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印象、日の出|夜明けのサウナ室

「印象、日の出」を浮かべてととのう

美術について詳しくない方でも「印象派」という言葉だけは聞いたことがある方は多いのではないでしょうか?

絵画といえば「印象派」を思い浮かべる方もいることでしょう。中には印象派のような絵が「アート」として評価されているのか分からない…と疑問を抱いたことがある方もいることかと思います。

「印象派」とは19世紀後半の1870年代から1880年代にかけて現れた現在まで続く現代アートの流れを生み出した最初の運動体です。

目の前で起こる光の揺らぎや、景色の変化、動きを捉え、従来の絵画にあった「輪郭」を描くのではなく、混色や原色による色の塊を重ね、あざやかな色彩が光や自然の動きによって振動しているかの様に描いた絵画手法です。

「印象派」という言葉はクロード・モネが1872年に描いた絵画「印象、日の出」が由来となって生まれた言葉と言われています。

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『印象、日の出』1872
<Impression, soleil levant>

クロード・モネ(Claude Monet)


私はサウナ室から差し込む日の出を見た時、脳裏に「印象、日の出」が浮かび上がりました。

太陽の光が周囲の景色を溶かし、印象へとぼやけさせる景色をサウナ室から眺める。日の出は刻一刻と姿を変えて印象を変化させていく。サウナ室を照らす光は室内を写実的に浮かばせ、光指す方角を除けば視界は白く染まり輪郭はぼやけて抽象的に溶けていく。

サウナによって研ぎ澄まされた感受性は光を敏感に捉え、不思議な感覚へと誘います。それはまるで印象派画家が表現した絵画の様に、色鮮やかで光に満ちた溶けきった景色。サウナと光がかけ合わさって見えた光の揺らぎの美しさ。そして…心身が調律されていく、整理されていく「ととのい」

その日、私にとって記憶に残るサウナ体験をしました。

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『夜明けのサウナ室 vol.1』

サウナ室は薄暗く、静寂に包まれていた。

まるで自分以外誰も起きていないのではないか?と錯覚を起こしそうなほど孤独で静かな空間。

ロウリュの音が鳴り響き、空気が微かに揺らいだ。

目に見えない熱の動きを感じながら、熱へと耽る。

やがて地平線の彼方が赤く染まり出した。

そして真紅の空を白く染める強烈な光が私を包んだ。

力強く輝く太陽の光は視界を白く染め、景色は輪郭を失い、ぼんやりと印象的になっていく。光から目を逸らすと、刻一刻とサウナ室内に光が広がっていくのが分かる。世界が鮮明に映し出されていく。

理想化されたサウナ室は、充満していく光によって理想化されていないありのままの姿へと写実的に変化していった。

私は光指す方へ視界を移し、「見たまま」の姿が光に溶けていく印象を眺め、ゆっくりとまぶたを閉じた。

サウナストーブが「ジジジ…」とうねり声をあげ、汗がゆっくりと足下へ落ちていった。

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印象派とは何か?

19世紀当時のフランスでは歴史的、宗教的な主題に重きが置かれ、風景画や静物画などは軽んじられていました。

細部まで美しく描かれた絵画が美しいとされ、筆跡を残さず光沢のある画面に"理想美"を描く画法がアカデミーの規範となっている時代です。

同時代にはアカデミーの理想に反した画家が多く生まれ印象派の前身となる運動も生まれていました。

ロマン主義
出来事に対して情熱的に感情移入をした劇的な表現が特徴で、抑制されていた個人の根本的独自性(心の動き)を重視し、自我の欲求による実存的不安といった性質を持っています。
劇的な画面構成と華麗な色彩表現が特徴的で、そのあざやかな色彩や劇的な表現は後の印象派に大きく影響を与えました。
写実主義
理想化された空想ではなく、同時代の社会のありのままの現実を描き、実際に生活している労働者や農民、目の前に広がる自然の姿を忠実に「見たまま」に描く表現が特徴です。

目の前に広がる現実を描くというスタイルは、印象や光の表現に重点を置く印象派に影響を与えました。
バルビゾン派(自然主義)
産業革命によって失われていく都会にはない自然の美しさに魅せられた画家たちによって森や渓谷、田園風景、農村での生活などの自然風景を描くのが特徴です。

自然の美しさを題材とした風景画を描くバルビゾン派は、光の変化を描く印象派に大きく影響を与えました。

ロマン主義、写実主義、バルビゾン派のような従来の価値から外れた画家たちの思想や制作手法に影響された印象派画家たちは戸外で制作することで、瞬間的な日の光だけでなく、それが変化していく様子を捉え、光の揺らぎや時間による変化を絵画に落とし込みました。

