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舞台 「今日もしんでるあいしてる」 観劇レビュー 2021/02/20

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【写真引用元】
悪い芝居公式Twitter
https://twitter.com/waruishibai

公演タイトル:「今日もしんでるあいしてる」
劇団:悪い芝居
劇場:本多劇場
作・演出:山崎彬
出演:牧田哲也、文目ゆかり、潮みか、内田健司、キムアス、山崎彬、東直輝、南岡萌愛、植田順平、香月ハル、井上メテオ、関口きらら、粟根まこと
公演期間:2/14〜2/21(東京)
上演時間:約2時間
作品キーワード:コロナ禍、舞台美術、生演奏、家族、愛、感動する
個人評価:★★★★☆☆☆☆☆☆


シアタートラムで観た「ミー・アット・ザ・ズー」以来、1年2ヶ月ぶりの悪い芝居の新作公演を観劇。意外にも本多劇場での公演は悪い芝居としては初めてだそう。
物語は新型ウイルス蔓延によるエンタメ業界の活動自粛をベースに、死んだことを自覚していない病気で亡くなった妻を愛し続けながら暮らす、九木大(ココノキダイ)の半生を描いた作品。
演劇・音楽・飲食業界の活動自粛によって心から叫びたくなる彼らの本音が散りばめられた作品で、台詞一つ一つが素っ裸で嘘偽りのないピュアな内容となっていた。だからこそ観客に対してストレートに思いが伝わる感動作になったのだと思った。役者としてはこんなにも気持ちよく演じることの出来る作品ってなかなか無いだろう。表現者に物凄く支持される作品となっている事は非常に良く理解出来る。
ただ個人的にはこの作品は凄く刺さった訳ではなかった。考察部分でも記載するが、照明・音響を含めた舞台セットや役者それぞれの演技にかける熱量は素晴らしかったのだが、エンターテインメントに対するエゴが凄く強く感じられて、正月の餅を詰まらせて亡くなる人を揶揄する例に違和感を感じたりと、自分が表現者である訳ではない分一般人として引っ掛かるワードが複数見受けられたからだろう。また、終盤の九木大、九木儚、恥毬鼓動のシーンは物凄く惹き付けられたのだが、前半のシーンはただ役者が馬鹿を破っているだけのシーンが多く感じられて冗長に感じたのもある。
しかしテーマとしてはとても深く、人を愛することは何か、生きること・死ぬことって何なのかを自問させてくれて、改めて考えさせる深い作品だった。
特に表現者をやっている人、エンターテインメントに携わっている人にオススメしたい作品。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/416393


【鑑賞動機】

過去に何度も観劇したことのある悪い芝居の新作公演だったから。1年以上も前から2021年2月に本多劇場で初めて公演を打つと告知されていたので、その頃からずっと観劇しようと思っていた。期待値は高めだった。


【ストーリー・内容】(※ネタバレあり)

この作品のストーリー進行は時系列がごちゃ混ぜ(山崎彬さんの脚本ではよくある話)だったので、こちらでは時系列順にストーリーを書き記していく。

九木大(牧田哲也)はある日、傘盗善太郎(キムアス)、愛野乱痴気(山崎彬)、そして後に九木大と結婚することになる九木儚(文目ゆかり)と出会い、彼らが結成している音楽バンドのメンバーの一員となる。九木大はボーカル、傘盗善太郎はギターとして活動していくことになる。
やがて九木大と儚はお互いを愛し合い結婚することになる(ここを描写するシーンはたしか描かれていなかったが、そういう設定となっていた)。

しかし、九木儚は病で入院することになる。よりによってそれは新型ウイルスによってエンタメ業界全体が活動自粛を強いられている期間だった。
入院している儚に元気になってもらいたいと思った九木大は、無観客の中で配信で音楽ライブを開催することになる。タブレットから視聴している儚に向けて、九木大と傘盗善太郎、そして愛野乱痴気は精一杯歌ってエンタメを彼女に届けた。

