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生老病死に責任が必要な時代がくる!?

いきなりですが、
今後、日本の医療はどうなると思いますか?

私は、医療はいくつかのフェーズに分かれるんじゃないかと考えています。
①AIによる診療
②救命や外科手術など高度な医療
③家庭や地域で健康維持・増進する医療(暮らし)


①AIによる診療


これは、すでに対処が分かっていて、それをピンポイントで得たいときの医療です。
例えば、風邪をひいて熱と頭痛と咽頭痛と痰の症状があるとします。
そうしたら、あなたはクリニックに行って、だいたい抗生剤と去痰薬と解熱剤をもらうことが多いと思います。
医師じゃない私でさえ、きっとそれらを処方されるんだろうと分かります。
いつから熱がでてるとか、いつ下がったとか、また熱がでたとか、どれくらいの熱だとか、そういう熱型ををきくと、医師は「お、これはこのウイルスかな」とか目論見を立てます。そして、その時その地域で流行っている病も加味して、ある程度「この熱型と症状はインフルエンザの可能性が高いな、、、今この地域ではアデノウイルスが流行っているから、その可能性もあるな。両方検査しとくか。」となるわけです。
検査でインフルエンザと分かれば、処方される薬は大体、葛根湯や麻黄湯とか漢方に加えて症状緩和の薬たちです。
なんなら、受診する前から、「子どもがインフルエンザだし、これはきっとインフルエンザだなーと」自分でもおおかたの目星が付いている訳ですよ。
そういうときって、「いちいち対面で話をきいてもらわなくてもわかってるのに―この待ち時間がつらい、、、」となったりするわけです。
え、、、っと、これ、AIでよくないですか!?今のAIでも十分できそうですが?と。
あと、毎年2月とか3月とかにはスギ花粉が舞うじゃないですか。私は毎年「この頭痛と鼻水とくしゃみと目の痒みは花粉症だな」と分かって、クリニックを
受診するんです。そして、半日つぶして抗アレルギー薬をゲットするわけです。この過程、、、いります?となります。
初診の場合や非定型(なんか、普通の風邪じゃないっぽいぞ)となった場合は、ここでやっと対面で医師の診療があれば十分ではないでしょうか。
まあ、きっちりとみてほしいんだという場合には、対面も希望できるとしましょう。
と、ここまで想像して、この想像が近い将来普通にやってくるように思いませんか?簡単に想像できてしまいましたからね。
今まで、「コンビニ受診はよくない」と言われて医療者からは不評な行動でしたが、「そうしないと薬がもらえないんだもん」「熱があるから会社に行けないんだもん」など言い分はわかりますが、、
そういう受診は、まさに「AIによるコンビニ受診」が主流になると思います。


②最先端医療・救急医療・外科手術


二つ目は、従来通りか、それ以上の最先端医療、救急救命や外科領域の高度な医療です。
急性期や困外科的介入な治療や遺伝子に触れるような最先端の医療では、どう考えたってAIによるコンビニ受診では到底対応できないので、救急・外科手術・最先端医療は存在しつづけると思います。
ただ、ここで最先端医療と言っても、生命倫理の課題がでてくるので、より複雑になるのかなーとも思ったりします。
技術により、生かされた状態は作れるし、遺伝子も操作できるし、動物の臓器を移植することもできるし、いわば命をどこまで操作するのをよしとするのか。どこまでを許容して、どこまでが倫理的にダメだと決めるのか。
もちろん文化や国によって、それらは変わってくるけど、私たちもどこまでを許容できるのか自分で考えておかないと、思いがけず長生きしてしまうこともあるし、身体だけ生かされることもでてくるでしょう。
他人に命をゆだねすぎないためにも、生命倫理・医療倫理については、自分や家族で検討する価値があると思います。


③家庭や地域で健康の維持・増進をする医療


三つ目は、「医療」と書きましたが、これはほぼ暮らし・生き方です。
①と②の医療を選択する前のベースの医療です。
生活習慣病といいますが、生活習慣病といわれる病気以外の多くの病気も、生活習慣(くせ)や思考のくせ、身体の癖(姿勢や筋肉の使い方とか)どが影響していると思っています、私は。そして、それは個人だけでなく、家族、コミュニティ、地域の単位での習慣・癖です。

甘いものがやめられない、愛煙家であるなどは、ざっくりいうとそうなんですが。。タバコは本当は好きじゃなかったんだけど、自分以外の家族がタバコを吸ってるから気づけば自分も…とか。毎日、「昼におやつを食べて、夕食後にデザートがでてくる家で育った」とか、「親が自然志向だったから無添加食材ばかり食べて、夏には梅干し冬には味噌を作っている家庭で育った」とか。生活環境も影響しています。
人から頂いたものは、必ずおいしく食べなきゃダメとか、人から頂いた食器は、好きなデザインじゃないのに捨てずに使わなきゃダメとか、私は誰よりも特別でちやほやされたい思いがあるとか、そういう思考の癖も影響します。
世界はフラクタルなので、そういう一つ一つの生き方が全てが、身体や心の健康にも影響するのです。
自分の生活をみて、自分が望む生活や健康に合わせた生活スタイルや生き方を営んでいくということです。


これらの、3つの医療は、あくまで私の想像ではありますので、そこはご理解ください。

そして、これらの3つの医療は、どれも尊重されるべきで、価値観や状況によって選択していくものなのです。

現代日本では、現代西洋医学が主流で、保険診療にもなっているので、「それが正しい」「それが正義だ」「西洋医学は怪しい」という考えの人が少なくないと思うのですが、本当は西洋医学だから「正しい・優れてる」とか、民間療法だから「劣っている・間違っている」とかではないんです。

「今の私にとって、どうなのか」「どの治療法がいいのか」「どんな生き方をするのか」を自分自身で選んでいくのです。
●病院に行けば「休養をとってください。会社はいかないでください」と言われたりする。(今のあなたには養生が必要です)
けど、「明日、会社をあげたプロジェクトの会議があり、プロジェクトリーダーの私が出なければ進まない」などの自分だけでなく他の人の人生もかけたイベントがあれば、解熱剤を飲んででも無理をしたいときがある。(対症療法を選びたい)
●できるだけ、自然両方を選びたいし、そうしてきた。(自然療法がいい)
けど、この解放骨折(事故などで骨が折れて、骨が丸出しの状態)は、自然療法では改善が難しく、長引きます。そうなれば、外科治療のほうがよかったりします。(この場合の最善はおそらく病院での外科治療)
●とにかく、はやく症状のなくして、バリバリ働きたい、それが自分の人生だと考えるなら、自然療法でちまちま丁寧な暮らしなんてやってられっか。となるだろうし(症状がなければいい、出てきた症状をはやく改善したい)

どれも間違っていません。
自分で選んでいくことが大切なのだと思います。

ただ、多くの人が近代西洋医学の医師を信じすぎて、
病院や医師に自分の人生や身体を預けすぎているように思えてならないのです。

多様な医療があり、多様な生き方がある。

自分の人生や病気との付き合い方すべて、
自分がどうしたいのかを、自分で気づいて、選んでいく≒責任をとっていく
そんな時代に向かうのではないかと感じています。


私の妄想にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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