見出し画像

家族、それもありふれた

お父さんが私に欲情していると知ったのは、確か中学1年生の時だった。その時から、家族とは酷く不安定な繋がりと考える様になった。
 
小学生も折り返し地点を過ぎた頃、私は人の心を読めるようになった。相手を少し見つめてみれば、秘したる内心も蠢く情念も、全て読み取ることが出来た。あまりにも自然に読む事ができたものだから、最初は何か酷い病気にかかったのと勘違いした。その能力が芽生えた頃の私は、恥ずかしい位に舞い上がっていた。自分だけが使える能力、それも誰もが秘密にしたいあれこれを丸裸にできる能力を使えるという事実は、まだ物心がついたかも怪しい時期だった私を浮かれさせるには十分すぎた。だけど、この能力にも慣れた頃、見えすぎてしまう事は必ずしも幸福ではないと気付いた。泣いていた私を抱きしめてくれた先生も、お人形みたいな容姿でクラスの羨望を一手に引き受けるあの娘も、一度感情を読んでみれば不満と諦観に満ちたどこにでもいる人で。そういった出来事を経て、1ヶ月も経つ頃には、他人の感情を読もうとしなくなった。
 
それでも、人の感情を覗き見する誘惑には抗えない。一度自分の中に選択肢が出来てしまった以上、その誘惑は常に後ろ髪を引き続けた。相手が何を考えているのか、私のことをどう思っているのか知りたくて仕方なかった。むしろ他の人は耐えられているのだろうか、目の前にいる人物がどんな感情を抱えているか窺い知る事はできない事実に。それでも知って良いことなんかないと自分を言い聞かせて、言い聞かせて、そうしている間に小学校は卒業してしまった。
 
中学生になって少し経ち、秋風が髪を揺らし始めた頃、友達と口論になった。理由はとても些細なことだったと思う。今自分が思い出せないのだから、きっと大した事ではないのだろう。重ねて言うと、今もその友達とは仲良くできているから本当に大した理由ではなかったと思う。思い出話にも上がりそうにない程に。ただ、その時に言われた一言があまりにも劇的だった。その一言だけは今でもはっきり覚えている。
 
「あんたの事ずっと嫌いだったよ。」
 
正直に言うと、あまり信じたくなかった。小学生の頃感情を読んだその子はアイドルと少女漫画が好きなごくごく普通の明るい女の子だったし、誰かを嫌いになるような子ではなかった。ましてや、その対象が私になるなんて思ってもいなかった。ふと怖くなってその子の感情を覗き見てみれば、なるほど本人が言った通り私への嫌悪に満ち溢れていた。後にその子とは仲直りをしたし、今彼女が私に向けている感情は紛れもなく友情だと知っている。それでも、この一件は私の胸に強く刻まれる事となった。そして、他者が自分に抱えている思いを再確認したいと思った。もし、誰かが私を嫌っていたとして、それを急に知るよりはあらかじめ知っておいた方が痛くない、そう考えていた。
 
思えば、ここで引き返すべきだったと思う。
 
最初に感情を覗き見たのは、家族だった。家族は私のことを嫌っていない実感があったし、家族位には無条件で愛されていたかった。信頼できる拠り所であってほしかった。まず覗き見たのはおばあちゃん。昔はよく散歩に連れて行ってくれたけど、膝を悪くしてからすっかり塞ぎ込んで外にも出なくなっていた。中学生になってからはあまり話さなくなったけど、何を思っているのだろうか。そう思っておばあちゃんを見つめてみた。おばあちゃんが抱いていた感情の大部分は恐怖と家族への感謝だった。恐怖は、きっと死に対してだろう。少しずつ近づいてくる死、逃れようのない終わりへの恐れを、若き私はきっと想像も出来ない。それでも、家族への感謝を持っているのは、まだ元気だった頃のおばあちゃんを思い出して少し嬉しかった。また、私に抱いていた感情は大別すると期待と戸惑いだった。きっと、おばあちゃんも少しずつ成長していく私に、どの様に接するべきか悩んでいるのだろう。まだ孫を持ったことがないから分からないけど、孫を持てばこの気持ちも理解出来るようになるのだろうか。おばあちゃんがまだ私のことを好きでいてくれる内に、この思いを抱いている内に、たくさん喋ってみよう。そう決意した。
 
