日記2023年8月①

最近日記が滞りがちである。なんでだかよくわからない。週末に出かけることが多くて時間が取りにくいというのもあるだろうけど、そういう物理的な条件だけではなくて、頭がなかなか書くモードになりにくい。一つには、再開した大学院の研究の方に気が向いているということがあるのかもしれない。そもそも日記形式で書き始めた理由というのが大学院であり、日記を書くことで研究を前に進める気持ちを作りたいということだったので、日記が減っても研究が進んでいればそれでいいのかもしれない。しかし書くことで得られる何かがあって、それを摂取したくて日記を書きたくなる。

長くなったので今回は見出しをつけてみました。

大学院の進捗

7月から8月にかけて大学院の方ではつまらないことが続いた。うつ病で大学病院の勤務を外してもらったので電子カルテのアクセス権がなくなって、研究を進められなくなった(研究用の閲覧システムも用意されているのだが、ポンコツなのでそれだけだと進められない箇所が出てくる)。これを解決するために交渉と書類作成にいそしんでいた。書類を作って教授に確認してもらう。教授というのは書類仕事のプロでもあるので、さすがの修正案を一瞬で返してくれる。書類はすぐ出来上がって秘書さんの手を借りて病院側に提出できた。こういう作業をぱっぱと進められた自分に満足している。同時に病院の放射線部にMRI画像の取り出しについてお願いや連絡をしていて、また、他病院の協力者にデータの欠損値について問い合わせたりしていた。こういう外とのやりとりは神経を使うので疲れる。でもやりました。

8月の頭にようやく電子カルテが使えるようになった。ここのところ研究が進められなくて嫌だったし自己嫌悪を募らせていたのだけど、これですっきりした部分もありつつ、でもこれで思う存分研究できるでしょとなるのも嫌と言えば嫌だ。なんとわがままな。脳のMRI画像を電子カルテから取り出すことになるので、対象となる患者さんと画像をリスト化した。地味な作業でめんどくさいのだが、休学前の私が結構きちんと進めておいてくれていたので再開はスムーズだった。使える画像が複数ある患者さんの場合どれを選んで研究に組み入れるかを教官に相談して、それが解決すれば画像の抽出を病院の放射線部に依頼することになる。こうやって他部署が絡む作業は少し気を遣う。なるべく相手を困らせないように明確に、やりとりが少なく済むように。とりあえず8月の前半で画像の抽出を終わらせて、8月後半で画像の処理と臨床データの収集をしたい。9月に解析、10月に論文化。できるといいがたぶん色々あって予定は遅れる。

そういえばまだ正式に復学しているわけではない。9月に復学の書類を提出する必要がある。主治医に復学の診断書をもらう必要があったはずだ。忘れないようにしないと。

子供のことやちょっとしたこと

先輩の赤ちゃんに会いにいく予定だったけれど、朝になって子供が急に吐いたので中止した。でも今回はさほど長引かず幼稚園は一日休んだだけで復帰できた。

子供が筒状の水鉄砲を振り回して私に当たりそうになったので、危ないよと言ったら「あーごめん」とすごく自然に言うので、育っているなあと感じる。幼稚園のお友達にもありがとうとか言えるし、近所のトンカツ屋に行ったときには自分でおばちゃんに「コーラひとつ」と注文していた。玄関の鍵も自分で開けられるようになったので気をつけないといけないことも増える。

子供の髪を切りに行った。一瞬で短くしてくれた。最初長めにしておいて親の反応を見てから短くしていく人もいれば一瞬で短くしてくれる人もいる。ことさら子供を扱う感じは出さないけれどみんな子供の髪を切るのに慣れていて、ぱっぱとやってくれるので子供も安心して髪を切ってもらっている。子供が欲しがったので電車のカプセルトイを回したのだけど、電車ではなく観覧車と線路の情景パーツを引いてしまって残念そうだった。前にも駅舎のパーツを引いたことがあり、そういう引きを持っている三歳児である。

私は初心者だけどピアノの練習をはじめた。保育のための楽譜集には比較的簡単でいい童謡がそろっていて、その中から「あめふりくまのこ」を弾いている。まずは右手だけ。2日やったら1番だけ右手で通して弾けた。

近所のじいさんばあさんでやっている古い喫茶店に行った。この日はおしゃべりなじいさんがいなくて、静かな奥さんとその手伝いをしながらトーストを食べているおばあさんと、お茶してしゃべっている二人組のおばあさんという構成の店内だった。オムライスを頼んだ。バターがしっかり使ってあって美味しい。セットのスープにたくさんしめじが入っていて、熱くて火傷した。後からやってきたおばあさんも奥さんの知り合いで、いつもはサラダスパゲッティを食べるけどこの日はたらこスパにするわと言っていた。奥さんが、たらこスパに入れるキノコを切らしちゃってと言っていた。私のスープに入れすぎたのではないかと思う。いいわよキノコなしでと言うので、あらすいませんねえと言って笑って、奥さんはたらこスパを作っていた。やっぱりバターの香りがした。アメリカのオールディーズが淡々と流れていた。

