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不足からの行動

おはようございます☀
youdisgnの悠です。
いつもありがとうございます✨

私は自分の身を
いつもある意味で「苦労する場所」に置いていた。

その苦労とは、
夢に向かってワクワクするものではなく
自分の欠点や足りない部分を補完したり
改善するためのもの
でした。

例えば部活。
何を血迷ったか(笑)
運動神経皆無の私が空手道部に入った。

それは「運動神経」がないことに悩み
それを克服したかったから。

一見これって
いいことのようですよね。

弱点を克服するのは悪くない。

でもこれってつまり
運動神経のない自分を認められなかったということ。

その「不足」「不安」「不満」からスタートしていたんですね。

また、大学受験や職業選択
趣味に至るまで
その「不足から始める行動パターン」は染みついていました。

保育士になりたいと思い
保育の学科に進んだのは
実は自分の幼い頃の愛情不足と感じていた時がきっかけ。

そんな私のような子どもがいたら
癒してあげたい。
そう思ったこともありました。

一方、実はわたし子どもが苦手で
人前に出て手遊びするのとかも苦手。
でもやってみたら変わるんじゃないかと思った。

実は本当に純粋に学んでみたかったことも
当時は別にあったのですが
保育士の道に進むことで
自分の「ない」が補われるのではないか
改善するのではないか

と思ったんです。

そして、習い事として始めた「お茶」
その精神は大好きだったけれど
これまた、自分の苦手を補うために
やっていたことに気づきました。

時間厳守、他人への気配り、お道具の丁寧な扱い
歴史の知識、おもてなしの精神

どれも私の性質には皆無で(笑)
まさに「修行」でした。

だから、好きなことではあっても
どこか苦しかった。

どの行動も
自分を高めるという意味では決して悪くない。
実際に、できるようになったことがたくさんあるし
それがうれしいこともありました。

その行動自体が悪いことでも何でもない。

でも

もうお分かりかと思いますが
私はこうして自分の「不足」からスタートすることで
自分の「我」を通していたんです。

要はエゴ

自分から始めておいて
苦手だの辛いだのなんだの言って…
無責任にもほどがありますよね(笑)

だったら始めなきゃよかったのに
ということなんですが
自分が「できない」ということが
許せなかった
んですね。

運動神経がないことを許せない
子どもが苦手なことが許せない
人前に出られない自分が許せない
人に配慮できない自分が許せない
時間を守れない自分が許せない

だから、それができるようになるために
行動、環境を選択する。

ずっと不足ばかり見てきたんです。

そこに
心からの楽しさがあると思いますか?
自分を大切にしていると思いますか?
それを他人のために生かせると思いますか?

自分のことしか考えていない。

だから
自分勝手で、いつもどこかしんどかった。

自分を生きていないという感覚が
常にどこかにありました。

でも、後からもお話しますが
これらの経験が無駄だった
よくないものだった
というわけではなくて
この経験があったからこそ
私はとあることに気づくんです。

続きはまた明日。

お読みいただきありがとうございました✨

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