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戦前、戦中の写真雑誌

 盛岡市西青山にある、カフェ・古本屋さんの「シダナイ古書堂」さんのご厚意で、2冊の古い写真雑誌を無期限貸出して頂いています。
 この2冊非常に興味深いです。日中戦争開戦前と太平洋戦争開戦直後の写真雑誌です。


「写真サロン」1936年1月号

 まずは、1冊目の「写真サロン」(右横書き)1936年1月号。この年は、可能有名な「2.26事件」が発生した年ですね。翌年には、「盧溝橋事件」に端を発して日中戦争へとつながっていきます。そんな戦争前夜の時代ですが、写真愛好家が日本にも多くいたのですねぇ

月刊写真雑誌「写真サロン」表紙
タイトルが右横書きですね。
「写真サロン」裏表紙

砲弾型の写真の切り抜きデザインが戦時色でてますねぇ
ベテラン写真ファンには懐かしい「さくらフィルム」の広告です。このときは小西六本店、後の小西六写真機工業株式会社、コニカ株式会社、現コニカミノルタホールディングス株式会社ですね。
 「さくらフィルム」を「コニカ」や「コニカカラー」をご存じの方は多いのではないでしょうか?


わたしが持っている一番古いカメラの広告

カメラ屋さんの広告

 前の記事で紹介した「ツァイス スーパーイコンタ」の広告です。この当時の価格は585円だったそうです。当時の大卒初任給やエリート公務員の月給は50円くらいだったそうです。当時は大学に行く人もかなり少なかったでしょう、そんなエリートたちの年収くらいの金額がしたんですね。安い家なら建ちそうですねぇ。
 舶来カメラは本当に高級品だったんでしょう。カメラ自体も珍しいモノだったんでしょうね。

「キャノン」初の市販カメラの広告

ハンザ・キャノンの広告

 1936年、この年は上のページの広告の通り、「ハンザ・キャノン」が2月に発売されています。
 世界的なカメラメーカー「キャノン」の市販カメラ第1号機がこの「ハンザ・キャノン」です。なんと驚いたことに、現在はライバルメーカの「ニコン」当時の「日本光学工業」製レンズ「ニッコールレンズ」と距離計を採用していたんですねぇ。
 今では、キャノンとニコンが協力して1代のカメラを作るなんて考えられませんが、ニコンの協力無しにキャノンは誕生しなかったんですねぇ


「写真文化」1942年1月号

 こちらは、1942年の「写真文化」1月号。前年の12月8日に太平洋戦争が開戦されたばかりの時期の写真雑誌です。内容もかなり戦時色が濃厚で「今こそ写真技術でお国に尽くそう」と「写真でつくる戦意高揚ポスター」なんて言葉が多数見られます。
 一方で、有名な写真家「土門拳」さんのインタビュー記事や土門拳さんによる文化人のポートレート特集なども掲載されますし、特集が「雪山スキーの撮影術」と戦時下にしては意外とのんきな特集です。カメラや写真用品の広告も沢山掲載されています。

「写真文化」1942年1月号表紙 軍刀を掲げた兵隊さんの写真。いかにも戦時下ですね。
マミヤシックスⅢ型 戦前モデルの広告

 「マミヤシックス」が戦前から有ったなんて、この記事を見て調べて初めて知りました。

中国の航空基地からのルポ「航空基地からの点描」
「土門拳」さんのインタビュー記事。

 巻紙に筆で手紙を書いてますね。時代を感じます。
 戦後、「ヒロシマ」や「筑豊の子供」など有名な作品をのこされて日本写真界の重鎮となられますね。この写真の頃はまだまだ若々しですね。若々しいですね。

裏表紙「写真サロン」と同じくさくらフィルムの広告ですね。軍馬にまたがる兵隊さん。
「進め勝利へ!獲得したる写真技術を今こそ国策に活かせ」まさに挙国一致体制ですねぇ。

平和は有り難いな

 今回は、珍しい写真雑誌の紹介でした。
 戦時下でも写真を楽しもうとしていた人たちがいたんですねぇ
 そして、戦争になってしまうと何でもかんでも戦争に役に立たないモノは否定されてしまうんですねぇ。
 わたしたちは、平和な日本に生まれ育ち、自由に好きなモノを好きなように撮影することが出来る。その気になれば、自由に発表することも出来る。今では普通のことですが、有り難いことですね。
 それでも、大変な激動の時代を通り、幾多の戦争を写真は記録に残して、80年以上前から写真技術や写真を愛する人たちの気持ちが、引き継がれて、今も私たちが写真を撮っているんですねぇ。
 わたしが持っている一番古いクラシックカメラ「ツァイス・イコン スーパーイコンタ」が新製品として広告に載っている雑誌を見ることが出来るとは思いませんでした。
 今から85年後の写真はどうなっているのでしょうねぇ?

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