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おもてなしは割り算から始まる

「600÷150=4」

今日の仕事の最初にした計算だ。工学部卒だが数学は苦手。そんな私でもこのくらいの計算は大丈夫。数字が苦手という読者の方も安心してほしい。これ以上計算式はでてこない。

これは何のための計算なのか。

この計算式の謎解きに入る前にある女性のこの秋の休日の話を聞いてほしい。

酷暑の夏と雨ばかりの9月が終わりやっと秋らしくなった10月のある日曜日、裕子は古い友人恵子の新居に招かれていた。
新宿から私鉄に乗って20分。最寄りの駅を降りて駅前の花屋でワレモコウの入った秋色のブーケを作ってもらった。

少し景色を楽しみたかったが、初めての場所なのでスマホとにらめっこしながら歩いた。5~6分経っただろうか。

やっと安心したので思わず、ちょっと大きな声で

「次の角を左に曲がれば見えるはず!」

静かな住宅街で案外声が響いたけど、その声は高い秋空にそのまま消えていった。誰も聞いていなかった。

「ほっ」

目指す角には古いレンガの家が建っていた。左に曲がり少し歩くとどこからか良い香りがして来る。
キンモクセイ?キョロキョロしたけれど花が見当たらない。振り返ると先ほどのレンガの家の庭先に橙色の小さな花がびっしりと咲いていた。不思議だ。キンモクセイはなぜか、通り過ぎてからその香りを感じる。まるで「ちょっと待って」って呼び止められている感じ。

最後の角を曲がってからは少し上り坂になっていた。でも、もう安心。坂の上にブルーグレーの壁に濃いグレーの大屋根の家が見えた。あれに間違いない。ブルーグレーは恵子のテーマカラー。普段もかなりの確率で彼女はその色のトップスを着ている。

ブルーグレーの家の玄関先に高さ3mくらいだろうか、ライムイエローのような明るい色の葉っぱの木が見える。トーンを落としたブルーの壁によく似合う。

遠目にもシンプルながらセンスの良さがキラリと光る恵子の印象とぴったりと重なる家だ。

坂道を登りきると通りから少し入ったところに、石積みの門柱が客人を迎えるように建っていた。門柱に貼られた金属の切り文字の数字「12-5」とさりげなく住所の番地を告げていた。
目立たぬようにデザインされたインターホンを押す。

「ピンポーン」
「はぁ〜い。いらっしゃい、少し待っててね」

恵子の声が響いた。ふんわりと秋の風が吹いてライムイエローの葉の間から木漏れ日がキラキラと降ってきて、声の余韻を包み込んだ。

門扉がなかったのでそのまま一段ステップを上がり、玄関の方向に2歩進んだ。
コーナーのところに少し茶色味を帯びた草がふさふさと風に揺れる鉢が置かれていた。名も知らぬ草が秋を知らせてくれる。

門柱と似た色の石畳をまた2~3歩進むともう一段ステップがありそこはちょっと開けていて玄関ドアまで続く小さなテラスとなっていた。普通の玄関ポーチの2.5倍くらいの広さだろうか。それは玄関ポーチというよりテラスと呼ぶのがふさわしい空間だった。

テラスには小さな木の椅子が置いてあり、陶器の置物が置いてある。……いい香りがした。ローズマリの鉢が足元にありちょうど私のバックが触れていた。

赤茶色の木の玄関ドアが開いて、シチューの良い香りと同時に恵子が満面の笑顔で現れた。

「上り坂結構きつかったでしょう! まああがって、あがって」

さて質問です。裕子さんは恵子さんの家に着いてから玄関に上がるまでに何段ステップを上がったでしょう?

正解は2段。ではインターホンを押してから、恵子さんがドアを開けて出迎えてくれるまで何秒くらいあったでしょう? これは書いてはないが、階段を2段上がり、5歩ほど歩いているので4~5秒くらいだろう。もう少しかかっているかもしれない。

このわずか数秒の間なのに、裕子さんが見たり感じたりしたものは20行分にも渡って書かれている。
光や香り、風などを五感で感じながら家人の恵子さんに思いを馳せている。

これは恵子さんのおもてなしの秘策。家のドアを開けて笑顔で迎えるよりもシチューの香りよりも、玄関ホールに活けた花よりもずっと手前から友人を歓迎していた。

門構えや通路は機能上必要だ。でもそれだけではもったいない。季節感を取り入れ、そこに住む人らしさを詰め込んで、家人よりも先に来客をもてなしてくれる場所にすることもできる。恵子さんの家のように。

そして道路から玄関までにはかならず高低差がある。敷地が道路と同じ高さだったとしても家の構造上30cmくらいは玄関が高くなっている。
最初の計算式は実はあるお宅での道路から玄関までのステップの段数を計算していたのだ。
そう、600は600ミリつまり60cmのこと。一段の標準が150mm(15cm)なので、この家は4段必要となる。

誰しも段差は嫌いだ。できれば平らに行きたい。でもどうしても4段上がるのなら、できるだけ快適に季節や花の香りなどを楽しみながら、そう裕子さんが恵子さんのことを思いながら、草花に目をやりながら歩いたように道路から玄関ドアまでを歩いてもらいたい。

このたった4段に家人の「おもてなし」を凝縮するのが実は私の仕事。
そう、通路の形や門柱の形も大事だけれど、最初は何より階段の段数だ。

階段はみんな嫌いだけれど、立体感が出るので見せ場でもある。

快適に楽しみながら登るにはどんな位置に、どんな仕掛けをしようか。

だから私は仕事の一番最初に割り算をして階段の段数を出す。

家全体からしたらほんのわずか、ほんの数秒で通り過ぎるような場所に大げさではなく、全身全霊を込めている。

そうすれば家主が「もてなし上手」になれるから。家人が輝いて見えるから。




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