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それでも言葉にしていきたい


誰かを傷つける言葉ではないか。


と気をつけながら文章を書いているつもりだったのですが、ライターさんや詩人さんの話を聞いてみると他にも見過ごせないものを見つけた。

それは「書くことは世界を狭くすることでもある」というものだ。

ライターの佐藤友美(さとゆみ)さんが著書「書く仕事がしたい」でそのように言っていた。
言葉にすることで経験を固定化して物語にしてしまう。それが言葉の良いところであり、注意しないといけないことでもあると。

書いてしまうことで、書かれなかったそれ以外の感情を忘れてしまう。なかったことになる。

仕事やプライベートでメモをを見直すと、書いてあることしか正確に覚えてなかった経験はないだろうか。自分にも思い当たる節がある。


それがインタビューとなると、誰かの思考を流れゆく言葉たちを物語に押し込めてしまってよいだろうか。大切な記憶を守ろうと思えば思うほど、話すのも書くのも怖くなる。そんなことを考えながら、それでも書いていくと。

さとゆみさんの責任感や覚悟を感じる。好きだから。それでもやっぱり、言葉にしていく



そういえば古賀史健さんも著者「書く人の教科書」で似たようなことを言ってた気がした。
ことばを外気に触れる前に、「何を書かないのか」を決めることが大事だと。何を書くかは基準ではないのだと。

忘れないようにパッと出てきたアイデアを書き留めておくのはこれまで通り続けるとして、なんとなくで文章を書くのは今後控えようと思った。言葉ではなくて思考が固まってしまうらしいので。


それから時を経て、詩人である最果タヒさんの展示に伺う。そこでも発見があった。

言葉を書くとは、「伝えること」「伝わること」
であるように見えて、本当は「伝わらないこと」をよりくっきり互いの心に残していくことだと思うのです。と展示の後書きにあった。

加えて基本的に人と人はわかりあえないと感じてるんです。そして言葉というのは、わからないものに「それでも」と手を伸ばすとき、生まれるものだと思っています。と目を通したインタビュー記事には書かれてあった。


言葉を使うと簡単にわかった気になってしまうので、自分もそうならないようにしたい。じゃあ言葉を文章を書くのを控えたくなるけど、皆さんのように、それでも言葉にしていきたいと思った。これからも書いていきます。

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