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小さな悩みが積み重なり身体が全く動かなくなった日

私は30歳手前の記憶がほとんどない。
そのころ仕事で職階が上がり、プライベートも社会人サークルに入ったり、合コンしたり、社外の人と遊んでいたはず。

だけど具体的に何をしていたのか全く思い出せない。
「思い出」がないのだ。

ただ、そのなかでも強烈に残っていることがある。
それは「平日に身体が動かなくなり、会社をサボって夕方まで寝ていた」ことだ。
そうなった原因は積み重ねられた小さな悩みだった。


「ふつうの人」になりたくて外に出続けていた

30歳手前の頃、私は漠然とした不安を抱えていた。
会社の同期は続々と結婚するし、異動で大阪を離れる人も増えていく。
ひとりで過ごす時間が長くなり、友だちがいない孤独感を味わっていた。

ひとりの時間が増え、なけなしのコミュニケーション能力が更に低くなる。
仲の良い友人も関西から離れ、ぼっちへの道まっしぐら。

当時の私は「ふつうの人」になりたかった。
「ふつうの人」とは社外にも人脈があり、休日は友だちと遊んだり合コンしたり。
もちろんコミュニケーション能力も十分。
そんなイメージだった。

だけど私が進んでいる道はその真逆。
「このままじゃヤバい」と思って外に出るようになった。

数少ない友だちと街コンにいったり、社会人サークルに入ったり。
そして初対面の人と話す経験もたくさんした。

このころ、初めてのことばかり経験していて正直しんどかった。
だけど結果的に今のプロマネの仕事にも活きている。

自分に合わないやり方で自分の心をいじめてた

一方で当時の私にとって「初対面の人と会う」とか「合コンの幹事をする」などの行為はしんどかった。
だけど「ふつうの人はこれくらいできる」と思い込んでいた私は必死にやっていた。
ましてや相手から「合コン開いてよ」と言われたら断る勇気などない。

当時の私は”HSP”や「内向的」という言葉を知らなかった。
そして「人の言葉に敏感に反応する」ことや「ひとりで過ごすのが好き」という自分を「変えなければならない」と思いこんでいた。

しかも以前の私が読んでいた「コミュニケーション能力を上げよう」的な本は外向的な人向けのものだった。
「初対面の人には自分から話しかけよう」とか「休日はどんどんイベントに行こう」とか。

振り返ると明らかに自分の性質に合っていない。
だけど当時の私は「性質が違う」ではなく「積極的になれない私はダメだ」と思い込んでいた。

こうして、外向的な人のやり方を自分に無理やり当てはめて行動していた。
BBQなどのイベントや合コンとかは日程が決まったらもうやるしかない。
義務感だけで合コンの人集めとかしていた。

小さな不安の集合体が私の心を押しつぶした

世の中にはサッと人に連絡できる人がいる。
本当にすごいなと思いながら、自分はそうなれないと思う。

「こんなLINEを送ったらなんて思われるかな」
「このお店、メニューが全員の口にあうかな」
「先日合コンした人から連絡が来た、だけどなんて返したらいいんだろう」
「イベント直前だけど人数が足りない、だけどこの人は誘いたくない」

頭の中で悩みだけが積み重なる。
だけど全然行動はしない。

ハッキリいって毎日が楽しくなかった。
もちろん人と会っているときは「楽しいフリ」をしていたけど。

楽しくはなかったけど、人に頼まれたり誘われたりすると断れない。
会社でも然りで、職階が上がって頼まれごとも増えるが断れない私にはどんどんタスクがやってくる。

こうして小さな悩みごとがどんどん増えていき、段々こころの余裕がなくなってきた。

ある日、身体が全く動かなくなった

人に言うほどでもない小さな悩みをたくさん抱えて過ごしていたある日。
朝、いつものように目が覚める。
だけど身体が重くて動くのがしんどい。

「あ~、なんかめんどくさい」
口から漏れるひとりごと。

熱があるわけでもない、いたって健康だ。
だけどとにかく身体が動かない。
何もしたくない、動くのすら億劫だ。
会社に「休みます」というのもめんどくさい。

・・・

気がついたら二度寝していた。
起きたら10時。
今からでも会社に休みの連絡を入れないと。
だけど身体は動かない。

スマホはずっとなり続けている。
「うるさいな・・・」
止めるのすらしんどい。

・・・

何度か寝て起きてを繰り返したら外が暗くなってきた。
「あ~、もういいや」
このまま何もせずに化石になりたい。

\ピンポーン/
チャイムが鳴る。
めんどくさい、出ないでおこう。

\ガチャ/
鍵を閉めたはずのドアが開く。
「ん?」
頭を動かすと管理会社の人と会社の課長が居た。

どうやら私になにかあったのでは、と思って家にきたらしい。
時計を見ると17時。

「すいません・・・」
さすがに起きて課長に謝った。
スマホには大量の着信履歴が残されていた。

無理し過ぎは良くない

こんな経験をしてさすがに懲りた。
振り返ると当時の私は精神的に参っていたのだと思う。

恐ろしいところは「何か大きな出来事」があってメンタルがやられたわけじゃないこと。
小さな悩みを蓄積し続けて、あるところでバタッと倒れてしまう点だ。

当時の私の悩みは「LINEをどう返すか」とか「飲み会のお店どうしよう」といった些細なことばかり。
だけどこんな悩みの延長線上にメンタルの限界点があるのが恐ろしい。

ちなみにその後どうやってメンタルを回復させたのかは正直覚えていない。
ただ、予定をスッカラカンにしたのは覚えている。
そして休日はしっかり休むようにして、徐々にメンタルが回復していったと思う。

今では自分の性格も分かるようになってきた。
日記を使って気持ちの整理もできるようになった。

だけど当時は自分のメンタルを保つ方法が全くわからなかった。
そして勝手に思い込んでいた「世の中の正解」を自分に当てはめ、メンタルが潰れた。

月並みな表現だけど無理し過ぎは良くないんだ。
身体が動かなくなるのはもちろんしんどいし「楽しくない」という気持ちで生き続けるのもしんどい。

だから今でも私は「自分に合った」生き方、日々の過ごし方を模索中。
回り道したり転びまくってきたからこそ、これからはもう少し快適に生きていきたい。

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