だが、儚は病によって命を落としてしまう。悲しみに暮れる九木大。
そこへ、逆井祈子(潮みか)が現れる。彼女も最愛の彼氏である蚊又念(内田健司)という男がいた。しかし、蚊又念は自殺したいと望んでいた。桜が満開の木の下で自殺したいと。逆井祈子は、蚊又念の自殺を助けた。車や練炭も用意した。蚊又念の望み通り桜が満開の木の下で彼を自殺させた。それによって逆井祈子は殺害犯として逮捕され、暫く刑務所生活を過ごした後、シャバに戻ってきたのだった。
しかし、蚊又念は自殺して死んだもののまだこの世に存在していて、お互いに会話することも出来るのだった。勿論、蚊又念自身は自分が自殺して死んでいることは自覚しているのだが、こうやって死んでも逆井祈子の前に存在していられるのは、お互いへの愛が深かったからであると。

逆井祈子は、九木大へこう進言する。九木儚は病気で死んでも九木大の目の前に存在し続け、一緒に暮らしていける。それは、九木大と九木儚のお互いの愛が深いからであると。
儚は眠るようにして息を引き取るが、逆井祈子の言う通り儚は死んでも九木大の目の前に存在し続け、一緒に暮らしていくことが出来た。しかし、蚊又念と違って儚は自分が死んでしまっているという自覚がなかった。自分も生きていると信じ続けたまま九木大のそばにいた。

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【写真引用元】
ステージナタリー
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九木家には、放送受信料の取り立てにやってくる印波情介(植田順平)と具美咲美(香月ハル)が度々現れたが、九木大は彼らを追い返して儚との時間を大切にした。
儚は自分が死んでしまったことを知らないため、食べ物を食べても味がしなくなってしまった理由をを知らなかった。九木大は、儚が自身が死んでいることを悟らないように嘘をついて味がしなくなったこともごまかしていた。

九木大は歳を取って、恥毬鼓動(粟根まこと)となって儚が死んでも自分のそばに居続ける現象について講演して回っていた。
しかし、次第に自分は歳を取っていく一方の中で、死んでいるため歳を取らない儚に対してギャップを感じ始めて苦しくなっていた。
ある時恥毬鼓動は儚に対して、儚は随分と昔に死んでしまっていることを彼女に告げる。すると、儚は以前も同じことを聞かされたことがあって知っていたが、すぐに忘れてしまうのだと答える。
それに加えて儚は恥毬鼓動に対して、愛しているのは儚自身ではなく愛の始まりと果てを愛しているだけに過ぎないと言う。それは自分に対する愛であって儚に対する愛ではないと。儚に対する愛は、その愛の始まりと果ての途中に散りばめられているものなのだと言う。
歳を取った恥毬鼓動と九木大は、その儚の言葉を聞いてすすり泣く。

恥毬鼓動はやがて死去する。彼の葬儀には超高齢なはずだが若々しい音楽バンドのメンバーたちが花を手向けに来ていた。
ここで物語は終了する。

あくまで時系列順に語ると以上のような内容になるが、劇中ではこのように進行しておらず、序盤は病気で亡くなってしまった儚と九木大の2人が暮らしている中に、放送受信料取り立てが来るシーンから始まり、そこから過去に遡って儚と九木大の出会いや、エンタメ業界自粛中の儚へ向けた音楽ライブがあって、儚は死去し、そして最後に恥毬鼓動が儚に対して、彼女は死んでいるのだということをカミングアウトするシーンへと繋がっていく。
本当に山崎彬さんは時系列をごちゃまぜにして作品を描くのが上手いこと。時系列順に描くよりも、このように作品を展開された方が、最初は何だ?と思ってしまうが後々から作品全体の伏線が回収されていくような感覚に陥ることが出来て好きである。

ただストーリーのあらすじには書かなかったが、今作は個人的には序盤のお好み焼き屋のくだりが冗長に見えて、前半のストーリーには飽きてしまっていた。後半の儚と恥毬鼓動のシーンは深みもあって惹き込まれたのだが、そこが残念だった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
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【世界観・演出】(※ネタバレあり)

