしゃいます。自殺すると言って死んだ人は少なく、自殺者は自分の殻に閉じこもる人に多い。自分を卑下するあまり、周りから断絶してしまう。

釈迦の悟りの境地は「今を生きる」。世は無常なのだから、取り返せない過去にも、分からない未来にも縛られず、今を誠実に生きる。今に集中していれば、魔が差すことはない。

乗り越えただけではなく、乗り越えたからこそ語れる内容なんだと思います。
釈先生の講和会では、
歴史的な経緯を基に、これからの時代に求められる人物像、考え方

※大局の視点から見て、大いなる目標を持つ

つまり、入り口は古代史や歴史から入って仏教が途中に来て、生き方につながる!と。

そう考えると、入り口になるきっかけは幅広く、大きく持つことが求められているのではないか。それは釈先生も経営者の時期もあり、僧侶の時期もあり、学校の先生の時期もあり、世界各地に旅をされ自分の目で見てというのをずっとされているからこそ広く大きくどんなテーマでも大丈夫という状況になるのかなと思います。きっとそんな人に対しての興味を持つところも大きいなと思い、もし順風満帆な僧侶さんだったらそこまで興味を持たなかったかもしれない。その人の苦しい体験、乗り越えた経験、

同じく
大阿闍梨さんの酒井雄哉氏を見てても特攻隊→事業を展開し失敗→結婚してすぐに奥様が自殺→廃人の様な生活から千日回峰行に突入する
というこちらも壮絶すぎる経験をされているのですが

身近な人の死を経験する事、乗り越えれない様な深い悩み、なかなか他人と共有する事も出来ず
解決策がある訳ではない経験をする事によって、果たして今後残された自分の人生をどうすべきか?逝かれてしまった方に対しての供養などを
考えて決める事が死生観を持つきっかけとなり、今を生きる事にものすごく集中して普通では考えられない様な偉業を達成されたのではないかと。

小野田さんも晩年、毎年靖国で講演されていた時に
生きる道を見つけたら何とかなるんだなと感じたところで

50過ぎてブラジル渡って借金しながら異国の地を開拓。目的があれば大丈夫と。

小さいころから自分でできそうだなと思ったことをやってたのがよかったと。
博打も大好きだったよと。中国でもいっぱいやっよと。笑顔で仰るのが意外で、何か人間味を感じる所で
環境ととのえてあげれば、自然と子供も目的持てるんじゃないかと自然塾も開講し(多分70代とか80代の頃)
(もちろん、外に言えない人をあやめてしまった事、帰国したら環境が激変してて心病んだ事などなど)
人一倍苦労が多いと思うのですが、そんな人間味を知ったり感じたりする事が
自分自身の元気になる基、モチベーションの源になっているというのを感じます。

同じ様な境遇を経ても横井さんは敵前逃亡で、帰国後の寄付金、選挙立候補の生き方を評価する戦前の人はほとんどいなかった感じです。

他にも池田の蔦監督の話も、俺は特高崩れで、高校野球でエラーして甲子園出れなく
昔の日ハムを1年で退部して、アル中生活してた時にたまたま池田に拾われたと。

だいたいがめちゃくちゃな人生を経験されてきてる中で
厳しい環境、周りから不幸と思われる様な状況を与えられたおかげで
今があると。
そんなめちゃくちゃな状況がある時に人は創られるきっかけが多いのではないか。

自分が酒井氏、小野田さん、蔦監督と今は亡き方で生前お会いできただけでもありがたいですが
出会えたのは自分もめちゃくちゃな状況になった時に、思い出して頑張れるきっかけになるから
自分の様なハートの弱い人間にはそんな方々との出会いが将来を創るきっかけだったと今思います。

そして、釈先生の人生を見ていると
ご自身がこの道にすすむきっかけについては
学生時代に日本史や国語の先生が興味深く話をして頂きそれがきっかけで 興味を持つきっかけが出来た。
好きになると熱中する。詳しくなるが その後、海外に行く機会が増える中で 学んだ日本史が全然違うという事が分かっていった。

