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山本太郎は深作欣二がつくった?!   「走れ!」と深作さんは言った。山本太郎氏に約20年ごしの“恩師”への思いを聞く。

キネマ旬報の深作欣二没後20年の特集記事から抜粋します。
当時、26歳の山本太郎。
原作では、16歳の役柄だ。

◆◇◆

──── 現在、参議院議員でれいわ新選組の代表を務める山本は、22年前には「バトル・ロワイアル」(00)で「男子5番・川田章吾」として過酷な戦場にいた。15歳の中学生が主役である映画のオーディションに当時26歳だった彼はなぜ応募したのか。

山本: 深作欣二監督に会いたかったからです(笑)。小学校のとき、「蒲田行進曲」(82)や「里見八犬伝」(83)を、そのあと「仁義なき戦い」(73)を観ていました。受かる、受からないは二の次。
とはいえ、中学生が主役と聞いていましたから、自分の年齢からすると彼らを取り巻く大人の役が順当ですが、主役を獲りたかったんです。
そこで、スポーティーな服を着て、若作りして、オーディション会場に向かいました。僕の順番が回ってきて、深作さんに「いくつだ?」と訊かれました。
「いきなり来たか」と思って、腹をくくり「19です!」と大声で答えると、「違う。キミの身長だ!」(笑)。

オーディションで演じたのは、僕が藤原竜也と前田亜季の前で亡き彼女の写真を見ながら思い出を語るシーンでした。
渡された脚本のコピーを机の上に置いて、僕が何も持たないでしゃべっていると、「手に何か持ってないとダメだな」と深作さんは自分の財布の中からカードを取り出して、僕に渡したんです。「三越カード」でした(笑)。
「三越カード! こんな貴重なものをお借りしていいんですか?」と僕がおどけると場が和みました。

芝居が始まると深作さんの指摘や指示はきわめて具体的でした。「ちょっと読んでみて」って言われて、僕がやると、「それじゃあ、もうちょっとここをこういうふうに、こういう気分でやってみろ」と指示する。
で、そういうふうにやったら「おお、なかなかいいねぇ」と褒めてくださる。
で、「ここをちょっと変える別のパターンでやってみようか」と次に注文を出す。僕が返す……短いセッションの間に、自分が成長し、少しずつ芝居の幅が広がっていくのが分かるんです。「これはオーディションじゃない。大教授から受ける個人レッスンだ」と思えて、嬉しかったですね。

いまでも覚えているのは、前の戦いで亡くなった彼女を偲ぶセリフへの深作さんの注文です。
「この段階では自分が経験した出来事からは時間が過ぎているわけだから、いま最近おきたことのようにセンチメンタルすぎないほうがいい。もうちょっと抑えて。その経験が少し遠い記憶になりつつある雰囲気で。もっと淡々とやってみて」とおっしゃった。
この贅沢な時間がこのままずっと続いてほしい……と願いました。

──しかし、オーディションの結果は待てど暮らせど来なかった。

山本: 深作さんとお会いする1カ月ほど前、阪本順治監督の「新・仁義なき戦い。」(00)の面接を受けていて、その結果が出る前に深作さんとの出会いがあったんです。けれどもその後、阪本監督の作品である役をいただける方向になり、出演するか否かを決めなきゃいけなかった。

一方、「バトル・ロワイアル」は使ってもらえるのかもらえないのか、分からない状況でした。

痺れを切らしてマネージャーに「バトル」の状況を問い合わせてもらうと、「監督以外、全員が猛反対している」と。製作委員会や東映本社の方たちは、「中学生の話なのに、何であの役が山本太郎なんだ。無理がありすぎる」という理由で。それに対して深作さんが「太郎は絶対に使う」とテコでも動かず、キャスティングは揉めに揉めている。
あるプロデューサーが深作さんに、「山本太郎と心中する気ですか?」と訊くと、「ああ、山本太郎と心中する」とおっしゃったと。

この言葉を聞いて、「人生のご褒美だ」と思いました。これを「一生の宝物」にしていこう。
深作さんがそこまで言ってくださるのなら、結果的に「バトル」に出られなくてもいいから、とにかく待とう、と心を決めて、申し訳ないけれども、自分から面接を受けに行った「新・仁義なき戦い。」をお断りしました。

──深作欣二はどうしてそこまで山本太郎にこだわったのか?

