少なくとも

『短編小説』第8回 少なくとも俺はそのとき /全17回

 しばらくして、俺は会社を辞めていた。これが真幸によるものなのか、風俗に通っていたことなのか、自分という生き物に幻滅したせいなのか、理由は定かじゃない。ただ俺は風俗で働き始めた頃、もう風俗に通ってはいなかった。長い風俗通いの中で、今の自分に必要なものではないとようやく気付いてしまったからなのだろう。もしかしたら真幸を忘れるためにも、俺は会社を辞めたのかもしれない。同じ会社に勤めていたら、ふとした瞬間に真幸を思い出してしまった。もちろん同じ会社で働いていた訳でもないけど、真幸といたことも、あの会社に勤めていたことも、同時期に進行した、同じ時系列の思い出だ。それはどこか混同する。だから破片でさえなくなってしまえって、会社を飛び出したのかもしれない。
 どうしようもない。俺は、一人の女性によってこんなにも自分の人生を左右されてしまうのか。そう気付いたのは、風俗のボーイとして働き始めてから一年程経った頃だった。ちょうど、元同僚の彼からの誘いをひたすらに断り続けていた時期だと思う。俺は誰とも会いたくなかった。彼にしたって、真幸との思い出と時系列が重なってしまう。それらは全て自分の中から排除したかった。そうして全てを忘れてしまいたかった。……全て?違う、俺は真幸をただ忘れたかったんだろう。
 俺がそう環境を変えていた頃、真幸は何をしているのだろう?とたまに考えることがあった。考えを深めて辛くなるのは自分だって分かっていたから、あまり考えないようにしていたのだけど、それでも急に真幸は俺の頭の中に訪れる時がある。いくら頭を横に振ったって、簡単には離れもしない。別れてからは一度だって連絡を取っていない彼女は、今どこに住んで、何をして、誰と一緒にいるのだろう。そして、彼女はどうして俺と別れたかったのだろうか。その理由を、俺は聞いていなかった。

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