ニンテンドースイッチのCMは僕たちの人生に新たな枝をさす
こんにちは、よすです。
2024年の春頃から放映されている、ニンテンドースイッチのCMをご覧になったことはあるでしょうか?
このCMを見たときに「ずるいCMだな〜」と思ったのと同時に、ニンテンドースイッチのCMには「ゲームのCMっぽくないCM」が多いということに今さらながら気づいてハッとしました。
PlayStation5のCMを見ていただけるとその差は一目瞭然です。
PlayStation5のCMはまさにエンターテイメント性やファンタジー性を感じさせてくれ、非日常的な世界に没入するイメージを与えてくれます。僕たちのリアルな生活はCMの世界には含まれておらず、むしろ、日常を忘れて異世界に飛び込もう!というメッセージを受け取ることができます。
それとは対照的に、ニンテンドースイッチのCMは日常の延長であり、生活のなかにゲームが溶け込んだ生活が描写されています。あくまで今ここにあるひとりひとりの生活の中で実現される幸せを拡張するためのものであり、CMの中の物語は「わたし」の物語でもあるかのようです。
あなたはどちらのCMがより多くの人の心を動かしていると思いますか?
ぼくはおそらくニンテンドースイッチのCMのほうがより多くの人の心を動かしているだろうと思っています。その理由は、あなたもすでにお気づきだと思いますが、どう贔屓目で見てもニンテンドースイッチのほうが感情移入しやすいためです。
心理学や説得術を学んだことがある人ならすでにご存知の通り、人を説得する上で、「物語性」や「感情」、「共感」は強い影響力を生むと知られています。ぼくたち人間は案外理性よりも感情で決断することが多いのです。
そして、その理解をさらに一歩前進させてくれるヒントに出会いました。
『不道徳な見えざる手』によると、人はだれしも「自分に言い聞かせている物語」を持っていて、広告のプロは「その物語に接木する」ことで、ぼくたちをカモにしているようです。
あなたは誰ですか?と言う質問をされて、「私は〜です。〜が好きです。〜なので将来は〜することが夢です。」のようにほとんど無意識に答えられるもの、これが「自分に言い聞かせている物語」です。ぼくたちは常にそのような物語を自分自身に言い聞かせ、行動の前後の一貫性を保とうとしています。そのおかげで今日も明日も同じようなものが好きであり、同じようなものが嫌いであることができています。
広告のプロはそこを狙います。広告のプロは、ぼくたちが自分に言い聞かせている物語にさりげなく「接木」するのです。つまり、ぼくたちの物語に異物だと気づかれないように手を加え、広告のメッセージを「自分の意見」だと思い込ませるのです。
例えば、先のニンテンドースイッチのCMでいうと、この春、多くの大学生や社会人が家族と離れて見知らぬ土地に引っ越したことでしょう。なので、このCMを見た多くの人(本人、家族)がこのCMに「わたし」を見たと思います。「これはわたしの物語だ」と。そして、物語に夢中になっているぼくたちに任天堂は「ニンテンドースイッチで家族と繋がる」というイメージを接木したのです。
家族と離れ離れになることを寂しく思う人たちにとって、そのイメージはあまりにも自然です。「家族と繋がる」イメージに反対する理由なんてひとつもありません。家族と会話するきっかけができればいいなと思うし、家族との思い出を思いだす機会が生まれればいいなと思います。だからこそ、ぼくたちはその接木に気づくことが難しくなります。そうやって知らずに接木されてしまうと、家族と繋がるためならゲーム機を1台や2台買うくらい大した問題ではないように感じてしまうのです。
ぼくもnoteの記事タイトルでやってしまいがちですが、モロに「ニンテンドースイッチで家族と繋がろう!」という字面で広告として打ち出しても人の心は動きづらいですよね。メッセージとしては明確で具体的ですが、理性に「これは広告だ」と判断されてしまい、聞く耳をもたれづらいです。
対照的に、それぞれの視聴者がもつ物語に注意を向けさせ、広告のメッセージをあたかも自分で考えたことだと思い込ませることに成功すれば、それらの理性的な脳は矛を収めてしまいます。
AmazonのCMもニンテンドースイッチのCMと同じく、視聴者の物語を意識させる作りですね。
人の物語にさりげなく接木する。
この極意、あなたにはマネできますか?
参考文献
不道徳な見えざる手
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