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言葉と心の壁

友だちとご飯食べて飲んで、解散してから近くにいる友だちとサクッとお茶できるっていうのは東京のいいところ。そういうことを考えると去りがたい。箕面では絶対できない(笑)

今週の発見は言語表現と、心理的な距離感について。大阪の友だちができて、東京にいながらにして関西弁に引っ張られることが多くなった。やっぱり会話のテンポが東京と大阪では違うんだなー。妹と喋るたびに、会話の運びやテンポが良くて驚くのですが、結局「関西人全員面白い説」は嘘だけど、ある程度、社会で訓練されているのだと思う。
先週末から毎日英語のスピーチの練習してた。子どもの頃から英語を習っている人や外国(特にアメリカ)の学校に行っていた人は経験があると思うけど、やたらとスピーチの練習させられる。そしてスピーチ大会とかもある。普通に日本で生きてて、スピーチの「練習」することってほぼないと思うんだけど、そういうことを思い出したりした。子どもの頃のやつは、普通に暗唱した他人の文章(偉人とか)をスピーチすることが多いんだけど、今回は自己主張。自分の経歴や考え、今後やりたいことをまとめてから、それを話す練習。スピーチするとき、準備の段階を含めると書くのも話すのも、両方上達するなーということがわかってよかった。そしてそれが自分の言いたいこととかだと、普段の会話にも多分役立つから、とてもよい。お風呂とかで一人でぶつくさ言ってる状況はだいぶ怪しいけど、考えをまとめることができて、話の流れを考えて、それをわかりやすく話す練習になるからとてもおすすめです。
それでその時に気づいたのは、自己主張は、日本語より英語の方がやりやすい。もともとぼやっとさせないし、敬語とか回りくどい言い回しが必要ないので、とっても楽だった。同じことを日本語でしようと思うと、考えるのにも2倍くらい時間がかかりそう。
関西弁英語って、家族とか恋人とか、近しい人と話すときに使ってる言語だから、ストレートに思ったことを言いやすい。2つとも言葉自体の性質としても、回りくどい言い方はあまりしない気がするけど、標準語は、私は完璧な標準語が話せるけど、やっぱり出だしが対お客様」で始まった言語だからか、結構、壁。。。心の壁がある言語だということに今週気づいた。
どういう関係性の相手と、その言語を使うことが多いかによって、その言語を喋ってる時の、相手との気持ち的な距離感が違う気がする。家族ではない相手と関西弁とか英語で話してるときも、相手との気持ち的な感は標準語を話してる時よりも近い気がする。

今日の見出し画像は地元箕面で毎年初詣に行く「勝尾寺」の揚げ餅。毎年お参りのあとにこれを食べる。





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