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コンプレックスは良いものだ

最近よく
お金がない、ブサイクで嫌だ、背が低い、時間がない、親が嫌い、仕事が嫌だ、田舎が嫌だ、

いろんなマイナスな言葉が飛び交っている。
高校時代よりも増えた気がする。
私が高校生って、まだ2、3年前なんだけど
友達と話すのも、面白い話も多いが、悩みや愚痴ばかりになっている。

それを聞いた時、なんとも言えない気持ちになる。
お金がないなら稼げばいい
時間がないなら何かをやめればいい
仕事が嫌なら転職だ

とかね、いろんな身勝手な意見が多い。
お金がないってすごく辛いことだ。吉崎も母子家庭で生活保護で生活していた。
友達は母子家庭で親は彼氏に貢ぎ、バイトはすぐ辞める、弟はわがままで親もそれの味方。
家族の生活費、学費を自分で払いながらあれ欲しいこれ欲しいといわれたら、買ってこないと怒鳴られる。そんななかで高校4年間で100万貯め、一人暮らしをして大学に行ったけど、生活費と親への仕送りと学費で、休学に追い込まれた。
奨学金を貰っても、月に払う学費が高すぎるのだ。
休学してから休みも少なく働いて、割の良い仕事を探したって日当はよくて1万。
税金も嵩むし、そんな時に車が故障したと嘆いていた。
資格をとってより良い人生になる未来を選んだはずなのに、自己破産になってしまった。

無念どころではない。私も貯金がなく、必死に貯めているところだ。私だって、いつこんなことになるかわからない。
唐突に入院した時も、その後半年ドクターストップで働けなかった時も辛かったが、青春真っ盛りの中、バイトに勤しみ人生をかけたはずなのに、2年で幕引きなんて。あと一年だったのに。どんな気持ちだろう。

僕は勉強嫌いだしお金もないし奨学金も嫌だったから大学に行く選択肢は初めからなかったし、貯金なんて考えずに学費と生活費と遊びのお金を計算するだけの日銭暮らしだった私でも、当時も今も金策を練って生きるのに必死なのだ。
彼女の必死さは倍?倍々?想像もつかない。

仲の良い可愛い友達は、自分をブスだと言う。
私から見たらとっても可愛い。チューするシーンを想像するだけでちょっとドキドキしちゃうくらい可愛い。

たまに彼氏ができた、別れた、友達とご飯行った、と自撮りを送ってくるたびに私はどれほど可愛いのかと心身を賭して褒め称えるけどそれでも、彼女はまた自分をブスだと言う。
そんな彼女が、去年新しい恋人ができて、珍しく2ヶ月に到達した。去年の初めに知り合い、そこから両手では足りないほどの別れと出逢いを見てきたが、今回の幸せぶりは群を抜いている。
地に足をつけた喜び。わかるかな。
夢物語を見てキャッキャ騒いでるんじゃなくて、ちゃんと相手の言葉を噛み締めて悶えるように喜んでる。
褒めてくれた、嬉しい。ときちんと喜んでる。

それをツイッターやラインで見て聞くのが、とても幸せだ。
願わくば、そのままずっと幸せでいて欲しい。
たとえ褒めてくれる彼氏と別れても
君が可愛いってことは変わらないからね。
君の人に愛されたいと願い行動に移すその頑張りを僕はずっと褒め千切るからね。


幼なじみは背が低い。145もぎりぎりない。
僕が見下ろしてしまうぐらいで。
小学生の頃の彼女は背が高い方だった。
僕は逆に、前で二番と一番を毎年競ってた。
中学に入り、彼女の成長が止まり、私はちびちびと成長を続けた。
20歳の歳、彼女が就職で引っ越すと言われわざわざ地元に帰ってまで飲み会に集まった程度には仲良しだが、ラインすることも、遊んだこともほとんどない。

喧嘩せず、当たり障りない間柄。というのだろうか。
彼女の母も姉も父も背が高くて、ちょっと黒人の血が入ったクオーターより血の薄いハーフで、顔は大人っぽいのだがいかんせん背が低い。
いろんな服を着こなすし似合うのだが背が低い。
背が低いということは、合う服が探しづらくて靴のサイズも22と小さめだ。
私みたいな全く話さない人にため息まじりに話してしまうくらい、彼女もなかなかに悩んでいる。


仕事が忙しすぎて時間がない人がいる。
この人は兄の友達のつるんでた一人の姉で、秘密基地に集まってよく遊んだが、年がかなり離れてるのであまり話さなかった、一応のつく幼なじみだ。
旦那とは別居。彼女の体の問題で子供もいない。
ストレスで夜は寝れないし、寝不足を極めて気持ち悪くて休んでしまう日もある。
寝たら治ると思ってやっと回復しても夕方で
病院はいけずじまいなことが多い。
私も仕事を休んだり寝不足だったりとするが、仕事仲間は理解があって休ませてもらえるし、なんなら動けないとかわりにご飯を買ってきてくれたり病院連れてってくれる。寝不足だと言えば「休む?」と言われるくらい優しい。彼女と同じ環境ではない。