先月の子供の体調不良で髪を切る予定を延期していて、バタバタして予約を取らずにいたら髪がどんどん伸びてきた。鏡を見るとミステリという勿れの表紙みたいに頭がこんもりとしている。美容室に電話したら、担当の人がしばらく出張とかで忙しいらしく予約がパンパンで、3週後に無理にねじ込んでくれてようやく予約がとれた。しばらく、この酷暑だが、昆布をかぶったみたいな重たい髪で行かなければならない。大学院に入ってから今のパーマをかけた髪型にしているのだが、卒業したらちょっと変えたいなという気持ちになっている。むしろそれが卒業のモチベーションになっている。

花火大会

妻は習っていたピアノの先生と仲良くしているのだが、先生のお家から隅田川花火大会が見られるというので前日に誘われた。いつも直前で誘ってくる人で、レッスンの予定とかもしょっちゅう忘れるらしく、そういうところがまたいい。うちの子は大きな音とか暗くて人の多い場所を怖がるほうで、以前にはしまじろうの子供向けの舞台も客席に居られなかったくらいなのでどうしようかと迷ったのだけれど、花火大会には大学生の娘さんと高校生の弟くんもいるとのことだったし、私たちはその先生一家に会いたかったので、子供には申し訳ないけどね、と言いながら行ってきた。しかし、これは妻の遺伝だと言っていたが、ピアノの先生に会ったら子供がもう一瞬でなついて、先生が他のお客さんの相手をしたり準備をしたりすると「せんせいはやくこないかな」とか言って先生を独り占めしようとしていた。大学生の娘さんが友達を4人連れてきていて、みんなで浴衣を着ていた。うちの子は最初怖い顔をして見ていたけど、かわいーとか言われて可愛がられて、結局みんなのことが好きになったみたいだった。

高校生の弟くんのほうは最後に会ったのが10歳くらいの頃で、今は高校生になって離れたところで下宿してサッカーをやっている。身体が大きくて驚いた。顔の印象は変わっていなくて、ニコニコした好青年だった。途中で同じくサッカーをやっている彼の友達が遊びにきて、着ていた甚平をピアノの先生に「いいじゃん」と褒められたら「アース」とこたえていた。付き合っている彼女はインスタで知り合った他校の人だそうだ。

屋上にビニールシートを敷いて、うちの子は何もできないけど何か手伝いたくてうろちょろして、ビニールシートの四隅を止めるペットボトルとか荷物とかを「ちょっとこうやったほうがいいかな」とか言いながらしきりに動かした。ビニールシートが煽られてめくれたりした。割り箸とか料理も、配ってもらったそばからそれをみんなに配りたがってうろちょろしていた。

花火が始まると大学生の女性陣は写真を撮りまくっていて、子供が真似して「ぼくもとりたい」と言うので私たちのスマホで撮らせた。花火も人も撮っていた。「ぼく花火こわくないよ」と言っていた。「いまのははやい花火だね」とか「いまのは白と茶色だね」とか言っていた。抱っこしたり下ろしたりで親は疲れた。花火は会場の席で下からじっくり見るのもいいけれど、みんなで集まって見たり見なかったりしながらやってますねえというくらいの見方をするのがちょうどいいかもしれない。

終わった後で女性陣がコンビニでいちごアイスを買ってきてくれて嬉しそうだった。ベビーカーで帰ったらすぐ寝て、そのまま電車で帰った。翌日も子供は「先生のいえにいきたいね」と言っていた。「つぎはいついくの?」と。翌日も子供は元気で、千葉の小湊鐵道に乗りたいと言い出した。ちょっと遠出なのだが、行ってきた。内房線五井駅から出ている古い単線の鉄道である。何駅か乗って帰ってくるのだが、なにせ古い単線なので、何本も電車が行き来しているわけではないので行きと帰りの接続に苦労する。その日帰りに乗れたのはトロッコ列車という観光用の遅い列車で、それを逃すと何もない駅で一時間待つ羽目になる。行きの倍の時間をかけて、クーラーのない開け放しの車両に乗って帰った。日差しが熱かった。子供は最後の方は力尽きて席に横になって、「まだつかないの」とか「はやくかえりたい」とか言っていた。ヘトヘトで帰ったので夜は出前にした。近所のネパールカレー屋さん。

