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「文化」と"Culture":日本語と英語、それぞれの言語表現について考える

言語についてたまに考えることがあります。私は日本語が母語で、第二言語が英語です。大学の頃に習っただけですが、一応、第三言語はフランス語です。

それから、世界の文化芸術や旅に行くことが大好きなので、言語は文化の一部ということもあり、興味のある国の簡単な挨拶は覚えるようにしています。

ですが、やはり言語の習得はとても難しいと感じるので(日本語でさえも奥が深く、ある意味習得中だし)、色々な国の言葉を理解して、自由に喋ることができたらどんなに楽しいだろう!と思います。「ほんやくコンニャク(ドラえもんの道具)」があったらいいのにな、と本気で思うくらい。

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ドラえもんのひみつ道具を一つもらえるとしたらより)


世界には本当に色々な言語がありますが、共通語として機能するのは、やはり英語だなと感じます。私はイギリスやアメリカなど、英語が母国語の文化が好きなので英語の表現が好きですが(英米文学部卒ということもあり)、それ以上に「共通語」としての使い方の方が多いようにも思います。

日本人にとっても、一番身近な外国語の英語の中から、今日は単語「文化」と"Culture"を例にとって、日本語と英語それぞれの表現について書いてみたいと思います(割と真面目に)。


外国人とお話するときなど、ロスト・イン・トランスレーション(異文化をまるごと正しく移し替えるのは無理で、かならずなにかが失われてしまう)を感じることがあるのですが、やはり言葉には限界があって、その背景を深く理解した上でのこの言葉、という文脈まではなかなか伝わりづらいことがあります。

(私のnoteではよくある、まず最初にその意味を紹介しますね)

文化(日本語)
人間の知的洗練や精神的進歩とその成果、特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが、今日ではより広く,ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い。このように定義される文化は、言語、思想、信仰、慣習、タブー、掟、制度、道具、技術、芸術作品、儀礼、儀式などから構成される。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

1. 社会を構成する人々によって習得・共有・伝達される行動様式ないし生活様式の総体。言語・習俗・道徳・宗教,種々の制度などはその具体例。文化相対主義においては、それぞれの人間集団は個別の文化をもち、個別文化はそれぞれ独自の価値をもっており、その間に高低・優劣の差はないとされる。カルチャー。
2. 学問・芸術・宗教・道徳など,主として精神的活動から生み出されたもの。
3. 世の中が開け進み、生活が快適で便利になること。文明開化。
4. 他の語の上に付いて、ハイカラ・便利・新式などの意を表す。
三省堂 大辞林
Culture(英語)
教養、洗練、(ある国・ある時代の)文化、精神文明、(伝承される信仰・伝統・習俗などの総体としての)文化、カルチャ
研究社 新英和中辞典

【他動】
1. 〔農作物を〕栽培する
2. 《生物》〔微生物などを〕培養する
3. 《生物》~を培地として用いる
【名】
1. 〔社会の〕文化◆受け継がれてきた社会の行動様式、思想、芸術、制度などの総体で、特定の時代や地域の名前と共に用いられることがある。
2. 〔特定の集団固有の〕行動[思考]様式、文化、カルチャー
3. 〔芸術や学問の〕精神活動、知的産物
4. 〔芸術や学問の〕修養、修練
5. 〔芸術や学問の高度な〕教養、素養、洗練
6. 〔技能や運動能力の〕向上、訓練
7. 〔動植物の〕栽培、養殖
8. 〔土地の〕耕作
9. 《生物》〔培地による〕培養(物)
英辞郎 on the web

日本語辞書、英語辞書それぞれ2つずつ引用しましたが、その解説の違いについて、いかがでしょうか?


辞書の定義を参考にしつつ、一般的に「文化」というと「人間の知的洗練や精神的進歩とその成果、特に芸術や文学の産物を意味する場合もあるが、今日ではより広く、ある社会の成員が共有している行動様式や物質的側面を含めた生活様式をさすことが多い」を連想する人が多いと思います。

私は特に、芸術や文学が好きなので、その成果物と、それらを創り出す行為や、人々の営みもそうなんじゃないかな?と思っていたのですが、英語圏の人と話すと、ちょっとニュアンスが違っていて、会話が少しすれ違っている感じがしたので辞書で調べてみたのです。


上記の英語辞書にもある通り、洗練、教養、素養、修養、修練との意味も含まれていることを知り、納得しました。日本語で文化は名詞なのですが、英語だと動詞の意味が強く、能動的に勉強し、向上させるという行為も含まれている印象です。なので、会話をしていてどうもズレているな?と感じたのは、この違いが原因だったことを学びました。


(日本語同士でも深い理解は難しいのに)外国語となると、違う言語で置き換えることは不可能とすら感じ、あきらめている部分も正直あります。でもだからこそ、分かろうと努めることが楽しかったり、言語ではなく、エネルギーの交換みたいなところで、コミュニケーションが取れたときは、とても嬉しく感じます。(大阪のおばちゃんが日本語のままで、外国人と会話ができるような感じというか)

それから、「文化」と"Culture"それぞれの解釈を学ぶことで、学びが深まるので、言語(文化)を学ぶことの楽しさを感じたりもします。

こんな所にワクワクを感じる私ですが、今日の内容についてどう思われますか?

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