従来の常識から外れる動きが芽生えながらも依然としてアカデミーの美意識が崇高であり、最も価値のある時代にて、クロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジール、カミーユ・ピサロ、ポール・セザンヌ、アルマン・ギヨマン、ベルト・モリゾ、 エドガー・ドガ…と時代を築き上げる印象派画家たちは出会います。

サロンで評価されずに落選したアーティストたちは自分たちの作品を展示する独自の展覧会を企画しました。これが後に第1回印象派展と呼ばれる「伝説の展覧会」です。

当時この展覧会は社会に全く受け入れられず、批判的な反応が多く、中でもモネとセザンヌは、特に激しい攻撃を受けました。

版画家、画家、劇作家のルイ・ルロワは風刺新聞「ル・シャリヴァリ」にモネの絵の『印象・日の出』というタイトルをもじって、画家たちを「印象派」と称した酷評を書いたことで、光と印象を描く画家たちのグループ「印象派」と呼ばれる様になりました。

嘲笑の意味も含めて「印象派の展覧会」とタイトルをつけた記事で、ルロワはモネの絵画はせいぜいスケッチであり、完成した作品とは言えないと断じた。見物客どうしの会話のかたちを借りて、ルロワはこう書いている。

【フランス語】
Impression, j’en étais sûr. Je me disais aussi, puisque je suis impressionné, il doit y avoir de l’impression là-dedans… Et quelle liberté, quelle aisance dans la facture ! Le papier peint à l’état embryonnaire est encore plus fait que cette marine-là !

【英語】
Impression I was certain of it.
I was just telling myself that, since I was impressed,
there had to be some impression in it — and what freedom, what ease of workmanship!
A preliminary drawing for a wallpaper pattern is more finished than this seascape.

【日本語】
確かに印象だ。
私は印象を受けたのだから、つまりその印象が描かれている。
それにしても何て自由で、何て大雑把な仕上がりなんだ。
未完成の壁紙の柄の方が、この風景画よりもよっぽど出来栄えがいい。

印象派とは軽蔑の意味を込めて広まった名称であるが、印象派画家たちはこの名前を気に入り、第8回まで印象派展は開催されることになります。


21世紀の現代において印象派の評価は非常に高く、最も世間に浸透している美術の潮流と言っても過言ではないでしょう。

特に日本人は印象派が好きで、毎年必ずどこかの美術館で印象派の企画展が開催されるほどです。その中でのモネ、ルノワールの人気は特に高く、展示会が開催される時の目玉となる作品はどちらかであることが多いです。

印象派の流れを汲むゴッホやゴーギャンも日本では人気があり、印象派も展示する作品の中に組まれることも多く見られます。

そんな印象派の中でも「印象」とその名に付けられた「印象、日の出」は始まりの絵画と言っても過言ではないほど重要な作品です。


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『夜明けのサウナ室 vol.2』

深夜にサウナ室へ入ると中には人が一人もいなかった。

BGMも消え、耳を澄まして聞こえてくる音はサウナストーブの唸る音とサウナタイマーから発せられる音のみ。

熱されたサウナストーンへロウリュをすると「ジュワー」と音が静かに鳴り響く。

発生した蒸気はうねりながら下層へと動き出し、熱さが身体を突き刺す。

肌に浮かぶ汗はゆっくりと滴り落ちていく。

熱をたっぷりと蓄えた身体をゆっくりと動かし水風呂へと向かいキンキンに冷えた水へとゆっくりと浸かると、ジワーッと熱が膜を作り出した。

外の気温は1度。

凍える様な寒さは窓から風からも感じれる。

私は館内着へと着替え、ベランダへと足を運んだ。サウナに入った後は真冬の野外でもポカポカな熱気に包まれるため案外長居することができる。

目の前に広がる住宅地と奥に見えるビル群。そして夜明け前の真っ暗な空。

地上に広がる明かりはゆらゆらと揺れ、建物の輪郭は曖昧になり、印象へと溶けていった。

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移り変わる変化の中にある本質

今日、ぼくらは、とびっきり特別なことをしなくっちゃ!だって、すばらしい天気になりそうだもの。

Today we must do something very special, for it will be a glorious day.