次に覗き見たのは、お母さんだった。少し口煩くて、家でくだらないバラエティ番組ばかり見ているお母さんの感情は、心配と不安に満ちていた。出来るならもっと前向きな感情を持っていてほしかったけど、家のローンや学費とその他諸々について考えれば、後ろ向きな感情ばかりになるのは仕方ないと思う。むしろ、ここまで暗い思いを抱えているのに、それを表に出さないでいるのは本当に尊敬できることだ。多分、私には出来ない。来年の母の日には、何かプレゼントでもしてあげよう。私に抱いていた感情は、大体おばあちゃんと一緒で期待と戸惑いが大部分を占めていた。人の親になれば、子供が独り立ちするまではずっと期待と戸惑いに苛まれ続けるのだろうか。いずれ来るかもしれない苦境を予習してしまった気分になって、家族の感情を覗き見たことを後悔し始めた。ちなみに大部分と表現したのはほんの少しだけ別の感情も込められていたからで、その感情を読み解いてみると、それは嫉妬だった。お母さんはなんで私に嫉妬などしているのだろう。
 
ここまで来たらお父さんの感情も見てみたくなってしまう。ここ最近は仕事が忙しくて、毎日帰ってくる頃には一日が終わっているし、休日はずっと家で眠っているお父さん。それでも、たまに食卓を共にすれば私のことを心配し笑顔を絶やさずにいてくれるお父さんは、何を思っているのだろうか。ただ、その日は急な出張で数日の間家を空けていたから、帰って来てからお父さんの感情を覗き見ることにした。そして人の感情を覗き見るのはこれっきりにしようと決意した。
 
数日後、確かその日は雨が降っていた。駅まで傘を持ってお父さんを迎えにいくよう頼まれて、私は駅へと向かった。改札の前で少し待っていると、遠くにお父さんを見つけた。数日とはいえ家を離れると淋しいものなのだろうか、私を視界に捉えたお父さんは嬉しそうに大きく手を振っていた。正直なところかなり恥ずかしかったけど、不思議と悪い気はしなかった。大分前に感情を覗いた時は家族への愛に満ち溢れていたお父さんのことだ、きっと今感情を覗き見ても家族への愛や今後の不安位しか思っていないのだろう。

雨の中、傘を差して家路に着く。上着を着てこなかったことを後悔する程度には肌寒い夜だった。他愛のないことを話しながら、隙を見て感情を覗き見てみる。予想通り、お父さんの感情は家族への愛、それも私への愛で満ちていた。一瞬安堵したが何かがおかしい。この感情はお母さんやおばあちゃんが持っていたそれとは違う。どちらかといえば、昔一部の男子が私に向けていた感情と近いような気がした。でも、それよりもはるかに粘り気があって、あるはずがないのに質量を感じた。数瞬の間理解が及ばなかったけど、やっとこの感情が何なのか解明した。というよりも、本能で分かってしまった。この感情こそが欲情というものなのだろう。そして、私へと向ける欲情こそが、お父さんが抱く感情の全てだった。
 
あれから数ヶ月が経って、今や吐く息がガラスを曇らせる季節になった。季節が変わっても、お父さんの感情を読んでしまった夜について鮮明に思い出せる。あの日以来、感情を覗く事にも覗かずに何を思っているか分からないままでいる事にも同じ位恐怖を覚えるようになっていた。目の前にいる相手が何を思っているのか知りたくてたまらない、でも何を思っているか知ってしまったら今まで通りの関係ではいられなくなってしまう。実際、お父さんとは今まで通り接することは出来なくなってしまった。前までは顔を合わせればその日学校で起きた出来事や部活動について他愛のない話を繰り広げていたのに、今では同じ空間にいることさえ怖くなってしまった。食卓で一緒になってもすぐ自分の部屋に逃げてしまう。そんな私を心配してかお父さんは時折部屋を訪れて来たけど、扉を開けることは出来なかった。そもそも部屋を訪れた際に抱いていた感情が心配であったかすら分からない。もしも別の目的を持っていてそれを果たすために部屋を訪れたとしたら、そんな恐ろしい想像を一通り繰り広げてしまう。
 