山本: どうしてかは聞きそびれました。今、考えると、リアルな10代、本当の中学生では出せない部分を、ちょっと上の年齢になるけれども、僕なら出来るんじゃないか、と見てくださったのかも知れません。

──深作欣二と脚本の深作健太は、山本太郎のために「川田章吾」の役を膨らませた。川田は、かつてサバイバルゲームを勝ち抜き、その戦いで最愛の彼女に裏切られ、失ったことで心に傷を負う。登場人物の中でもっとも陰翳が濃い人物を深作は山本に演じさせた。

山本: 撮影に入ったとたん、「これはお金を払わなきゃならないレベルの現場だ」と襟を正しました。
自分だけじゃなく、ほかの役者に対しての深作さんのダメ出しや指導の内容が全部勉強になるんです。

たとえば、教室を占拠した兵士たちが騒ぐ生徒に対し銃を乱射するシーン。何回テストを繰り返しても、生徒たちのリアクションに緊張感が足りない。そんなとき、深作さんがいきなり机を持ち上げて生徒たちの目の前の床に叩きつけた。若い生徒たちは何が起こったのか理解できず、慌てふためいた。深作さんがそんな生徒たちを指さし、「いまの表情だ!」。それでみんなが「これなのか」と納得できたんです。(深作監督らしいなあ)

そんなふうに役者の力を高めるための具体的・実践的な指導が毎日行われました。
深作さんは抽象的なことは一切おっしゃらない。
役者の演技が及第点に届くために何が必要かを、作り手側の意図をしっかりと把握させたうえで、具体的な言葉で語る。

たとえば、断崖の上で、僕と藤原竜也と前田亜季の三人が話している場面をロングショットで撮っているとき、僕らが一生懸命に気持ちを作って芝居をしていると、深作さんが近づいてきて、「いまはこれくらいの画角で撮っている。引きの画では、こまかな芝居をしても気持ちは伝わらない。立ち止まったり、膝をついたり、全身の動きで表現してくれ」と実によく分かるテクニカルな指導をなさった。

それに、深作さんは柔軟で合理的なんです。
ある朝、長いシーンのセリフの大幅な改定稿が届いて、セリフは何とか覚えて言えましたが、気持ちが入らず、何回もNGを出してしまった。そのとき深作さんが即座に「カンペだ!」っておっしゃって、カンニングペーパー作るぞ、と大きい紙にセリフを書かせ、「太郎君。セットのどこに貼ってほしい?」。
カンペなんてセリフ覚えが悪い役者だけが使うものだと思っていた僕が屈辱を感じていると、深作さんはそれに気づいて、「太郎くん、恥ずかしがるな。丹波哲郎だってこれを使ってたんや」(笑)。
実際、カンペを見ながら芝居したら、セリフにとらわれず、気持ちがスムーズに入っていくんです。それで調子に乗ってずっとカンペを見ながらやっていたら、「おーい、男子5番、オールカンニングか」って言われて、「ですよね」みたいな(笑)。

撮影の途中、それまで撮ったラッシュを見るスタッフ向けの試写があったんですが、深作さんは役者全員をそこへ呼んでくれました。
「いま自分たちは何を作ろうとしているのか」「あそこで撮ったカットにはどんな意味があるのか」を役者にも共有させ、一緒に映画を作ろうとされていた。
僕にとって、こんなに開かれた映画作りは初めてで、こんなに役者にフェアな監督はほかにいませんでした。本当にこの現場が永遠に続けばいいのにと思っていました。

完成した作品を観終えたあと、興奮してしばらく何もしゃべれませんでした。
15歳で水戸の空襲に遭い、仲間を失った深作さんが描いた渾身の反戦映画だと心が震えました。

◆◇◆

主役の3人。

わたし、「バトルロワイヤル」の原作が発売されたとき、すぐに買って読みました。
とにかく長かった!
作者が「アップルのパソコン」と「ワイルド7」が好きらしく、パソコンと銃器やバイクのうんちくが延々と書かれています。ちょっとつらかった。
でも、クライマックスは面白かった。読んで良かったと思いました。

幻冬舎文庫。869円。上巻。


下巻。869円。幻冬舎文庫。
熱い演技指導で有名な深作欣二監督。

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