両親のこと

両親がコロナに罹った。二人とも結構いろんなところに行っているのでまあ仕方がない。数日で快方に向かって、今はもうよくなったようなのだが、体調不良時の父親の振る舞いがひどかったらしくて珍しく母から私に愚痴のメールが長々と届いた。父もまあ難しい人ではあるのだが、母もそういう父と長年ぶつかることを避けてやってきて、特に何か困っているときとか助け合いたい時のコミュニケーションがうまくいかない二人である。互いに互いに対してムキになるというか意地を張るというか。それで長年やってきたから私にはどうしようもないのだが。そういえば私は医者になってから父と話しやすくなった。働く大人として話せるからなのかもしれない。私的な部分を持ち込める私的な関係を築くのが下手なのだろうと思う。toxic mascurinityという言葉もちらつくが、家族としてやってきた私がそうやって父を括るのはちょっと雑かなと思う。母の、大事な部分での接触を巧妙に回避しながら相手をコントロールしようとしたりするのも、女性の立場が今よりもはっきりと弱かった時代の処世術という側面があると思うのだが、これも、いささか一面的な見方だ。社会的な規範というのは知らぬ間に人の思考行動の多くを縛るものではあるけれど、家族の中の関係というのはそれと同等かそれ以上にその人を縛り、形作っていくだろう。だから、夫婦のことは私にもわからないことがいっぱいある。私が大学を出て働き始めたらひょっとしたら離婚でもしまいかと思っていたのだが、結局この10年ほどこの調子で続けているのでその予見も外れている。今回のいざこざも、仲直りなんで幼稚なことは絶対にしなくて、孤立した島の独自の言語みたいに、外からはわからないやり方で微妙なやり取りをして収束していくのだと思う。付け加えると、こういうときにど正論でシンプルに頭から突っ込んでいくのが私の姉で、家族内のコミュニケーションに予測不能の乱気流を生むことがあり、うちにはそういうおもしろさもある。なかなか複雑なのだ。全員社会適応が微妙にアンバランスだと思う。

読んだもの観たもの

宇佐見りん『推し、燃ゆ』読んだ。推ししか見えないということの「見えない」とはどういうことかが大事なのだと思うけれど、それにしてはそれ以外のつらい現実に対してものわかりがよすぎるような気がした。

『さらば我が愛 覇王別姫』4K版、観た。レスリー・チャンが美しかった。佇まい、所作。序盤、小樓という男役の相方が菊仙という女郎屋のお気に入りの女性に会いに行くことに対して蝶衣(レスリー・チャン)が怒るところがあるのだけど、その姿が美しい。美しさそのものが彼の深い愛を語っている。美しさそのものを見られる作品は滅多にない。蝶衣は京劇という伝統的な抑圧の強い世界で生き、そこでこそ得られる美しさを体現して生きてきた。生きることが演じることで、演じることで生きている。彼のセクシュアリティすら、京劇の女方であることから分離できない。劇中で彼は現実と芝居の区別がつかなくなったんだと言われる箇所があるけれど、そのような理解があまりにも軽いものだということを、自分の根源的なものすら世界に投げ出すというある意味で異常な生き方をしている、存在を賭して世界を求めているということを、レスリー・チャンはその佇まいの美しさで語っている。

『文藝』秋号、町屋良平「生きる演技」。いないものがいる、いるものがいない、本当と嘘、かれとわれわれ。リアリティを反転する契機が演技であり、そこで恥の痛みが真実を告げる。繰り返すリアリティの反転運動の中でかれとわれわれ、俺と生崎/笹岡が混淆する。過去の戦争と罪が今のフィクションの暴力と重なり、反転し、混淆し、フィクションから飛び出した理解の外にある剥き出しのリアルな暴力が顕現する。われわれは戸惑い、また演技し、恥をかき、反転し続け、生き延びる。なかなか大変な小説だった。わたし、そこにいないもの(幽霊)、フィクション、暴力。それらは同じものでありながら、言語という制約、文体=身体の有限性によって分節化して現れる。それが町屋良平の文体=身体である。そして読者は町屋良平の言語から文体を、文体から身体を、そこにいないものから幽霊のわたしを、フィクションの暴力を立ち上げる。そういう暴力を行使する。そこから帰還するのが演技という契機であり、読者は演技によって生き延びていることを知る。この小説内に入ってまた帰ってくる往復運動。行きは町屋良平の文体。帰りは自分の文体=身体への翻訳=演技。とにかく大変な作品だった。

「ミッション:インポッシブル デッドレコニングpart 1」観てきた。トムが活躍していた。走っていた。アブダビの空港の屋上を走る。ローマでカーチェイスをする。ヴェニスの路地を走る。崖からバイクで飛ぶ。電車の上で格闘する。次々落ちていく電車の車両から飛び移る。変装マスクもあるよ。いつも通りおもしろいけど、前作のほうが山場が多かったような気がした。もっとすごいシーンはpart 2に取っといてあるのかもしれない。トムを追うCIAの二人組がかわいかった。

『メイドインアビス』を11巻まで読んだ。Kindleでセールになっていたので。とんでもなく面白い。徹底的に子供の話であることがポイントだと思う。大人は壁として立ち塞がるのだけれど、子供はそれを崩して超えていき、壁はそのとき足場になって子供の力となる。子供が前に進むために大人が立ちはだかる。大人が立ちはだかることで子供が前に進む。子供だけがリコの仲間となって進んでいく。大人はそこに留まったり、それ以上進めない理由をそれぞれ持っている。子供だけが大人の積み重ねの先に進む。

最後に

うつ病の治療をすると太るのだが、最近血液検査をしたら脂質代謝と肝機能が悪くなっていて、おそらく脂肪肝で、ちゃんと痩せないとまずそうな気配になってきた。ウォーキングをしたいのだが、長時間ウォーキングするだけの体力がないので室内でできる足踏み運動から始めている。学生時代バドミントンをしていたとは全く思えない体になってしまった。ダイエットについてもここで進捗報告をしていきます。

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