本多劇場公演ということもあり、舞台美術全般に関して非常に力が入っていた印象だが、前作の「ミー・アット・ザ・ズー」と比較してしまうとやや美術センスは劣っていたと感じた。ただ、舞台装置、衣装、照明、音響、プロジェクションマッピング全てに趣向が凝らされていたのは事実なのでそれらを書き記していく。

まずは舞台装置だが、セット自体は物凄く大掛かりなものが用意されていた。
下手側には、くの字に曲がって上がっていく階段が設置されており、階段の上には高台が用意されていた。そこで恥毬鼓動が若き九木大と儚のやり取りを見守っていたりと効果的な使われ方がなされていた。その階段の下には儚が眠っているベッドが設置されていて九木家のシーンでよく登場するが、このベッドが白い衣装の儚と良くハマっていてある意味白装束的なニュアンスも含まれている気がして良かった。
中央には一番目に止まりやすいサークル型をしたカーテンで仕切られた空間が設置されている。このカーテンに映像を投影することによってプロジェクションマッピングが映し出されたり、この空間に入り込むことによって蚊又念や儚が存在したまま死ぬという現象が起こる、かなり舞台上で重要な役割を果たす舞台装置である。かつて、2018年〜2019年に開催されていた松任谷由実さんのコンサートである「タイムマシンツアー」で起用されていた、円柱の側面がカーテンのようなスクリーンになっていて、そこに映像が投影されてプロジェクションマッピングみたいになっていたあの感じを思い出した。非常に舞台演出として面白い仕掛けだった。
舞台上手側には、九木家のシーンやお好み焼き屋のシーンで登場するキッチンが存在していた。あそこで、様々な食べ物(アメリカンドッグ、冷凍ドリア、冷凍パスタなど)が出てくる。一番最初のシーンで九木大が何かを食べているシーンもこのキッチンから始まった。
それから、舞台の天井からは数々の逆さまにぶら下がったブーケットが垂れ下がっていて、このセンスがなんとも素敵だと感じた。照明の項目でも記載するが、このブーケットは吊り照明の装飾なので舞台中光り輝くシーンなどがある。これがなんとも舞台映えしていて素晴らしかった。
また、舞台の上の方に複数設置されていた鏡を模した四角いパネルのような装飾も素敵だった。こちらにも映像が映し出されてスクリーンのような扱い方をあれていたが、舞台装置としての美しさも感じられて好きだった。

次に衣装だが、こちらもどのキャストの衣装も手抜かりなくクオリティ高く用意されていた。
特に私が素敵だと思ったのは、舞台装置の項目でも記載した儚の白いワンピース衣装。私はこの白を死んだ人間という意味での白装束と解釈した。この白いワンピースと長い黒髪という儚のビジュアルが凄く舞台上に映えていた。
次に、九木大と恥毬鼓動の白いが薄汚れてクリーム色のようになった服装。2人は同一人物なので似た服装をしているのは分かるが、あの年季の入った古めかしさは個人的に好きだった。その上にオレンジ色のエプロンというのもチャーミングで笑える。
そして、愛野乱痴気、竜巻平人、絵喪原聖たちのピンクやら黄色やら、茶色やらのカラフルな衣装。前作の「ミー・アット・ザ・ズー」においても田中怜子さん演じる恋住闇も似たような衣装だった気がする。こういうカラフルで芸術的な衣装悪い芝居さんは好きなのだろうか。非常にキャラクターとして目立っていた印象。

