見出し画像

伝統文化を知らない若者が映画『シネマ組踊 孝行の巻』を見てみた──世は常に生き辛い

タイラ(99年生まれ 伊良部島出身)

私は沖縄の伝統芸能・文化をほとんど知らない。15歳で育った島を出て、本島に進学した。

学生生活で見聞した沖縄の歴史や文化がほんの少し残っているのみで、高校卒業後すぐに上京したため、お盆など文化に触れた経験自体もかなり少ない。

このコラムプロジェクトは若者が体感した沖縄を綴っていくものだが、私の中にはそれが不足している。本プロジェクトを通して少しでも沖縄について知れればと思い参加していた。

そんな時主催者である、西さんから「組踊をテーマとした映画のレビューを書いてみないか?」と声をかけていただいた。

大学時代に個人ブログでエセ映画批評を量産していた私は二つ返事で依頼を受けた。伝統文化に触れつつ、映画レビューもかけるという素敵なお話だ。

組踊は琉球王国時代1719年に、玉城朝薫によって中国の使者をもてなすために作られた琉球独自の芸能だと言う。はるばる訪れた琉球の地で、初めての組踊を見る使者のごとく、何も知らない若者が桜坂劇場で公開中の『シネマ組踊 孝行の巻』をみてみた。

組踊りを永久保存する

沖縄県那覇市出身の映画監督・宮平貴子監督による映画『シネマ組踊 孝行の巻』。本作は「約300年間受け継がれる沖縄の伝統的歌舞劇・組踊」を新しい切り口で映像化するプロジェクト」。

本編では前半に組踊に関する基礎的な知識、そして今作の題目である「孝行の巻」の見所等を解説し、実際の舞台が映され演目が始まる。舞台を様々な角度から撮影し、生で鑑賞するのとはまた違った味わいが演出されている。

「予備知識、歌、演奏、舞、演者」がセットで収録されており、セリフや歌詞の翻訳も画面上に字幕表示される。いつ誰が見ても「孝行の巻」を理解でき、文化を継承するという作り手や演者の意思をも感じることができる。

本作の概要をHPで確認した際に、激しく興奮した。

私はとある記事執筆の際に、世界各国の神話について調べた事がある。翻訳された神話や解説書を読んでいると、神話の面白さを発見することができた。

物語として楽しめるのはもちろんの事だが、過去の文学を読むことは「当時生きた人間たちの思想や生活」を知る事でもあるのだ。

例えば、北欧神話には神たちが勇ましく戦うエピソードが多く収録されている。それを親しんでいた当時の北欧に住む人間たちは豪快で血気盛んだったに違いない。

というように、過去に流行した物語を知って、当時を生きた人々を想像する事ができる。その楽しみに気づいた時、私は古い書物の大切さを実感し、神学や民俗学の意義を知ったのだ。

しかし神話は口伝されたものが多いため矛盾も多く、消えてしまった話も多いそうだ。よって当時の思想を完全に理解することはできない。

それに対して『シネマ組踊 孝行の巻』はデータが消滅しない限り完璧に近い形で組踊という文化を永久に保存することができるのではないだろうか。

組踊というフィクションと、舞台を撮影するドキュメンタリーが掛け合わさったような本作のシステムは伝統文化を保存するのにかなり有用なものだ。

私はこのような形態の作品に初めて触れたので、すごく興奮してしまった。

「孝行の巻」は喜劇か

「孝行の巻」はその名の通り、ある姉弟が母親に孝行する話だ。

登場人物は貧困にあえぐ母と兄妹。彼らの村で天災を引き起こす大蛇を鎮めるための生贄の募集が行われる。

生贄に名乗り出た者の家族は、見返りとして不自由のない生活が保証されるという。兄妹は母への孝行として、自ら命を捨て生贄に名乗りでる。

あらすじを読んでみると、とても悲しい話なのだが、独特のイントネーションや声の高さで暗い雰囲気が打ち消され、私は喜劇的な見方もすることができた。

見どころの1つである「姉弟が生贄になる覚悟をする」シーンなど特にそうだ。2人の子どもたちの健気すぎる気持ち、そのあどけないやり取りが、少しづつ微笑ましく感じてくる。

年長者である姉が名乗り出るも、「一度母親の顔を見てから行く」と寂しそうに言ったり、「悲しみが顔に出ちゃうから我慢しようね」と2人で声を掛け合ったり。(その後、案の定母親に「顔色悪いよ?」と感づかれる)

セリフのリズムとトーン高い演者の声。舞台上を自由に切り取るカメラワークによって細かく見ることができる表情も相まって思わず笑顔になってしまった。

元はと言えば使者をもてなす芸事であり、琉球文化を集結させた総合芸術だ。優美な歌や踊りによって楽しませたいという意思も確かにあったはずで、当時の観客の中には姉弟の姿を見て思わず笑ったものもいるのではないだろうか。

世は常に辛く、苦しい

作品の冒頭で子どもたちが嘆くセリフが私の心に残っている。

「世の常だけど、どうして生きるって辛く苦しいのだろう」という一節だ。これは玉城朝薫の心の声であり、真理ではないか。いつの時代だって、生活するという事は辛く苦しい事なのだ。

本作は中国の儒教の影響を強く受けているそうだ。親や家族、人を敬うという教え。それに則って子どもたちは自らの命を捨て残った家族の幸せを願った。

母親は2人の行動に気づくと「親のための自死は本当の孝行ではない」と泣き、止めることのできなかった弟を叱る。「孝行の巻」の最後、「親のためにした事は仇にならない」ことを伝える歌と共に一家に奇跡が起きる。

姉弟の母親に対する強い思いが、家族を救う結果となり物語は終わっていく。だが、それは物語の中の出来事なのだ。現実は小説よりも辛く、苦しい。

もし現実で、彼ら姉弟と同じ選択をする子供がいたら‥‥。そう考えると私は胸が苦しくなった。美しい物語で感動する反面、どこか切なくなったり、「自分に何ができるのか」と考え込んでしまう。

フィクションだとわかっているのに、自分の事のように喜んだり、悩んだり、時には観客の人生まで変えてしまう。エンターテインメントを鑑賞した際のこの感覚は300年前も今も変わらないのかもしれない。創作物が持つパワーを『孝行の巻』は確かに持っていた。

それを味わうことができたのは「孝行の巻」をより分かりやすく、より面白く表現した『シネマ組踊』のおかげだ。組踊が持つエンターテインメントとしての力をよりパワーアップさせて、後世に残す事ができるのが『シネマ組踊 孝行の巻』だと私は思う。

日々の生活に追われ、自分の事ばかり考えてしまいがちだけど。健気に生きていたあの姉弟を時たま思い出しながら、私はこれからも生きていく。




この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?