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検察官は私に、被告に殴りかかってはいけないとは指示しなかった。

昨年の8月31日、私は久々にカッチリとスーツを着込み、仕事然として、虎ノ門ヒルズ駅最寄りのホテルオークラにいた。新しくなったオークラに行くのは初めてであった。
刑事裁判の準備と同時並行で進めていた仕事が無事に終わり、労いも兼ねてランチでも食べようとお客さんにお誘いを受けたのである。

裁判の準備は非常に苦しい。
思い出さねばならない事、理性的に我慢せねばならない事、その様な重たく心に負荷をかけねばならない事が沢山あるからだ。
しかし、生活をするためには働かねばならない。
何とかクローズさせた仕事であった。

お客さんはテレビのニュースでたまたま私の事を見たと話し、ご自身も海外赴任中に奥様が流産したエピソードで私を慰めてくれた。
私は、それは大変お気の毒でしたねと、それらしき表情を作りその時を過ごした。

ランチを終え、地下鉄で帰路についた。
途中、地下鉄は霞が関駅に停車した。

霞が関駅には東京地方裁判所がある。昨年2022年の3月私はそこにいた。そして、私の目の前20メートルほどには、娘と私を轢いた男がいた。


裁判が開かれる5日前、私は地元駅の年季の入った写真館に行った。
法廷に持ち込む遺影を作るためである。

しなびた商店街の一角にある写真館。
ショーウィンドウには、七五三や家族写真など幸せの象徴であるモデル写真が並ぶ。
 
裁判の際、遺影は法廷に持ち込む事はできるが、法廷のバーの中には持ち込めない。(バーの外は傍聴席である。被害者参加制度を使うと遺族はバーの中で被告と物理的にのみ対峙できる。) 頑としてバーの中へは持ち込みは不可であると言われ、結局、傍聴席で義母に持ってもらった。

遺影は、開廷時のみ膝の上に立て掛ける事ができ、休廷時には伏せておかなければならない。
被告、裁判長、裁判員に見せつける様な行動はしてはならない。(膝に置いておく) 額縁はガラス製の物は不可(凶器になるため)である等々、様々な指示を受け、我々はそれを忠実に守った。

様々に事細かに指示を受けたが、検察官は私に、被告に殴りかかってはいけないとは指示しなかった。 そんな事は言わずもがなの常識だからか。

しかし、言わずもがなの常識を破り、娘を殺めた男を前に、法廷の秩序を守るためと、遺影の持ち込みを始めとして数々の注文を付けてくる司法とは一体何なのか? 起きてしまった悲劇は取り返しがつかないからと、冷静顔でそのアンバランスの皺を被害者にだけ寄せて澄ましている。

そもそも、娘の遺影ってなんだよ?と霞が関駅を発車して次の駅で降車する心積もりをしながら、二度とは戻れない日常を思った。

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