不登校_特殊支援学級

発達障害を増やしたのは二つのグローバル化 3

生存の地すべりと発達障害

 改めて整理しましょう。
 バブル崩壊などの九十年代の不景気、そして経済のグローバル化が進行したことによって、生きていくのに必要なお金を安定して稼ぐということがそれまでより難しいものになってしまいました。 学生にとっても将来不安の増大として、入試や就職活動の不安へと響いていきます。それらはさらに学校生活全般への不安にもつながっていきます。
 私はこういった現象を”生存の地すべり”と名づけました。今まで生きてきた努力や能力の量では生きていくのが難しくなっているのです。それまでは「これくらいで生存できた」というものが、地すべりを起こすように崩れてしまっているのです。
 生きていくことが以前よりも難しくなっています。これが発達障害の増加と大きく関係しているのです。
 仕事は以前と比べ、密度が濃く、ストレスの高いものになっています。もちろんそうでない人もいるでしょう。でも、仕事が大変である可能性は高くなっています。仕事には今までより余裕が少なくなりました。苦手なことがある人、あまり仕事ができない人が以前より見過ごされなくなりました。仕事量の増加などでストレスが高まって働く人の余裕が減り、対人関係のトラブルも起こりやすくなっているはずです。対人関係を築くのが下手な人にとってはつらい変化となったでしょう。
 学校も同じです。潜在的な将来の不安が高くなり、試験や授業中のプレッシャーが高くなったことが考えられます。さらに学校現場ではノートを取る、課題を出すということがより直接成績に影響するようになりました。勉強がすごく苦手、ちゃんとノートが取れない、落ち着けいて授業を受けれないということが以前よりも可視化されるようになりました。ただ、そういった子達を支援するノウハウとマンパワーは足りていないので、問題が可視化されても充分な対策が行われているとは言えないのが現状です。
 ちょうどその頃に、発達障害という存在が大きくクローズアップされるようになりました。それまでは「何か変だ」で終わっていたものに名前がつくようになったのです。

発達障害は異質なものか

 先日、話を聞きに行った発達障害のイベントで、最後の質疑応答の時間にこんな質問がありました。


「発達障害と定型発達(発達障害ではない)の境界線は?」

 壇上には数人の専門家がおられたのですが、概ねみなさん同じ主旨の返答をしていました。


「発達障害かどうかは環境によって変わる」

 もちろん障害の重さにも寄るでしょうが、しっかりとしたフォローがある場所では、本人も周囲もあまり障害を意識せずにいられるという意味です。
 発達障害というと普通の人とは違う異質な存在と感じがちですが、決してそんなことはありません。そこには程度の差や苦手なことの多さがあるだけです。苦手さ、困難さがどれだけあるか。それが多く、もしくは強いものなら発達障害という判断がされた方がいいというだけのことです。

 ここ二十年ほどで発達障害が増えたかに見えるのは、発達障害の閾値が下がり、今まで発達障害と認識されなかった層が発達障害と認識されたり、自分で認識したことが大きいと考えられます。
 なぜそんなことが起きたのか。一つは経済のグローバル化によって今までよりも生きていくお金を手に入れることが難しくなったという生存の地滑りによるものです。
 もう一つは疾病概念のグローバル化。発達障害という概念が広く浸透したことの影響です。
 普通に生きていくことの難易度が上がった時に、そこから漏れた人をカテゴライズしやすい概念が現れた。これが私が考える発達障害の増加の原因です。


『発達障害に対して社会はどう変わるべきか 1』へ続きます。


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