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教えて、正しいサヨナラの仕方を「aftersun/アフターサン」

私と父と夏の思い出

幼いころの記憶の話。
私の父親は十代の頃からサーフィンを敬愛していて、毎週末は必ずと言っていいほど太陽より早起きをして家をあけていた。
友達よりも多分ずっと、父親との時間は少なかった。
だからなのかわからないけれど、僕に何ができるわけでもないのに、父は気まぐれで時々私を海に連れて行くこともあった。
私は、父の運転する車が好きだった。幼児期には父の車じゃないと寝付けずに、夜に無駄なドライブを強いらせていた時もあったほど、あの人が動かす
大きな鉄の塊に揺られる時間が大好きだった。
今でも、ふと思い出す瞬間がある。
朝方のラジオから聞こえるよくわからない最新ポップス、コンビニで買ったサンドウィッチ、高速のつなぎ目で一定間隔で揺れる身体…。
目を覚ますと他よりも少し速い父の車は停車していて、潮の匂いが鼻の近くを漂っていることに気づく。「起きろ、着替えろ」という言葉に目を開くと、ウェットスーツ姿の大きな背中が見えた。

この映画のセリフは「言葉」じゃなくて「背中」

本作を見て、自分の中にあった記憶という大切な物語が掘り起こされたと同時に、その記憶にはもはや続編がないということを思い知った。
私たちの人生は、数えきれないほどの断続的な記憶の結果として、今この瞬間の集積を生きているということは理解しているので、必ずしもすべてが地続きでないとは言い切れない。だけれども、あの日・あの瞬間の記憶にはもう続きがないのは明白。

写真になっちゃえば 私が古くなるじゃない


なぜだかわからないけれど、椎名林檎が「ギブス」で歌っていた言葉が、新宿ピカデリーの長いエスカレーターを下る時間、脳裏をかすめていた。
(歌舞伎町が見えていたからかもしれない説)

海岸に無造作に止められた車の中で、眠たげにしている自分を起こす父親の年齢を超え、さらに「ギブス」リリースされてから23年経った今、もしかしたら違うかもと感じた。
古くなるくらいでいいんじゃん」って。
多く人が「古くなること=悪いこと」と捉えるかもしれないと考えると、すごくよくできた詩だと思っていたのですが、裏を返せば古くなるということは、進んでいるということと同義なのではないか。
過去は思い出のまま動くことをやめ更新されることのなく留まり続けてしまう。
淀む水に芥たまる」とでも言うか・・・。
私たちが古くなることつまり、その時点に抱えていた全てからは解放されるのかもしれない。
(それが人生において前進か後退かは人それぞれで一概には言えないけれど)自分の思い出の中には自分が主人公の記憶しかないけれど、そこにいたすべての存在にも苦しみや喜びや挫折や苦悩があって、彼らがそれをどう乗り越えてきた・押しつぶされたかはわからない。
もし・・・それ以来会うことが出来なくなってしまったのなら、なおさら。

「明日が楽しみ?」

11歳のソフィが何気なく父親のカラムに質問した
11歳の時、将来は何をしてると思ってた?
父親として優しく立派に努めようとしているカラムを、何かを背負い、諦め、苦しみの中にいるカラムが首を絞めているように見えた。
まるで、「今のあなたは、かつてのあなた自身を裏切っているわね」とでも言われたかのように。
だからこそ、「生きたい場所で生きていい、なりたい自分になっていい。 時間はたくさんある。 どんなことだって話していい。」という言葉をかけたんじゃないのか。
それが、どんなに難しくて果たされることのない泡沫の理想であっても、自分があきらめてしまった言葉を娘に託すようにさえ思えた。結局のところ、古びたビデオの中に取り残された父を見つめる大人のソフィはとても悲しそうだったのは、、、言うまでもない。

「明日が楽しみ?」と問われて、まっすぐに「楽しみ」と返せる人はどれくらい存在るのだろう

オドルンダヨ。オンガクノツヅクカギリ。(羊男)

ソフィがカラオケで歌う「Losing My Religion – R.E.M.」は、シャーロット・ウェルズ監督が初めて歌詞を覚えた曲ということなのだけれど、どこか自分自身に失望を感じるような歌詞。
だからこそ、自分を卑しめるような歌として「大人」のカラムがお気に入りだったのかもしれない。しかし、その楽曲を無邪気に希望の存在から歌われることが、あまりにも静かに愛おしく残酷なシーンで私は涙が出てきた。

きみの笑い声が聞こえた気がした
きみの歌う声が聞こえた気がした
いや、君にそうしてほしかっただけなのかもしれない

作中に幾度となく差し込まれる、暴力的なレイヴのシーン。
そこに誰がいるのかも、自分が今どういう表情しているのかも認識できない強烈なイメージ。(「ブラック・スワン」の「クラブシーン」を彷彿させる)あのシーンは、この作品の視点である11歳時点でのソフィにとっての
「ひと夏の、モラトリアルで人生最高の想い出」
の対極にある
「暗く騒がしい、自分を見失うほどの混沌の現在」
を表していると思った。
そこには、この作品の包括的な視点である31歳のソフィとカラムが苦しそうに踊っているのだからきっとそういうことなのだと思う。

夢の跡

静かだけど強烈なラストシーン。
結局のところ、私たちはあの扉の向こうにある
「暗く騒がしい、自分を見失うほどの混沌の現在」
に戻らないといけなくて、いつまでも古いビデオテープの記憶の中で生きていくことはできなくて。そっとカラムがDV CAMのモニターを閉じたとき、記憶はここまでしかないということを再度思い知らされた。
作中何度も、ソフィと同じように「こんな日が続けばいい、ずっと一緒にいればいい」と思っていたけれど、永遠などは存在しないのだから。
狂おしいほど甘いのに、残酷なくらいほろ苦い。
だけど、、、どんなに時間を重ね変化をし、傷つき、苦しみ、挫折したとしても、私たちは信じたいはず。
「同じ空を見上げるってステキ。太陽が見えたら、パパも太陽を見ているって思える。同じ場所にいないし、離れ離れだけど、そばにいるのと同じ。
同じ空の下にいるのなら・・・一緒と同じ。」
その背中に飛びついた時間は嘘ではないし、今でもずっとそばにいるんだってことを。私の中にすべて残されていて、そしていつか消えていくもの。

どんな瞬間でもいいから、愛する人に自分のことを覚えていてほしい

It's the terror of knowing what the world is about
これは世界の仕組みを知るという恐怖
Watching some good friends screaming 'Let me out'
仲の良い友達が叫んでいる場面を見る「僕をここから出してくれ」
Pray tomorrow gets me higher, high
明日を祈る 僕をもっと高いところに連れてってくれと…
This is our last dance
これが僕たちの最後のダンス
This is ourselves under pressure
これがプレッシャーの下を生る僕たちなんだ

A24もお墨付きの「夏のおしゃれ映画」でも観に行こうと軽い気持ちで見に行った本作、すごく心を突き刺す作品でした。
ポール・メスカルが素晴らしいのはもちろん、フランキー・コリオちゃんの早熟した雰囲気とスター性がやばかった。

「aftersun アフターサン」(原題「Aftersun」)
監督・脚本 シャーロット・ウェルズ
撮影 グレゴリー・オーク
音楽 オリバー・コーツ
出演 ポール・メスカル
フランキー・コリオ


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