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2つ目の自分(14)卒業制作HOPEがライフワークになった

2つ目の自分(13)リハビリの世界と、大学の世界と、わたしの世界 から続きます。

「人間は記憶力や情報処理能力、計画を立て実行したり、自分の思いを言葉にする力、等という、身体五体や五感とは別にある認知機能を持っている。これが脳卒中や交通事故で損傷される障害を高次脳機能障害という。」


二十歳の交通事故で高次脳機能障害となり、二度目のわたしを生きることとなった。意識不明から幼児に生まれ直し、そこから成長を重ねたのだ。記憶することや私たちが無意識にも判断している「生活を送るため」の能力、複数人と会話することなど、それまで当たり前にできていたことが全くうまくいかない。

身体は覚えているため以前と同じように行動するが、全く上手く自分が動かない。言葉をつぐんでしまうばかりで、言いたいことがなにも言葉にならない戸惑いや失敗ばかり。

だれとも分かり合えない。


20年間のアイデンティティを無くしていた。学校にいても、友達にあっても、自分の存在感がまるでない。


此所に戻ってくるため毎日自分と向き合って、社会と向き合って、だけどどうにもならない自分に虚無感いっぱいでやり過ごす。


環境デザイン学科だったけれど、当時何かを学べた記憶はないなあ。ただ「生きる」ことに日々を費やしてた。


卒業制作にはそれまでの悔しさ虚無感どうにもならない気持ちをぶつけた。
もう13年前かな。
今時代が変わり、この時の思いにやっと追いついてきたなと。笑←
この思いはずっとかわらない。常にわたしの原点です。


思いに熱のこもった、序文はこれ。

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「交通事故から入院生活を経て二年前、この場に復帰する。自分に障害というものが身近になり、ガラリと人生観までもが変わる。

そこで見たものは現在に存在するたくさんのバリア。それは物理的にだけではなく、固定概念に捕らわれる現在の心。

万人を受け入れるこの空間で、心をより自由に導き、障壁のないフリーな心地よさを感じることを目指す。

これはバリアフリーを基調とした心のバリアフリー空間である。」


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ここでは誰もが自由に行き来できる、複合施設を計画した。

(全て揃ったデータを持ってなく、さらに鮮明な画像がなく残念、イントロの一部を紹介します。)

『この経験から出会った方々のこと。
障害者というレッテルで見られてしまいがちだが、実は彼らこそ本当に強く、謙虚に自分を見つめ努力し、自分の「生」を奮い立たせているのではないか。
そう感じて尊敬し、その姿を本当に格好良いと思った。」


(↓これ、努力しって書いているけど、努力じゃないな。障害者だからって別に努力しなくたって、かっこいい。そこで見た生き方がそれ以前はまったく見えてなくて、こういう生き方もあるんだって、素敵だった。)


「障害者と健常者の距離が生じていることが悔しくてしょうがなかった。
現在の悲惨なニュースが流れるこの社会には、障害を抱え生きている方々の姿が、新しい思考をもたらすのではと思う。」

「劣等感を感じず、ともに当たり前のように過ごせる場所があればどんなに生きやすくなるだろう。
わたしの望みは、皆がすでに持っている固定概念を取り払い、共有することのできる社会。それは人間の「ものさし」の多様化である。」

「同じ時を共有していける空間を立案する。
こうして共生社会を実現させていくのだ。」

(図面の一部)

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(模型)

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当時飼っていたうさぎにちなんでタイトルはHOPE。

(強い熱い思いばかりで、技術がなにもなかった中で、模型は全て先に卒業した友達に丸投げ、そして何から何までサポートしてくださった教授に感謝です)


当時教授から様々なアドバイスをもらう中で、私の経験を汲んで、「普通だったらしないことやっていくのもいい」と、アドバイスを受けた。

今も心に残っている言葉。私の中に激しい熱が籠もった。



卒業式の前日は、それまでの3年間を思い胸がいっぱいで、眠れなかったことを覚えている。

>「やり遂げた。」<

>「新しい私がスタートする。」<

そんな達成感でいっぱいだ。

よっっっしゃっ






「誰もが認め合える空間をデザインする」ここで始まった私の計画は、今も心の原点にある。未だ志半ばだ。


それから、少しずつ社会の価値感が変わってきたこの15年。TVやネット上で障害をマイノリティと呼び、当事者が活躍するところを目にすることが増えた。これからさらにスピードを上げて変革の渦が巻き上がり、新しい価値観が出来上がる。

これからもその一助になりたい。


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ここまで読んでくださり、ありがとうございました☺︎

二十歳意識不明、高次脳機能障害。

赤ちゃんから成長し直し。留年のち大学を卒業して、デンマーク留学、日本巡回写真展、アートセラピスト、6年間の遠距離恋愛の後渡米、国際結婚、100/8000人でサンフランシスコ一等地アパートご褒美の当選

泥臭くクリエイティブに生きるストーリー、続きます。

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