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学びという宇宙旅行

産まれて最初にみた空はすごくシンプルで、 だんだんと空を「ソラ」だとわかって、 「ホシ」も「クモ」もわかって、 絵も描けるようになって、 でも結局は遠くて平たい景色 学校に行くようになって、 いろいろ学んで、 いろいろ考えて、 いろいろわかって、 空の形はどんどん増えていく 空は少しずつ立体的に、 空は少しずつ動的に、 空は少しずつ近くに、 今じゃ空を宇宙から見れてる 確信なくても 旅行は出来る #絵本 #初投稿 #考え #学び #勉強 #宇宙 #詩 #ポエム #学

    • 一回きりの「死」を

      この夏、初めて明確に「まだ死にたくない」と思う 死後の世界への憧れ、命を美化するメディアへの不信感 これまで、そんな理由で「死んでみたい」と思ってきた でも周りに迷惑かかりそうだし、痛いのは嫌だし それだけで踏み止まってきた 「いつ自分は死ぬのかなぁ」とか 「人生100年は長すぎいるなぁ」とか そんな気怠さを感じてきた そしてこの夏、基礎に立ち返る “人は一回しか死ねない たった一回を悲観的に衝動的にするのは勿体なすぎる たった一回が病気とか事故とか、自分の意思に反

      • 「いいね」について

        ツイッターでいう「いいね」とか「フォロー」とか 人との関わりが数字になっちゃうのは抵抗がある。 「いいね」なら何がいいかとか、どういいかとか、 そういうのがわかりにくくて だから無視して全部おんなじって雑な気がする 「いいね」っていう1つの軸で測るんじゃなくて 見た人の中にどんな軸があったかの方が知りたい だから、自分が「いいね」するときはコメントもするようにしてる もちろん、仕事のためなら数字は大切だと思う 人によって「いいね」の価値も違うだろう ただ自分は自己表

        • 投げやりな「協調性」(尖り気味)

          「協調性ないね」 集団内のキャッチーな人物やキャッチーな意見を批判するとよく言われる。 不思議だ。 思考を停止させ周囲に同意することが協調性なのだろうか。たしかに自分の意見を押し通すことが協調性でないことはわかっている。しかし、主張と傾聴の両方があって協調は成り立つはずだ。相手の意見と自分の意見それぞれを評価し、互いが納得できる命題を導くことが協調ではないのか。 己を殺してしまったら、そんなものただ動く有機物だ。 無理に自分の意見を持てとは思わない。けれど、語りえぬも

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        学びという宇宙旅行

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        • 猫には曖昧な言葉
          5本
        • 詩になっちゃった猫
          2本

        記事

          「錯覚」は誤りか正解か

          Q「上の写真の2つの図の縦線部分、どっちの方が大きいでしょう」 A「答えは同じ長さでした〜〜」 多くの人が左の図が長く見えるはずだが、あまりにも有名な錯覚なのでもはや茶番でしょう。 でも、なぜこのような錯視が起こるか知ってますか? これは、人がいかに物理世界を解釈するかという「心の働き」の表れです。 人は物を見るとき、対象の色や形を網膜に写すことで知覚を得ています。しかし、網膜という面に写し出された像は、歪んでるし立体的ではない。だからこそ、物理世界をなるべく正確

          「錯覚」は誤りか正解か

          22才だが、20才の成人式が5、6年前のことに感じる。時間の流れが遅いのは何故だろう。

          22才だが、20才の成人式が5、6年前のことに感じる。時間の流れが遅いのは何故だろう。

          「自由」による支配

          自由とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。 [Wikipediaより] つまり、自由の本質は「自ら選択する」ことだろう。 私たちは「自ら選択する」ことをできているのだろうか。支配からは逃れられるのだろうか。 ・環境による支配 赤いリンゴが売り切れていたら青リンゴを選ぶように、選択は自己と環境の相互作用で決まる。環境からの作用無くして選択肢は生まれない。 ・欲望のよる支配 カントの主張する「自律としての自由」は自らに

          「自由」による支配

          「もう9月か...」は壺の悲鳴

          いつのまにか時が経過する そんな危険信号に恐怖を抱く だから、ダメな自分を見張る 堕落は壺を塞いでしまうから 思いや学びをかき集める それを壺に詰めていく 壺の中は絡んで混ざって馴染んでく そうしてコトたちは美味しく熟す 壺を抱え、コトは糧に そしてまた、狩に出る 望まぬ明日が来る前に #記憶 #スキーマ #壺 #小林賢太郎 #考え #詩 #ポエム #堕落 #経験 #時間

          「もう9月か...」は壺の悲鳴

          「友達」という名前

          友達って何だろう... 友達と思える人を1人思い浮かべた そして、彼が友達でなくなったらどうなるか考えた 「何も変わらないだろう」そう思った 思い出が歪むことはないし、態度だって変わらないと思った なぜなら“友達”はただの名前だから 自分が人との関係性を分類しそれに名前をつけているだけだから だから名前を変えたところで関係は同じ 今までどうりで何も変わらない はずなのに、実際はそうでないこともある 「友達をやめよう」って言われたら話しかけずらくなりそうでしょ? なぜか

          「友達」という名前