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【写真引用元】
ステージナタリー
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次に照明、照明も本当に素晴らしかった。
一番好きだった照明演出のシーンは3つある。1つ目はオープニングの音楽もガンガンにかかりながらの演出シーンで、天井から吊るされているブーケットが光り輝くのも見応え抜群だったのだが、電球のようなちっこい明かりが天井から沢山光り輝いていたのも印象的。
もう一つのシーンは、やはり九木大が音楽ライブで歌を歌って入院中の儚に届けるシーンの照明。あの時の明かりが客明かりも付いていた気が確かして、会場全体で音楽ライブ盛り上げようぜ!的な演出が凄く良かった。勿論舞台上の照明も格好良かったのだが、客明かりが付いていたのは珍しかったので印象に残った。
照明とは関係ないが、この後の舞台上のテンションと客席のしんみりとした感じの温度差を皮肉って、逆井祈子が「観客こんな感じだけど」と表現者たちのエゴを強く感じさせるような演出もあれはあれで良かった。
そして3つ目は、儚が亡くなるシーンで中央のサークル型に囲われた空間だけ明るく照らされるシーンも魅力的だった。何かここから不思議なことが起こるというのを上手く演出している気がした。

そして音響だが、オープニングとエンディングの明るめの音楽が凄く印象に残っている。何かディズニーランドのようなテーマパークに来た感じの音楽で、照明も相まって凄くエンターテインメントというか明るく楽しめるような楽園のような演出に思われた。これは、舞台の脚本と合っているかというと分からないが、少なくとも舞台装置と照明効果とは合っていたと思う。
そしてなんと言っても、九木大がタブレット越しの儚に向けてマイクを持って歌い上げる音楽ライブシーンが迫力あって好きだった。こんな風に音楽ライブを生で聞けたらもう最高、この前観劇したキ上の空論の「PINKの川でぬるい息」もそうだったが、新型コロナウイルスによるエンタメ業界の活動自粛があるせいで、物凄くエンタメのライブ感というもののインパクトや有り難みを感じられる内容で良かった。

最後にプロジェクションマッピングだが、いきなり客入れで中央のサークル状のカーテンに映像が映し出されていたが、20年以上前にビデオカメラで撮影されたような家族の思い出を残したメモリアルが流れていたといった感じ。テーマが家族愛なので家族と過ごした日常、この脚本でも愛は始まりと果ての途中に散りばめられているとあったが、まさにその途中を切り取った映像となっていた。一体このビデオ映像はどうやって撮影したのだろう、物凄くレトロの雰囲気に仕上がっていた。
また劇中の恥毬鼓動が講演をしている最中にサークル状のカーテンに流れる映像も、人混みなど社会というものを映像で扱ったようなもので印象に残っている。
さらに終盤のシーンの恥毬鼓動が亡くなった時の葬式で、舞台いっぱいに恥毬鼓動の遺影が映し出されているシーンも印象的。恥毬鼓動が花に囲まれてめちゃくちゃ笑顔だった。ずっと儚を愛し続けてきた幸せな人生の終わりだったという感じか。

舞台美術以外で上手いと思った演出をピックアップしていく。
まずは、アメリカンドッグのくだりはとても好きだった。味を感じることの出来なくなった儚に対して、アメリカンドッグの食感を言葉で伝えるあたりが凄く好き。こちらまでイマジネーションでアメリカンドッグを食べている感覚に陥る。だから終演後に粟根まことさんから、この舞台を観劇して食べたくなったものは?と聞かれて思わず「アメリカンドッグ」と思ってしまった。
あとは、ストーリー後半で恥毬鼓動と九木大を同一人物だと思わせる演出が良かった。時系列ごちゃまぜでストーリーが進行するので、最初は恥毬鼓動と九木大は別人だと思いこんでいたが、九木大が直立したその場で恥毬鼓動が直立して恥毬鼓動を中心にストーリーが進行するようになるあたりから、なるほどと察した。
また、恥毬鼓動に主役が移り変わってからは、彼が九木大に話しかけているのか儚に話しかけているのか一瞬分からない演出も面白かった。この場面においては、九木大は存在しない体だから儚だろうなと思いつつ、恥毬鼓動のすぐ背後に九木大が立っているのでそう捉え違いやすい。

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【写真引用元】
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【キャスト・キャラクター】(※ネタバレあり)

