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エンタメと日常の間のレモン水

めちゃくちゃ水分をよく摂る。
美容とか健康とか以前に水を飲むのが好きなのか、とにかくよく水やお茶を飲んでいる。1日、多いと3リットル以上飲んでいるかもしれない。
タバコは人生の句読点と何かで見たが、その句読点が私はおそらくややみずみずしい形で置かれているのだと思う。常に傍にはマグカップや水筒やペットボトルがあり、気がつくと飲んでいる。特に今年の夏は、句読点どころか文節ぐらいの区切りで飲んでいた。

ところで、年齢を重ねるにつれ自分の中でエンタメ水分と日常水分を分けて考えるようになった。エンタメ水分は甘いミルクティーやジュース、アルコールなど、体を潤すというよりは味を楽しむもの。一方の日常水分はというと、水やお茶など喉と体の渇きを癒すものである。

今より若いとき、例えば高校生の頃とか本当にここの間に境界はなかった。
喉が渇いた〜!と言いながら紙パックのリプトンをストローで流し込んだり、暑ーい!と言いながらオレンジジュースを飲んだり。コンビニにて、味のしない飲み物なのに値段が変わらないなんて…なんてことを思ったこともあった。

しかしあるときから、巷で言われている一般的な事象に漏れず「甘いものを飲むと余計に喉が乾く」がわかるようになったのである。
身体が液体を飲みたがる目的が、味という刺激を求めることから渇きを潤すことに素直に変わっていったのだと思うけど、なるほどこれか…という感覚はとても新鮮で面白くてちょっぴり残念でもあった。そのうち「脂がしんどい」もわかる日が来てしまうのかな。

というわけですっかり大人になった今、もっぱら飲み物は水かお茶である。乾いた喉に染み渡るガラスのピッチャーから注いだ冷たいジャスミンティーはもう、ごちそうの域だ。日常こそ喜び…としばしうっとりすることさえある。

だが、日常の中にふとしたエンタメが潜むように、はたまたその逆も然り、エンタメ水分と日常水分の間にある水分というのも私の中で存在する。私にとってはそれが、レストランとかでたまにお目とお喉にかかれるレモン水だ。

そもそもの立ち位置はどちらかというとエンタメ寄りだ。レストランに行ったり、わざわざ作ったりする必要がある。ところが作ってみるととても簡単で、よく洗ったレモンを薄切りにして冷たいお水にチャプン。製法の簡易さでいうとかなり日常レベルのそれに近い。
それにしても、レモンを切って冷たい水に入れただけだが、なんと芳醇で爽やかな香り…!と一口ごとに恍惚としてしまう。甘くもしょっぱくもない、ただただ喜ばしいレモン。そして喉はしっかり潤ってくれる。華やかさを保ちながら、役割はしっかり日常を支えてくれる水分だ。

エンタメ、エンターテイメント。
それは私にとって永遠の憧れで、ずっと側にいたいと願って生きてきた。エンターテイナーとしての生き方は選ばなかったけれど、今も昔もたくさんのエンターテイメントに助けられて生きている。

そんな私は思うのだ。エンターテイメントは膨大な日常の積み重ねの先にあり、エンターテイメントの中の日常は輝かしく、日常は時にエンターテイメント。稽古を積み重ねていると、ある瞬間に本番のそれを越えてしまったかのような成果を束の間手にすることがある。高い壁を、妙に力をかけずに飛び越えられたような気持ちになり、あ、私は大丈夫と強く思うと同時にプレッシャーも倍増しになったりして。

だけどそんな瞬間こそ、芸事を志す者として、ひとりの人として、自分とエンターテイメントを信じようと思える瞬間ではなかろうか。
レモン水の喜ばしさは、なんだかすごくそれと近いのだ。

レモン水、大好き。


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