わたしには、みんなの苦しさはわからない。
それでもやっぱり、コンプレックスは良いものだと思う。
小さな幸せに気づける。
昔の幸せな記憶が色あせない。
これから先の「認められた世界」が輝く

不幸を手放しては幸せは手に入らない
なんて、そんな綺麗事を言いたいわけじゃない。
神は二物を与えないとかそんなことでもない

僕が言いたいのはそんなことより、もっとさらに無責任なことだ。

それでもがんばって生きてる姿はとても好きだ。ってこと。

たまに、僕こそ世界一不幸だ!とでもいうような不幸自慢の人がいるが、その実、その人も不幸という悦に浸ってるからまだ生きてるんだ。

本当に不幸なのは、死んだ後だと思う。
死んだら転生とか閻魔様に裁かれるとかそんなことは言わないけど、
友達とお茶が飲めなくなる。仕事の愚痴を話してスッキリすることもできない。そんな幸せがなくなってしまうと思うと、僕は悲しい。

みんなはどう思うだろうか。
このままでいいと思うだろうか。
きっと大学を辞めて就職しても、彼女の底知れない努力は身を結ぶと僕は信じているし、自分の顔が嫌いで自信がなくても愛してくれる人は必ずいるから遠慮も卑下も必要なく全力で自分を愛せる人になれると僕は信じているし、背が低く似合う服がないと憂いても君が今着てる服が世界一君に似合う服だしこれから着る服も靴も鞄も君が世界一似合うんだと僕は信じてるし、たとえ今仕事が忙しくて体調を壊して同じループに陥っていたとしても、いつかたくさん寝て幸せいっぱいで働ける日が来るって信じてるよ。

自分の未来を見据えて考えて、幸せになる自分を信じることができるコンプレックスを、僕は良いものと断言する。


僕は痩せている自分が嫌いだった。褒められても何しても嫌いだった。

でも、体重がやっと42キロを超えてからタガが外れたみたいに全部が嬉しくなった。

コンプレックスがないわけじゃない。

服だって顔だってもっといいものが良かったと思う日もある。

だけどやっぱりこの顔で、この体で、この体質で生まれて良かったと今は誇りに思う。


僕は足もお尻も細くてキッズサイズしかズボンもスカートも履けないし、棒のように細い足だからそもそも短いスカートは似合わないと思っていたし
かっこいいオラオラ系の服が好きなのに否定されて悲しいわたしは
可愛い服が嫌いなのに似合ってしまうわたしは
好きな柄が派手でなかなか着れずに悩んでいたわたしは

似合う服を着たい気持ちと好きな服を着たい気持ちの間で、可愛くてカッコ良いパーカーを好きになった。
キャラものの靴下を履くようになった。
シンプルなツートンワンピースをよく着るようになった。

スカートみたいなふわっとしたズボンを履くようになった。
鏡を見て似合うか似合わないかってよりも、誰かが褒めてくれて、自分自身もその服を気に入られることがなによりも気持ちがいい。
そうしたら、フリフリの服も好きになったし、
いかついサングラスにイチャモンつけられなくなった。

結局のところ、僕は嫌いな服、好きな服を着ていたんじゃなくて、服に着られていただけだったのだ。
似合う服を探してみれば自信がついたのだ。

きっと、上記に挙げたわたしの友人たちも、何か一つ乗り越えたらきっと心から蟠りなく自分が好きだと言えると思う。

自信って前の記事でもいったけど仮面であり虚栄だ。
それは変わらない。だけど、それ以上に魅力なんだ。
魅力的だから、みんな、自信を欲しがる。

これをみんなに教えたい。
自信って、心の余裕でも代用できるよ。
これなら大丈夫、って心から落ち着ける場所で、ゆっくり休んで、安心してお茶を飲んで。

もし安心できる場所がないのなら
お気に入りの、それもとびきりお気に入りの服を着て
よければ僕と一緒に出かけませんか。

僕もお気に入りの市松模様のパーカーと和柄のバックとか、ツートンのワンピースと市松模様のマフラーで会いに行きますよ。

背伸びして高い買い物する必要ないですよ、ティファニーやグッチをチラリと見て、近くの雑貨屋さん覗いて、買い物は飲み物一杯だけでいい。

のんびりお話しして、気が向いてお腹が空いたら居酒屋にいきましょう。

飲み放題で騒いで終電になれば良いのです。

出かける前に部屋の掃除をすると帰ってきた時さらに気分がいいよ。

寝る前に今日あった、楽しい話をしましょう。

きっと心の余裕がもてますよ。

吉崎の隣は安心するって評判なのです。



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