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【プロサッカー選手を目指していました。〜幼少期②〜】

前回の記事までの僕は、いわゆる【俺様】でした。自分が一番だと思い、全て自分で解決しようと思っていた。味方にパスをするより、自分でドリブルした方が点が取れると思っていた。だから、味方が持てばすぐにパスを欲しいと思っていたし、走らない奴がいれば、そいつの分まで走っていた。

僕の両親や親戚にサッカー経験者は一人も居なかった。
だから【全部ドリブルしなさい】とか【もっと走りなさい】など、強制された事がなかった。
点を取りたいから【ドリブル】をしたし、負けたくないから【走った】
そのせいで負けた事もあった。
だから、コーチは【パス】も教えてくれたし、【チームワーク】を教えてくれて、もっとサッカーが好きになった。

そんなサッカーも大好き、チームも大好きだった僕も小学4年生の夏「移籍」する事になった。
移籍する事になったきっかけは、母親からの勧めだった。
「チーム変えてみる?」この言葉に僕は、即答で「やだ」と答えた。笑
なぜなら自分が一番上手くて、偉そうにできて。気持ちのいい立ち位置だった
から。
僕は移籍を切り出して来た母親を疑った。
ただ、僕はかなりシャイな人間で、サッカー以外の習い事はお姉ちゃんが一緒じゃないと嫌だったし、サッカースクールもみんなに歓迎されるのが嫌で練習が始まってみんなが自分に注目してない頃に参加するという戦法を使っていた。笑
母親曰く、そんな性格だったから、学校で毎日会っている子達と同じチームではなく、誰も知らない【環境】に身を置かせたかったとのこと。だから、嫌がる僕を無理矢理、クラブチームの体験に連れて行った。
当時の僕は、母親の考えなど知らず、体験初日は練習に参加しませんでした。笑

それでも、「移籍」を決めたのは、とにかく試合が沢山あった事。
少年団の頃は、土日両日練習が普通だった。でも、このクラブチームは、週末はほぼ試合。しかも、相手も強い。そんな魅力に惹きつけられ「移籍」をする事になった。
この移籍が僕のサッカー人生を大きく変えた。

チームに合流して、約2週間、周りに上手い子は増えたけど、なんだかんだ自分が一番な気がしていて、案の定、一つ上の学年に帯同させてもらっていた。
一つ上の学年でも試合には出れて。相手の学年も上だから上手くいかない事も多かったけど、とにかく楽しかった。

一ヶ月過ぎた頃、久々に自分の学年に召集がかかった。
すると自学年のメンバーに見た事ない奴がいた。
新しく入った?
でもみんなとやたら仲がいい。しかも背番号「10」
どうやら、1個上を飛び超えて2つ上に帯同していたらしい。このチームのエースだった。
練習が始めれば納得。めちゃくちゃうまかった。テクニックは勿論だけど、身体の使い方が今まで感じたことのない感覚だった。
その日、僕はかなりショックだった。認めたくなくても認めるしかない、自分よりうまい人が同学年にいたことがショックだった。今まで経験したことがなかったから。そんな落ち込んでいる僕を両親は慰めながらもどこか嬉しそうに笑っていた。

後に僕もそのエースと一緒に2つ学年に帯同する様になったが、とにかく練習した。
恥ずかしいが、4年生の頃までリフティングは10回くらいしかできなかった。
だけど、移籍したチームでの遊びはサッカーテニス。リフティングができないと遊びの輪に入れない。今までリフティングなんか興味なかったけど、暇さえあればリフティングの練習をした。たった1~2週間で100回は余裕に超えた。次いつサッカーテニスがあるか分かんないから必死に練習した。笑
大事だったのは、まず「興味をもつ」事だった。

こんな経験がいっぱいあった。その度に練習して、次の週末を迎えて。できる様になっている自分を実感するのも嬉しかったし、まだできないことを練習したいと思った。だから、毎週末が楽しみで仕方なかった。

こんな経験が出来たのも、教わる環境が少なかったからだと思う。
当時サッカーをやっていた回数は週に3回だけ、平日1回のスクールと週末土日のチームの活動のみ。
だから、「これを練習したい」と思った時に練習できる時間があった。とことんやり込めた。聞ける人がいないから、真似をする or 出来ない理由を自分なりに考えてやった。靴のせいにしたり、地面が斜めだから出来ないと言い訳したり。(いいことではない。笑)
でも、練習する→失敗→考えて工夫する→成功 or 失敗の流れが自然に出来ていた。そうするしかなかったから。

でもサッカーだけをしていた訳ではない。それはやりたくなかった訳ではなくて、他にやりたいことがたくさんあった。やりたくなったらまたやる。だから、いやいやサッカーをやったことがなかった。
だから、みんなで野球をめちゃくちゃ練習した時もあったし、バスケットにハマった時もあった。

今は、毎日どこかしらのスクールに通い、サッカーをやっている選手も多い。それだけスクールがあちこちにあるし、「教わる環境」が整っているのはとてもいいこと。
だけど、スクールやチーム練習にはある程度、教えたいことがある。
だから、必ずしも今の自分がやりたいこととマッチしない事もある。その機会が多ければ多いほど、自分で「学んでいく機会」が少なくなっていく。
不思議とそういう選手ほど、上手いのに目が輝いていない。
教えれば教えた分だけ子供は上達するし、強制をする事で拘りに繋がるとも思う。だから、指導中はその線引きに気を付ける様に意識している。

最近は、サッカーをやらない日がある事で、サッカーを成長させてくれると思っている。OFF明けの選手はモチベーションが高いとも感じる。

やりたいと思った時が成長するチャンスでその時にどんな環境にいるか。その時間があるか。その【環境】に選手を導く。

移籍して環境を変えた事で、サッカーへの向き合い方が変わった。
おかげで、地域選抜や市選抜(川崎市)、県トレセンにも選ばれた。

自分に合った【環境】に身を置く事。慎重に考えるべきですね。

この頃の思いが今も鮮明に覚えていて、予想以上に長くなりました。
でも、その後のサッカー人生でも活かせた事、高校生の時、あの時にこうしておけば…と思ったのもこの頃の事でした。

それでは、また!





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