そして今、仰られるのは

「本来の仏教の姿を見つめ、問い直し本来の姿を基に活動を行う」
お釈迦様は説法をして歩き回っていたという事。 それを35歳から80歳で亡くなるまでの間、ずっと続けてこられ 現在の釈先生の活動が講和会が中心になっているのも お釈迦様が説いた本来の仏教の姿、つまり仏教の主たるものは人を生かす!
しかし、今は亡くなった方の供養がメインとなってしまっている。 それよりも生きていること、生き続けていることの大切さ 生きるという事は苦しい、それをお釈迦様は発見したが 苦しい悲しいがあっても必ずそこには意味があると。

「人間の心の中から全て苦しみが生まれる」

心の境地を仏道と捉え四諦という言葉で
苦諦:苦という真理(このなかに生きる悩み、老いる悩み、病気の悩み、死ぬ悩み)
集諦:苦の原因という真理
滅諦:苦の滅という真理
道諦:苦の滅を実現する道という真理
という事で4つの苦しみがさらに細分化して四苦八苦という言葉が生まれた。

お釈迦様は上記の様な悩み、苦しみを心を正して不安を少しでも和らげていく為に正しい言葉、姿勢、反省をする事が大切
そして

「志命があって意味があって生まれてきている」

幸せになる為に私のことを認めてくれる人がいて、私の周りにいる事が大切とお釈迦様が説いている。
同じ目線で見てくれる、認めてくれる人がいる時にカルマというのが浄化され
ブッダになっていく(なお、ブッダは誰という事ではなく誰でもなれるとの事で悟りし者の名前)
その為にも対話説法を重視して行っていたとの事です。つまり、絶対的な権威があって、これでなければいけない!という事ではなく、その人その人に合わせて同じ目線で見ていたという事かなと思います。

また、その志命を見つける為には出会いかもしれない、何かしらの出来事、災難かもしれない
それは人によって様々。ただ、考え方、解釈に少し変化する事で
不幸と思われることが生きる道につながるケースが数多くある。

そんな志命を見つけるきっかけがわからなければ
先に見つけた人に会う、話を聞く
どれが正解か分からないからこそ

今日、明日、今月の出来事が将来を決めるかもしれないから今を生きるの考えが大切

なお、釈尊の話に戻すと

釈尊は約2600年前にヒマラヤ山脈に近い釈迦様(シャーキャ族)という王族の子として誕生

父はシュッドーダナー王、別名で浄飯王(じょうぼんおう)、母はマーヤー夫人。マーヤー夫人は、その後カピラ城に帰還なされましたが、非常な難産だったため、産後7日目に逝去されました。
釈尊生誕後東西南北にそれぞれ7歩ずつ歩いて、立ち止まり、右手で天を、左手で地を指差し「天上天下唯我独尊」と叫ばれたとされています。
そして、仏教の教えでは入滅後、56億7千万年後の未来に弥勒菩薩が姿を現し多くの衆生を救済するとされています(56億7千万年後とは現在の終末のこと)

7歩進んだと言われるのですが、この7という数字には後にお釈迦様が説法する六道の輪廻から解脱したものであることを意味するとされます。

六道輪廻(りくどうりんね)
六道とは、地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天道という6つの世界

いずれも苦しみを伴う世界であり、人間道は楽しいこともあるが、つらいことも多くあるという世界

地獄道や餓鬼道などは、人間道よりも辛いことばかりの世界ですが、私達人間ほとんどはみなこの6つの世界のどれかを行き来しているとされます。人として生まれても、そこで良くないことを続ければ地獄に落ちるなど、常にこの6つの世界で転生を繰り返すこと、これを輪廻と言いこの六道を超越した仏の世界、悟りの境地にたどり着く(=解脱)、お釈迦様は生まれたときにこの”6″道を超える”7″歩を歩んだとされるのです。

六道以外でも、四苦があり、八苦があるので、苦しくて当たり前。
でも、自分の人生を諦めずに進みなさい。

この、苦悩から、少しでも解放される為に、家族や友人仲間恋人、自分の周りにいる人たちを
大切にし、協力して生きていくことが大切。

そして、どんなに苦しいことが起きたとしても、それは因縁である。
必ず、原因があり、結果が起こるのだから、起きた現状を受け止めて、進んでいく。

その言葉は釈先生がよく仰る原因と結果の話になります。