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絵画を読む秋。芸術を、お腹に詰めて眠りたい。

国立新美術館で開催されている、
オルセー美術館特別企画、
「ピエール・ボナール展」。

パリのオルセー美術館の作品130点が六本木でゆっくりと読めるチャンスだ。

パリには何度か訪れているが、ひとときのパリ旅行で、芸術をじっくり読むのはどうしても無理があるように思う。

街そのものが美術館のように美しい上に、市内に頻繁に点在する美術館、そしてその中に収められている膨大な数の絵画や彫刻たちと、とにかくどこから見始めたらいいのか迷ってしまうからだ。とりあえずと、ルーブル美術館に行ったところで、1日かかっても見切れない。

パリの住人がマルシェに通うように美術館に通うことも、市民カード1つで美術館の入場が無料になる社会システムも、パリの暮らしが芸術と切り離せないことを物語っている。

私は芸術に対して専門知識は一切ない。だが、小説であろうが、絵画であろうが、彫刻であろうが、芸術品を読むことが楽しくて病みつきになっている。もちろん、絵画や彫刻等には読むべき文字はどこにも書いていない。その作品について自ら想像してストーリーをつけていくのが、芸術鑑賞における楽しみの1つだと思っている。

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今日一番心惹かれたお気に入りは、ピエール・ボナールの「賑やかな風景」。

例えば、

<目に映る作品には事実として何が写っているか?>
・左の小高いところに明るく描かれた女の子が4人
・右の下に影のように描かれた女の子が2人
・空は爽やかな水色
・左右を割るような小川
・右側の木は上向きで、左側の木は下向き
・右側にレンガの壁

<それは実際には何を意味していると考えられるか?>
・左右に分けられた明暗は社会的地位や身分、もしくは人種の違い
・小さい子供を描いている点から、生まれた時から定められた地位や身分の違いがあること
・人物の背後にそれぞれ上向きと下向きの木があることから、自分には及ばない力が存在すること
・人が渡れる程度の小川であることから、自分次第で行き来できる可能性
・太陽が描かれていないことから、女の子たちの明暗は、自然界に影響されたものではなく、人間界の影響なのかもしれない。本人の心の様子そのものを表しているのかも
・万物の相対性、光と影など

<作者のメッセージはなにか?>
・一番手前に描かれたレンガが作者の本音だとしたら、身分や地位のある者やそれをよしとする社会への拒否反応
・左右を割って流れる、人が渡れるサイズの小川に、努力次第で人生は変えられると希望

<他の見方はできるだろうか?>
・この絵が1人の人生を表しているとしたら、人生で経験する良い悪いの波を表しているのかもしれない
・空=変わらぬ肉体
・明るい4人の女の子=良いこと
・暗い2人の女の子=悪いこと
・明るい女の子の数が暗い女の子の倍の数で描かれていることから、悪いことがあってもその倍いいことがあると言う作者のメッセージ
・小川を塞ぐようにレンガの壁があることから、この先の時代は、もっと境界線がなくなって、人間も自由になるという希望

<これらを踏まえて私自身はどう感じるか?>
・良いも悪いも受け入れること
・どちらもあるから美しい絵になる、人生も同じ
・生まれた時点で、平等でないことはある

これはあくまでも私の読みだ。
もちろん正解なんてない。

作者の意図は作者だけのものであり、今を生きる私たちには知り得ようもない。当時、戦時中であったフランスの社会背景なども考慮しながら絵画を読むと、解釈は完全に見る人に委ねられ、その影響も十人十色と変形する。

そうして目の前の作品を読んでいると、数分はあっという間に過ぎていく。こちらの好き嫌いによって1つ1つの作品に対する集中力の差はあるものの、見終わる頃には、作者の癖も自分の捉え方の癖もわかってくる。

芸術を読むと言うことは、強烈な自己内観であり、副産物として幅広い捉え方や視点も手に入るため、もちろんビジネスでの問題解決力にも繋がっていく。

単に、色や繊細さや迫力によって湧きあがる感情を楽しめるような、インパクトだけで満足していたら、ほとんどの作品は素通りせざるを得ない。その場合、歩くだけでも1日かかるルーブル美術館の観賞は、世界一優雅で参加費の高いウォーキングイベントとなるだろう。

イベント的に美術館をずらずら眺め歩くことと、日常の中に美術館に行く時間を敢えて作る人の違いはここにあるだろう。

日に日に寒くなる毎日だ。これからやってくる冬に備えて、たらふく芸術をお腹に詰めて眠りたい。
また芸術を読みに、来週あたり美術館に足を運ぼう。

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