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【Voicy】大正12年、関東大震災に学ぶ #私の防災(2021.9.1放送)

こんにちは、吉塚康一です。私は会社経営の傍ら近代史を研究し、「百年ニュース、毎日が100周年」という放送をお送りしています。本日はVoicy編集部が募集していた「私の防災 」というテーマで放送を収録してみたいと思います。タイトルは「大正12年、関東大震災に学ぶ」です。よろしければ最後までお付き合いをお願いします。

本日9月1日は防災の日になります。なぜ9月1日が防災の日なのかと言えば、それは関東大震災が発生した日だからです。関東大震災、これは今から98年前、1923(大正12)年9月1日土曜日の午前11時58分に、相模湾北西部を震源に発生した、マグニチュード7.9の巨大地震です。関東大震災について1年に1度思い出し、防災の意識を取り戻そう、これが防災の日、ということになります。

なぜ関東大震災なのか、と言えば、それは日本における自然災害の歴史上、最悪の被害が出たからです。死者・行方不明者は10万5,385人。東日本大震災の死者・行方不明者は約1万9,000人。阪神淡路大震災では6,500人ですので、その被害の大きさがわかります。なお1945(昭和20)年3月10日未明の東京大空襲による死者も関東大震災とほぼ同じ10万人とされています。

関東大震災で最も被害が大きかったのは震源に近い相模湾沿岸、三浦半島、房総半島の先端でした。これらの地域では家屋の前回率が50%を越えました。一方東京ではどうだったでしょうか。当時の東京府は東京市15区、八王子市、あとは郡部からなっており、全人口は405万人でした。うち半数以上の227万人は東京市の15区に住んでいました。半焼・半壊以上の被害は東京市で65%に達しました。

さて地震が発生したのは午前11時58分、東京で感じられた揺れはどのようなものであったでしょうか。最初は緩慢な地面の動きを感じる程度でしたが、次第に大きな揺れになり、最後は立っていられないほどの振動になった、と言われています。揺れは40秒から1分ほど。かなり長い間揺れていたことが分かります。地盤の良し悪しが被害を左右しました。東京市では柔らかい地盤の東東京、いわゆる下町で倒壊する建物が出た一方、地盤の強固な山の手では家屋の全壊率は2%ほどにとどまったと言われます。市街地のほとんどが埋立地である横浜の被害はさらに大きなものでした。

ところで、関東大震災の死者10万5,385人のうち、なんと87%にあたる9万1,781人は、倒壊などの地震の揺れによる直接的な原因ではなく、地震直後に発生した火災に巻き込まれて亡くなりました。地震発生時刻の午前11時58分というのは、ちょうど昼食の用意をする時間帯で、大正時代のことですので、かまどや七輪の火が火災の元になりました。下町は木材の小さな家屋が密集していたので、瞬く間に火が拡がりました。しかも地震による断水で消防機能が失われ消火作業が出来ませんでした。東京市内だけに限ると犠牲者5万8,420人のうち5万2,178人は火災による焼死者になります。89%に上ります。

その焼死者のなかでも特に被害が集中していたのは東京市本所区横網町よこあみちょう現在の墨田区横網町にありました旧陸軍被服本廠跡ひふくほんしょうあとになります。およそ6万6,000平方メートルの開けた場所に約4万人の避難民が家財道具を持って集まっていたところを火災旋風が襲い、短時間で3万8,000人が焼死しました。現在はここは横網町公園となり、東京都慰霊堂が建てられています。

さて関東大震災から本日で98年が経ちました。東京にも地震は必ず再びやって来ます。来るか来ないかではなく、いつ来るか、という話です。政府が最新の科学的知見に基づいて検討した被害想定があります。2017(平成25)年に発表されたものですが、そちらによれば、都心南部直下にマグニチュード7.3の地震が発生した際のシミュレーションとして、揺れによる全壊家屋は17万5,000棟、建物倒壊による死者は最大で1万1,000人。続く火災による焼失家屋は41万2,000棟。火災による死者は1万6,000人、とされています。すなわち揺れと火災の合計で、約61万棟が失われ、最大で2万3,000人が死亡する、というものです。

またこの想定で注目すべきはインフラ面の被害ですが、地震の直後は約5割の地域で停電が発生、断水も約5割の地域とされています。1割は下水道の使用も出来ません。電話は固定・携帯とも9割で規制されます。そして1週間は不安定な状況が続く、とされています。今日9月1日は防災の日なのですが、今日から1週間は防災週間ともされています。やはり震災直後の1週間は極めて不正常な状態が続く、ということも頭に入れておく必要があります。電気も水もなく、通信もままならない、道路や電車などの交通などは言わずもがなで不通になります。地震直後の揺れと火災を生き残ったとしても、続きそのような1週間をどのようにサバイブするか。これが大問題です。地震は必ずやって来ます。何の準備もなくこの1週間を迎えるのか、それともある程度準備をして迎えるのか。私は、会社においても家庭においても、ある程度準備をしてこの1週間を迎えたいなと思っています。皆さんは如何でしょうか。

ということで、本日は「私の防災 大正12年、関東大震災に学ぶ 」というタイトルでお送りいたしました。もし宜しければ是非フォローをお願い致します。以上「100年ニュース」「毎日が100周年」吉塚康一でした。ご機嫌よう。


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