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”っぽい” 継続18日目

「今回の新著はいかにも○○っぽい作品だ」
「あの行動は△△さんっぽいよね」
「□□っぽい言葉遣い」

”っぽい”という言葉はどういう表現なのだろうか?

僕の結論として、
『他社理解を伝えるための表現』というもの

”っぽい”を他者が感じるようになるには、まずは自分の行動を、思考を、存在そのものをたくさん見せつけるところから始めなければならない。

あくまでキャラづくりのために表層的に”っぽい”を演じることはできるかもしれないけど、それを徹頭徹尾演じきれるのは一部の天才のみ。ほとんどの人は演じ切ることができず、本当の”っぽい”を他人に曝け出してしまう。

いまこうやってnoteを書いていることだって、”っぽい”を感じ取ってもらうことのひとつにすぎない。僕の思考や行動指針、信念など、自分自身でも見えにくいものをたくさん言語化していくことで”っぽい”が見えてくるのではないか?

あくまで経験則で、それでも確信めいたものがあり、どこか愛着すら感じる表現。それが”っぽい”という言葉の性質なんじゃなかろうか?

「あの人のことを私はよく知っている」というメッセージ性も裏に隠れていて、どこか優越感に浸れる表現も含まれている気がする。

例えば、その内容がネガティブなものだったとしても”っぽい”という表現を用いることで、どこか柔らかくなり、言われた本人もそこまで悪い気にはならないのではないか?

部屋が散らかっていると友人にバレたときに「○○さんっぽいね!」と言われると、本当は馬鹿にされているかもしれないけど、どこかで「自分のことが理解されている」と嬉し恥ずかしな気持ちになると思う。

人間って、どこまでも自分というひとつの存在を理解して欲しくてたまらない生物なんでしょうね(笑)

さようなら。ありがとう。


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