悪い芝居の初めての本多劇場公演ということもあって、キャストも非常に豪華だった。今作で非常に演技力の光った役者をピックアップして紹介する。

まずは主人公の九木大を演じた劇団柿喰う客所属の牧田哲也さん。牧田さんの演技を拝見するのは「ガラスの部屋のミューズ」以来なので4ヶ月ぶり。今回はまるでテレビドラマの主役のようなイケメン俳優に見えるくらいのピュアでかつ格好良い九木大という一人の男を演じきっていた。
男である私でさえ、牧田さんの格好の良さに惚れるので女性が観たら多くの人が虜になってしまうんじゃないかと思うくらい出で立ちや表情や言葉全てがイケメンだった。
個人的に好きだったのが、物語序盤でエンタメ業界の自粛などに対して苛立ちを表す演技が好きだった。こういう牧田さんの演技が観られるのは凄く新鮮だった。
そしてなんと言っても、儚に向けて音楽ライブで気持ちを届けようとするシーン、歌詞も一つ一つが人間臭さむき出しでベタな所が逆に良かった。凄く響いた。

次に九木儚を演じた文目ゆかりさん。ネットでリサーチをするとどうやらこの女優さんは、発達障害(ASD、ADHD)を患っているらしい。たしかに台詞回しを聞いていて若干独特な発音に聞こえた上、少し話し方の幼児のように聞こえなくもなかった。
しかし、今作で一番魅力的に感じられた俳優は彼女である。そのちょっとあどけない喋り方が、逆に凄く魅力的に感じられて台詞一つ一つに力が籠もっているように感じられた。今作に登場する台詞は、どれも感情むき出しの素っ裸な台詞が多い。「愛してる」とか「大好き」とか、そういった小さい子供でも発せられる無邪気でストレートな台詞が多かったからこそ、彼女ははまり役で凄く魅力的に感じたのだろう。
白いワンピースの衣装と長い黒髪も相まって非常に素敵な女優さんに感じられた。

そして、年老いた九木大である恥毬鼓動を演じた粟根まことさんも非常に洗練された演技をなされていた。粟根さんは劇団☆新感線に所属されている役者さんだそうで、新感線から悪い芝居への客演ってあるのだと意外だった。まあ気合の入った本多劇場公演だったからだろうか。
粟根さんはこの作品の中では異質の老人役を演じた俳優で、非常に落ち着きがあって安心して観ていられる役回りだった。
一番印象に残ったのは、やはり物語終盤の儚に彼女自身は死んでいるということを告げるシーン。そこから儚の言葉によって自己愛の存在に気付かされ、さらに彼女を愛し続けるというシーン。非常に深く思いシーンだが、粟根さんだからこそそういった重みのあるシーンに出来たのではないかと思うくらい、非常に舞台作品全体にインパクトを与えていたと思う。
他の出演舞台も観てみたいと思った。

逆井祈子を演じた潮みかさんのギャル女も凄く良かった。
やはり登場シーンでの缶チューハイのがぶ飲みはインパクトあったのと、モノローグのシーンが凄く想像力掻き立てられて惹き込まれた。蚊又念の自殺のモノローグは凄く印象に残っているしイメージもつくのでお気に入りのシーンの一つ。

そして、傘盗善太郎を演じるキムアスさんと、愛野乱痴気を演じる演出家の山崎彬さんのコンビの音楽バンドグループも好きだった。正直前半のストーリーは個人的には退屈していたのだが、この2人が登場したシーンで一気にムードが盛り上がって作品にのめり込めるようになった。

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ステージナタリー
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【舞台の考察】(※ネタバレあり)

