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チャレンジ

さて、昨日1/8(月・祝)は、全国高校サッカー選手権決勝が行われていました。
選手・監督それぞれが個性を存分に発揮している様に見え、サッカーの様々な要素が詰まった、観ていてとても勉強になる試合でした。

観衆約5万5千人の中で、堂々とプレーをすること。それは、決して簡単なことでは、ないと思います。そんな中で自分のプレーに集中することもトップ選手になる上で必要な能力です。では、どうやってその能力がついていくのか。
それは、以前でも記したことがあると思いますが、【圧倒的な自信】を持つことです。それは、試合前の監督からのミーティングの声がけに頼ったものではなく、普段から自分の心の中に根付いている自信です。

【圧倒的な自信】これは、日々自分自身に課している課題にチャレンジし続けることで根付いていく。

僕は、サッカー人生で試合(公式戦)に関われない時期を長く過ごした記憶があまりない。
勿論、スタメンを外れたこともあったけど、1~2試合もすれば、スタメンを取り返せた。何故か。指導者をしている今だからよくわかる。
それは、監督が求めることを忠実にこなしていた。大きなミスをしない安定感のあるいい選手だった。

一度、スタメンから外れれば、自分の代わりに出た選手と何が違うのか。監督は、何を求めているのか。周りの選手は、どんなプレーの方がストレスなくプレー出来るのかなど、そんなことを常に意識しながら、練習・試合に望んでいた。
そして、また試合に出る。要するに自分のチャレンジはほとんどしなかった。出来ることを最大限に一生懸命プレーしていた。
調子が良かったり、悪かったりなどプレーの波は少なかった。とにかく走ることは得意だったから、試合終盤になっても走り続けられる。だからきっと、監督からの印象は良かっただろうし、使いやすく・計算が経ちやすかったはずだ。

でもそれは、安定感のあるいい選手でもなんでもない。ただ、ミスをしない様にプレーをして、チャレンジができていなかった。決して、チャレンジを恐れていた訳ではない。
試合に出ることが一番の成長だと思っていたから、自然とそういう風になってしまっていたんだと思う。

僕が、サッカーで一番成長したなと思う時期は、高校3年生の春〜大学1年生のこの一年間。現役を辞めると決めた最後の1年が一番成長した。自覚しているし、周りからも言われた。

高校2年生の冬、進路面談があった。監督から、志望する大学を聞かれた。
僕は、サッカーを辞めて、医療系の専門学校に行きたいと伝えた。
監督は驚いていた。でも僕は、理由も全部話した。そうすると、監督は、そこまで意思が堅いなら…と受け入れてくれた。間もなく、3年生になった。
3歳から始めたサッカー人生に終わりがくる。僕の現役生活のカウントダウンが始まった。
そうなると突然、今までなんとなく過ごしてた日々がもう二度とないと思うと急に寂しくなってきた。
練習前に仲間とやるボール遊びも、きつい練習も、練習後にクラブハウスで食べるご飯もその帰り道も。
当たり前になんとなく過ごしていた日々がもう味わえなくなると思うと、急に寂しくなり、「とにかく楽しもう」そう思った。

ポジション的に、脇坂泰斗(川崎フロンターレ)と近くでプレーすることが多かった。彼の要求は常に高い。「そのタイミングで要求する?」みたいなタイミングでパスを要求してくる。少し前の僕であれば、その要求を流して、安全な選択をしていたと思う。だけど、カウントダウンが始まってからは、その要求に応えてみようとチャレンジし続けた。感覚的には、ゲーム感覚。失敗してもなんとかなるでしょ!っていう。
そんなことを続けていると、それはそれはうまくなること。笑
よりサッカーが楽しくなる感覚さえあった。勿論、ミスも増えた。でも、試合には出ることはできた。
カウントダウンの最中の10月頃、当時アカデミー強化部長だった方から、サッカーを何故辞めるのか聞かれた。
結論、専門学校で取る資格を大学でサッカーと両立して、両方の夢を追いかけろと。
そして、僕は10月から大学受験に向けた、受験生の日々が始まった。笑
この話はまた別の機会にしたいと思います。

そして、皆さんが高校サッカー選手権で盛り上がる少し前の時期に、街クラブ・J下部組織の日本一を決める、【Jユースカップ】というものがあります。きっと認知度は低いですが。
そこでは、クラブ歴代最高記録【第3位】という結果(選手権だったら国立行ってます笑)で高校最後の大会を終え引退しました。

そして、その最後の試合の前日に僕は、大学の合格発表があり、無事に合格し、春から大学生になれました。

大学は、【日本体育大学】に進学しました。
部員は、1学年だけでも100名以上いて、チームはA~Eまでありました。
僕は、2月ごろから既に大学の練習には参加していましたが、全員が入学した4月に1年生のチーム分けセレクションが行われました。僕は、Aチームに入れました。

そして、本格的に活動がスタートし、試合に関われない日々が続きました。
サイドバックとしてしばらくプレーしてきたが、自分のプレーの幅を広げるためにいっそのこと、ポジションを変える決断をしました。
紅白戦や練習試合でも、インサイドハーフやボランチを積極的に志願しました。
根底は、うまくなると楽しいと高校生の頃に気が付けたので、試合に出ることよりも自分がうまくなった方が、試合に出た時にも役に立つなと。だから、慣れないポジションでうまくいかなくても、悲観的にはならず、成長過程だと思って楽しくプレーすることができました。

そして、大学一年生の1月に僕は、現役を引退し、ジュニアチームの指導者となりました。(大学は卒業し、国家資格取得)

要するに、チャレンジを楽しんでいますか?ということです。
ジュニアサッカーでよくある光景は、ミスするとベンチを見る・保護者を見る。
こんなことはよくあります。なんでかわかりますよね?
ミスしない様にボールを受けようとしない。なんでかわかりますよね?

そんな選手が、5万5千人の前で堂々とプレーできますか?
きっと人目を気にしてできる訳がありません。

ミスを恐れたミス。
チャレンジをした結果のミス。

同じミスでも大きな違いです。
チャレンジをしたミスには価値があります。そのミスの違いに気づけるかは指導者の眼が試されます。

チャレンジを恐れることで自分の未来の可能性に限界を決めてしまうことがあります。言葉では簡単ですが、行動に移すことが難しい。
子供達が行動に起こせる様に我々大人がサポートしてあげましょう。

子供の頃は、このサッカー人生がいつまでも続いていく様な感覚でいます。
でも、そうじゃない。時間は無限ではなく、有限です。
カウントダウンは始まっています。
早くして現役生活を終えるのか、長く続けられるのか。それは、未来で決まることではなく、今の一日一日の生活で決まっていく。

僕は、大人になってからチャレンジの連続です。
チャレンジをし続けると決めています。また同じ様に後悔をしたくないから。

早くても、遅くてもいいです。いつか気付ける日が来てくれたらと思います。

最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
それでは、また。








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