死とお金。価値観が揺れ動いた一週間。

身近な人が亡くなった。
大切な人の大切な人が。

病院から、お葬式までをすごく近くで見ていて、
その中で感じたことを、メモとして残しておきたい。


人が生きるには、お金が必要だ。


これは、誰もがわかっている事実だと思う。
しかし、今回知ったことは、


死んでもなお、人はお金が必要だ。
それも沢山。


ということ。
Googleで「葬式 相場」と調べて、広告を抜かして一番最初に出てくるサイトを見てみよう。

ある調査では、「平均で約208万円必要」という結果も出ています。

りそなグループHPより resonabank.co.jp/kojin/column/shoukei/column_0003.html

全くもって、その通りでした。
なるべく使わないようにしても、200万円くらい。

今回は、僕の財布からは一切出していないので、
この金額でも痛くはないですが、
自分がこれを行う立場(喪主とか故人の長男とか)だったら、
正直、お金のことに動転してしまい、
悲しむどころではなくなってしまうのではないかと思います。


そして、お金が沢山かかるということに付随して、


手続きがとても沢山ある。
沢山書類を書く。


ということだった。
これは本当に、悲しみに暮れている暇もないくらい沢山あり、
むしろ、わざと多くして、死のショックから気を逸らす作戦なのかな?
くらいに思いました。(絶対違うけど)

入院手続き。手術の同意書。入院にあたってのレンタル着替えの書類・・・
病院の時点だけでも沢山ありました。



こんな感じだったので、亡くなって悲しいという感情と同時に、
「大切な人が亡くなったというのに、金をむしり取るなんて、なんてひどい国なんだ!」という怒りにも似たモヤツキを抱きました。

こんなのおかしい。絶対にこんな風習変えなければいけない。
と。


僕は、日本の結婚式はアンチで、ウェディング会社が儲けるだけのとても歪なビジネスモデルなのではないかと思っていて、
最初は、死に関するイベントもこのように考えていました。


でも、日が経つにつれ、色んな儀式を行っていくうちに完全に気持ちが変わりました。


亡くなった日、体を拭いてくれた看護師さん。
葬祭場で、故人をずっと綺麗に保ってくれていたスタッフさん。
納棺式の時に、旅の支度や、お顔剃りからはじまり死化粧をしてくれた納棺師さん。
告別式当日に、立派な祭壇を作ってくれたり、棺に入れるお花の準備をしてくれたりしたスタッフさん。

そのどれも、自分が出来ることはありませんでした。
自分よりも、10歳以上も若そうな女性が素手で施しをしてくているのを見て、本当にすごいなと思いました。

平均的にかかると言われているお葬式費用が、高いか低いか。
安いとは言えないけれど、
感謝と尊敬の気持ちが生まれたことは確かでした。


そして、式場に花を贈ってくれた自分の家族や仕事関係の人たち。
決して安くはないお金で花を出してくれることにはもちろん、
それを手配する手間も、いつもの仕事にプラスして発生するのに、
こころよくやってくれ、
悲しい時期ではあったけれど、
人のやさしさに触れることも出来た期間だったなと思いました。


会場に入った瞬間の、祭壇の立派さに、
すごく感動したのを思い出します。


人が死ぬのに、こんなにお金がかかるなんて!
とか
故人を見送る時に、お金のことで悩むのは歯がゆいな。
とか
色んなことを短い期間で考えましたが、
最終的には、


「これくらいの金額が自分が死んだ時にはかかるのだから、
家族が苦労しないように、貯めるなり保険かけるなりして、
準備しておかなきゃな。
逆に、この準備さえしていれば、あまり心配はいらないな」

という結論に至りました。


家族を苦労させることなく亡くなったあの方は、
本当に素晴らしく、ちゃんとしている方だったな。
とあらためて思いました。

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