Twitterのこの作品に対する感想をエゴサしてみると、非常に役者をやっていらっしゃる方のリピーターを多く散見する。感想としては勿論役者をやっている彼らは絶賛していて、新型コロナウイルス蔓延によるエンタメ業界の活動自粛があったため、その自粛させられて辛いという状況を綺麗に劇中の台詞が代弁してくれて清々しくなると呟いている方が多かった。
たしかに、これでもかと言ってよいほどこの作品は演劇に対するエゴに満ちあふれていた。特にそれを感じたのは、エンタメ業界に対する「不要不急」という言葉に対してこう反論していたことが、個人的には非常に刺さった。
「人間は皆孤独であるという平等を作るべきなんだ。人間は皆生きてきた環境が違えば価値観も違う、そういったことを前提として生きていけば相手の意見を否定することなんて無くなる。そうすればもっと皆が生きやすい平等な世界になる。みんなが同じことをしなければならないといった平等を押し付けてはいけない。」
ワーディングは全然違ったと思うが、ニュアンスとしてはこんな台詞が劇中にあった。だからエンタメを不要不急に勝手に押し付けるなということなのだろう。
また、九木大が儚に向けて無観客音楽ライブを開催した時も、僕らにはやっぱりエンタメが必要なんだ、エンタメが病にかかった人間に元気を与えるんだという意志を強く感じさせられた。それを聞いて非常に観客も心動かされるし、エンタメのパワーというものを再確認させられるワンシーンでもあった。だからこそ、エンターテイメントに表現者として関わっている人間からすると、これほどまでに気持ちよくさせてくれる作品はないのだろう。

しかし、表現者をやっておらずあくまで一般人としてこの作品を観劇した私にとっては、正直演劇に対するエゴが強すぎて少し引いてしまった。この作品は演者には物凄く味方になってはくれるけど、良くも悪くも演者のエゴが強すぎて観客を置いてけぼりにしているようにも感じられたからである。
特に前半のストーリーは、演者たちがワーワー元気良く騒いでいて観客の存在を忘れているような描写が多かったような気がした。演者たちが演技を目一杯楽しそうに出来ている様子を眺めるだけでは観客の心は揺さぶれないと思う。
ちゃんとこの演技には必然性があって、こういう意味でワーワーしているんだというのがないと凄く冗長に感じてしまったというのが個人的な所感である。

この考察パートでもう一つ触れたいことは、この作品のテーマにもなっている「生きる」「死ぬ」ということと「愛すること」についてである。
この作品を観ていて面白いと感じたことは、たしかに我々は生きていながら「生きている」という自覚をいつも持っている訳ではないということである。その反対で、死んでいる存在も自分が「死んでいる」という自覚をいつも持っている訳ではないのかもしれない。例えばこの劇中でいったら、儚は以前から九木大から儚は死んでいることを告げられていたが、すぐに忘れてしまっていた。そして儚は九木大を愛し続けいつも彼のそばに居続けた。
その人が生きているか・死んでいるかっていうのは自分自身の問題であって、相手にとってはどうでもよくて、相手を「愛している」ということが重要である訳であって、その「愛している」ということは「生きる」「死ぬ」という存在を超越したものなのだと個人的にはこの作品を通して解釈した。

だからこそ、人はたとえ相手が死んでいたとしても愛し続けることが出来る。人は2回死ぬという言葉が劇中にも登場するが、肉体的な死とあともう一つは、自分が影響を与えた自分の記憶を持つ人間がいなくなる時、自分のことを覚えてくれている人がまだ生きていれば、自分はその人の中で生き続けることが出来るし、愛されることが出来る。
これはどんな偉大な功績を残した人物だって同じで、その人の功績は今後ずっと残るかもしれないが、その人の人となりだったり性格だったりは、その人を知る人が居なくなってしまえば失くなってしまう。(こんな内容もたしか劇中にあった)
だから「愛している」ということは非常に尊いことだと思うし、生きている人でも死んでいる人でも、今はどうしているか分からない人でも自分がその人を愛しているということだけは、自分が存在する限り不滅なのだと思った。

自分が死んでも誰かに愛されるような人間であれば、きっと自分の肉体が朽ち果てても自分が日々行ってきた行動に対する愛は失くならない。
だから明日も、誰かに愛されるために頑張って生きよう。そう思えた作品だった。

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【写真引用元】
ステージナタリー
https://natalie.mu/stage/news/416393



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