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【プロサッカー選手を目指してました。〜幼少期①〜】

タイトルの通り、今回の記事では、幼少期の僕の様子を振り返りたいと思います!
その頃感じていた事、現代の子と比べた当時の僕たちの違いは何か。

3歳の頃に、姉や従姉妹の影響で地元のサッカークラブに入団しました。
当時は同級生がおらず、二つ上の姉の学年に混ざり練習を行なっていた。
入団したての頃の僕は特別サッカーに興味があった訳ではないので、練習にはほとんど参加していません。笑
参加したのは、練習前後にみんなで走るグラウンド外周のみ。それ以外は、砂場で泥団子を作ったり、体育館倉庫に隠れたりと自由に過ごしていたみたいです。
そんな僕を誰も怒らなかったし、強制もされませんでした。

練習が終わると2つ上のお兄ちゃんたちが一緒に遊んでくれて、それが楽しみで練習に行く様になり、いつしか一緒にサッカーするのが楽しくなっていました。
当時は、技術を細かく教えれるコーチは居なかったので、とにかく上手い子の真似をしていた記憶があります。当時の僕はスライディングが格好良く見えて、ひたすらスライディングをして、おじいちゃんコーチに初めて怒られたことは今でも覚えています。笑

やがて、同級生も増え、自分の学年での試合が多くなり、勝手に自分がキャプテンだと思い込み、試合中に砂遊びをしている子がいれば注意し(自分もやってたのに笑)、ルールが分からない子には教える(合っていたかどうかは分からない笑)など、サッカーに対して熱が入る様になり、「自分が一番うまい」「自分よりうまい人はいない」と思っていました。とにかくサッカーが大好きになっていた。

背番号「14」


指導者になってから、当時の幼稚園〜小学2年生の頃の自分と今のその年代の子達を比べると、明らかに技術レベルは高い。だけど、どこか不自然で機械的にうまい。だから個性が薄く感じる。
これは「教わる環境」が整っているが故に失敗が少なく、「学ぶ力」が弱くなってしまっている様に感じる。
「教わる環境」「強制」を誘発し「学ぼうとする力」を奪ってしまっている。
環境はとても大事だが、どの環境にいたとしてもその環境との向き合い方が重要である。
この問題は、選手より関わる大人達(指導者含め)の我慢と理解が必要です。

最後まで読んで頂きありがとうございました。
次回は、【プロサッカー選手を目指してました 〜幼少期②〜】です。
川崎フロンターレU15に入団した経緯、その為にしていた事などなど。

それでは、また次回お楽しみに。


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