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初めての恋人のはなし

「ねぇ海外だとどの街が一番良かった?」
「うーん、バルセロナかな」

「バルセロナ最高だよね!」

こういう偶然が嬉しい。くすぐったい。あぁやっぱり私が好きになった人だなあと思う。
お互い離れていた時間はあまりに長く、たった数時間ではこの5年間をどう伝えればよくて、なにを尋ねれば良いのかも分からなかった。

結局、最近のことから話す。

向こうの仕事の話。
私のニートの生活のこと。
今の恋人との悩み。

18で出会った頃と変わらない身振りや笑い方のクセを懐かしく思う一方、あの頃より物事を柔軟で多面的に捉えらるようになっていることに月日の長さを痛感させられる。
「子供は欲しくない」と言っていた彼が「子供が出来たら」と前向きな話をするのが可笑しく、また、ほんの少し寂しい。

私たちはすっかり大人になっていた。


夏の汗がにじむ暑さと都会のビルの熱風とセンチメンタルな気持ちがごちゃまぜになって、あの時、本当に、どれだけ好きだったかを口にしていた。
過去に戻りたい、彼とやり直したいという気持ちからではなく、彼を愛していたことをきちんと伝えきれなかった後悔から。

後出しじゃんけんみたいに当時の思いを今の彼に伝えるのは身勝手でほとほと迷惑なのは頭では理解していたけれど「本当に大好きだった」と言葉が零れたら、どうすることもできなかった。

彼は決して私の方を見ず、私は夏の夕焼けに照らされオレンジに染まった彼の頬を一瞬、盗み見た。

照れくさそうに黙って私の一人語りを聞いたあと「ありがとう」とぶっきらぼうに答えた。
そして「感謝していることがある。ミュージカルを好きになったのは君が連れて行ってくれたからなんだ。新しい文化を俺に教えてくれてありがとう」と一息に話した。
彼も私に伝えそびれていた何かがあったのかもしれない。
何年も掛かってしまったけれど、私たちは伝えたかったことを互いに言えたのかもしれない。

胸の奥のそのまた奥底につかえていた言葉が呼吸と一緒に外へ出ると、空気を肺一杯に吸えるような清々しい気分だった。
それから駅まで早すぎもせず、遅すぎもしないスピードで横並びになって歩いた。
あと少しだけ一緒にいたいような気もしたけれど、私たちの間にはもう話したいことも話すべきことも残っていないみたいで真っ直ぐ駅へ向かった。構内のラーメン屋さんでラーメンを食べ、新幹線のチケットを買った彼を改札まで見送った。

「気を付けて」

「じゃあまた、次に長期で帰る時には俺から連絡するよ」

「タイミングが合えば」


あの頃のように彼は振り返ってはくれなかったけれど、私は彼の姿が見えなくなるまで見送った。

なんとなくこれで最後な気がしたから。

帰省する時には連絡するよ、の連絡がこないこともなんとなく分かっていたし、それで良かった。
社交辞令でもその言葉が彼から出たことだけで十分だった。

あれからまた一年が過ぎようとしている。

私はあなたの人生にこれから関わることはきっとないだろうけれど、心からあなたとあなたの愛する人の健康と幸福を祈っている。
ちゃんと彼女にプロポーズして結婚していてよね。
そうじゃなくちゃ私があなたの最初で最後、唯一の元カノになれなくなっちゃうから。

「過去を懐かしむのは別に罪じゃない」
独り言のように呟いた彼の言葉を時折思い返しては、遠いあの夏の日をぼんやりと思い浮かべている。

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