『ムーミン』(著:トーベ・ヤンソン) / スナフキン


サウナの本場フィンランドでは「ロウリュはサウナの魂」という格言があります。

サウナストーブにある石(サウナストーン)に水をかけ、そこから立ち上る蒸気を浴びる蒸気浴のことをロウリュと言い、ロウリュには森の魂が宿る神聖なものとフィンランドでは考えられています。

フィンランドにおけるサウナの歴史は2000年と非常に長く、電気ストーブが存在しない時代より、薪を熱源に火を使ってサウナストーンを焼き、熱のこもったサウナストーンへ水をかけて蒸気浴を楽しんでいました。

電気ストーブが普及した現代においてもロウリュの神聖さは変わらず、ロウリュは重要な要素として位置付けられています。

「ロウリュ」はサウナ愛好家にとって永遠のテーマであり、追求すべき要素となり、現代サウナーはロウリュによるサウナ体験とサウナカルチャーの発展を試みています。

ロウリュとはサウナ室に「湿度」という変化をもたらします。

カラッとした低湿度のサウナ室に「ジュワー」と音を立てて蒸気が満ちる時、目には見えない「蒸気の波」がサウナ室内を埋め尽くします。

ドイツ発祥の蒸気をタオルで仰いでコントロールする「アウフグース」は熱を操り何も無いサウナ室に「風」「蒸気」「熱」をもたらします。

つまり、サウナの本質の1つである「ロウリュ」は蒸気の起こり、空気の移動によって真価を発揮し、空間に変化を生み出す行為となります。

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印象派の画家は光を何よりも重点に置いて作品を制作します。

「光」の変化は見るものを様々な姿へと変化させ、同じ角度で眺めた景色も全く別の景色の様に変えてくれる存在です。

印象派の画家にとって光とは表現の本質であり、魂です。

光から受けた印象を捉え、変わっていく景色を絵画に落とし込む作用は、サウナでととのった際に見える心身の調律が取れた時の変化に似ています。

サウナに入る以前と以後では同じ景色もまるっきり別の様に感じる時があります。

ロウリュによって刻一刻と変化するサウナ室の環境は、湿度を重要なものとして捉え、湿度の変化を熱として身体に落とし込むことで「サウナの本質」を体現する時、身体は調律されていきます。

サウナによって鋭くなった神経は光を過敏に捉え、印象派画家が目指した光の変化を感じやすくなることでしょう。

印象派の画家が感動した光をサウナによって感じる。

少しばかりロマンチックだと思いませんか?


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『夜明けのサウナ室 vol.3』

遠くの空が紅に染まり出す。

生まれた光は景色を黒く染めていく。

暗闇から浮かぶ輪郭は淡く、線は曖昧に途切れる。

シルエットを浮かび上がらせて影だけが存在を認識させ、現実の姿をそのまま見ているとは思えないほど、理想化された空想の様な非現実的現実が瞳に映し出された。

まるでモネの描いた「印象、日の出」の様な赤。

200年前と変わらない朝の日差しが産声を上げていた。

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サウナ室に戻ると、赤がぼんやりとサウナ室から見えていた。

ゆっくりと変化する光を眺めながら、無音のサウナ室に一人佇む。

やがて、光は強く強く力を入れ始め、赤から白へと色を変える。そして、同時にサウナ室にも光が差し込み、サウナストーブがよりくっきりと見える様になる。

さっきまでと何も変わっていないはずなのに、光量が増えるだけで見える世界の印象が変わっていく。

きっと印象派画家も同じ様な感動を覚えたのだろう。

ロウリュをして光と音、そして熱を身体にぶつけ、落ちる汗とともにサウナ室を後にした。

力強い光は世界を白く染めて、輪郭を全て溶かしていく。

そして印象だけが残った。

「印象、日の出」

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サウナと光

私はサウナ室で印象派の始まりを追体験したかの様な感覚を覚えた。

恥ずかしながら朝日を拝むことが久しぶりで、日の出を見ること自体が神聖なものの様に感じたこともあり、いつもよりも高揚感に溢れていた。

サウナ室では自分一人。

ロウリュの音だけが鳴り響き、蒸気だけが自由に空間を動いている状態だった。一人だったのも光の変化に気づけた要因だったのかもしれない。

また、サウナに入ったから神経が研ぎ澄まされていたことも要因に含まれるだろう。

太陽の光に照らされる街並みと溶けてく輪郭が印象派の絵画の様に綺麗だった。

そして、光に照らされたサウナ室は写実主義の様に現実的でくっきりと存在感があった。

ロウリュの蒸気は目に見えず、聞こえるのは音だけ。それでも何か神聖なものがそこにある様に感じた。

鮮明さと曖昧さが交差する瞬間にサウナ室でじーっと佇む。

やがて美しく劇的な光の演出は長く続かず、サウナ室はいつもの景色へと戻った。

なんとも贅沢で不思議な体験だったのだろう。

久々に心から「ととのった」と言えるサウナだった。

心に浮かんだ「印象、日の出」を想いながら今日も私はサウナへと足を運ぶ。


素晴らしいサウナ体験ができた施設へ

この様な素晴らしいサウナ体験ができた「マルシンスパ」さんありがとうございます。

いつ行っても素晴らしいサウナに感無量ですが、その日はいつも以上に素晴らしい時間が過ごせました。

また行きます。




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