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まだHSPという言葉にはあえて近づかないようにしている

こんにちは、よすです。

HSP(Highly Sensitive Person)とは、日本語で直訳すると「とても繊細な人」という意味で、ClaudeAIによると以下のような特徴を持つ人がHSPに該当するとされています。

1. 感覚の感受性が高い: 微妙な変化や刺激に敏感で、五感が鋭い。
2. 情報処理が深い: 物事を深く考え、多角的に分析する傾向がある。
3. 感情の反応が強い: 喜怒哀楽の感情を強く感じ、共感力が高い。
4. 過剰刺激に弱い: 強い刺激や複雑な環境に疲れやすく、休息を必要とする。

ClaudeAI

ぼくがこの言葉を初めて知ったとき、ずっと探していたものをやっと見つけたかのような気分になったことを覚えています。小学生の頃、ぼくはよく

発熱で学校を休んでいました。学校に登校した日であってさえ、途中で体調不良を理由に保健室で休ませてもらって、親に迎えに来てもらうということをよくやっていました。

今だからいえるのですが、実はそのほとんどは仮病でした。本当は体はそこまでしんどくないのですが、心はなぜかよく疲れていたのです。しばらく学校に通っているとだんだんと心が参ってくるので、「そろそろ学校を休みたいな・・」と思う時期が来るのですが、当時は体が元気だと休ませてもらえませんでした。

なので、体温計を脇に思いっきりブッ刺してギューーーっと押し付けたまま測って高温を出したり、冬の時期はこたつの中で体温を測ったりして体調不良を演じていました。

で、なんでこんな話をしているかというと、当時のぼくが精神的に疲れていた理由が、まさにHSPに該当しそうだと思っているからです。ヤンチャではつらつとした同級生たちの活気に圧倒され、疲れ、呆然とし、呆然としている間に傷つけられる。先生たちのしかめっ面に常にプレッシャーを感じていたり、同級生が怒られているときに自分が怒られているくらい緊張したりしていました。

小学生時代だけでなく、例えば大学生のころも変な症状で苦しんでいました。大学生になった当時。ぼくも周りもおしゃれに気を使いはじめた頃です。ある日、今までの人生でほとんど行ったことがないおしゃれなアパレルショップを何件も周って服を見ていた日があったのですが、ぼくはその間中ずっと緊張をしていました。たぶんそれぞれのアパレルショップにいた、自分よりもおしゃれで大人なたくさんの人たちを見て圧倒されていたのでしょう。気がつくと、視界の一部が見えなくなる症状が発症していました。(ぼくは精神的にとても疲れるとたまにこの症状が出ます。)

大人になってからも、外を歩くだけで感じている慢性的なストレスや緊張は、実は周りの人はほとんど感じていないらしいということに薄々気がついていて、「これはいったいなんなのだろうか?」と悩んでいました。

そんな中、HSPという言葉を知りました。まさに今までの自分の苦しみを解明してくれそうなもので、正直とても興味を惹かれました。でも、ぼくはHSPを深追いすることなくすぐにその場を立ち去りました。

なぜかというと、自分がHSPだということを自己決定してしまうと、ますますHSP的な特徴が強化されてしまうだろうなという危険を感じたためです。「強化されてしまう」と書きましたが、「自分自身によって強化してしまう」の方が適切かもしれません。

これには、ぼくがHSPという言葉を知る前に心理学を勉強していたことが関係します。心理学によると、ぼくたちは思ったより賢くないようなのです。ある研究によると、「確証バイアス」といって、ぼくたちは自分の思い込みや願望を強化する情報ばかりに目が行ってしまい、そうではない情報は軽視してしまう傾向があるのです。つまり、知識をつけて冷静に自分自分を見つめ直すことは難しく、新たに得た知識によって自分の首を絞めてしまう危険も十分にあるということです。

なので、ぼくがぼくをHSPだと素人診断で結論づけてしまうと、それを強化する情報ばかりに目を向けてしまい、逆にそうではない正常な性質を無視するようになってしまって、自己成就的にHSPの症状がますます強くなるだろうなと思われたのです。

それに、現在、HSPはまだ病気として体系付けられているわけでもなければ臨床的な診断方法が確立されているわけではありません。オンライン上で簡単に自己診断できたりもするようですが、根拠のあるものではないようです。

自分のことをHSPだと認めなければ神経質な性質が緩和するわけでもありません。が、ぼくは年齢を重ねるにつれて、また、いろいろな視点や学問を勉強する中で、だんだんと自分なりの生き方を見つけられるようになってきました。精神的なストレスが原因の頭痛や視界の一部が見えなくなる症状もほとんど起きなくなりました。あと、なぜか花粉症も治ってきました。笑

なので、HSPがもう少し主観的なレベルから科学的なレベルに到達するまで深追いはしないでおこうと思っています。もちろん、心という主観的な世界を科学的にどうこうすることは難しいと思いますし、科学だけしか信じないわけではありませんが、なんとなく今のHSPは非科学的なオカルトじみた空気をまといはじめたにおいも感じています。

ので、ぼくはもうしばらく距離をとって現実的な努力をしていきたいと思っています。


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