とにかく少しでもお父さんといる時間を減らしたい、そう思ってお母さんにも相談してみたけど笑い飛ばされてしまった。この悩みを、思春期特有の反抗とでも考えているのだろうか。この悩みはそんな生易しいものでは無い。生存にも関わる重大な事項だ。とにかくお父さんから離れたい。高校生になったら寮生活でも初めようか。それでも、あと2年間はこの家にいる必要がある。私に欲情する男がいる家にいなくてはならない。家族が家族である以上、容易に離れることは出来ないと痛感した。少なくとも、中学1年生の私には繋がりを断ち切って安息を得られるほどの力は無い。
 
恐怖と共に日々を過ごしていたある日、お母さんが一週間程実家に帰省することになった。理由はよく覚えていない、説明してくれたけど、ショックで耳に入ってこなかった。お母さんが口酸っぱく、「お父さんと、仲良くね。」と繰り返していたことは覚えている。
 
この一週間の間はなるだけお父さんと同じ空間にいないようにと決めて、その決意通り動いていた。おばあちゃんと楽しく話している時も、お父さんが帰ってきた物音が聞こえればすぐ自室へと戻り、食事も自分の部屋で取るようにしている。たまたま居間にお父さんがいた時も、そそくさと用事を済ませてお父さんの目を見もしなかった。この一週間が1秒でも早く終わる事を心から望んでいた。
 
お母さんが実家に戻って4日程経った。お風呂から上がり髪を乾かした私は階段を上がり自室へと向かう。そして、向かう最中廊下の曲がり角を越えた時気づいた。お父さんが私の部屋の前に立っている。常夜灯に照らされた表情を窺い知ることは出来ない。オレンジ色の光に照らされた父は、この世のものでは無いみたいで、何か人間ではない禍々しい存在のように見えた。完全に立ち止まっていた私に気づいたお父さんは、こちらに向かって歩を進めてくる。スリッパを履いているからか足音はしない。そのせいか、幽霊が憑き殺す獲物を見つけた様子を連想した。距離にすれば数メートル、時間にすれば数秒で詰められる程度の距離にいたのに、お父さんが向かってくるこの数秒が永遠のように感じる。恐怖で足が動かないし、声も出ない。人は本当に恐怖すると、震えすら起きないとこんな時に知った。完全に距離を詰めたお父さんは、腰を曲げ、私に視線を合わせて来た。何かを言っているようだが、恐怖でパニックになっている私の耳には入らない。完全に固まっている私にお父さんは何度も語りかけて来る。やがて私はお父さんがなんて言っているか聞き取る事ができた。
 
「大丈夫か?」
 
なおも動揺している私の目を見据えて、お父さんは続けて語りかけてくる。
 
「最近、何か様子が変だったから心配してたんだよ。どこか具合でも悪いのか?」
 
答えられず狼狽えていた私の頭を軽く撫でて、お父さんは去っていった。こうしている間も感情を覗き見てみたけど、脳内は私への劣情に支配されていた。私は困惑していた。私を優しく心配してくれる外面と私に欲情している内面、一体どちらが本当のお父さんなのだろう?
 
 
 
 
 
 


それからまた数ヶ月が経った。ダッフルコートがいらなくなって春がきた事を実感する。思うに、家族とは互いの強い理性によって縺れながら成り立っている弱い共同体なのだろう。私への欲望を抱えながらそれをおくびにも出さないお父さんと、それを知りながら日々を過ごしている私。お母さんとおばあちゃんも、それぞれ不安や恐怖を抱えながら生きている。それらを抱えながら、各々の立場を全うすることによってのみ家族という共同体は成立する。正月に撮った家族写真を眺めながら、そんな事を考えていた。写真の中のお父さんは、じっと私を見つめていた。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?