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<書評>『魔法入門』

 『魔法入門』 W・E・バトラー 大沼忠弘訳 角川文庫 1974年
W.E.BUTLERの『魔法-その儀式と効力と目的 Magic、its Ritual、Power、and Purpose』1952年及び『魔法使い―その訓練と仕事 The Magician、his Training and Work』1959年 いずれもAquarian Press、London の二冊をまとめて訳したもの。

魔法入門

 魔法と聞いて、オカルトかと思いきや、冒頭にC.G.ユングの集合的無意識の話が出て来て、これを利用したものが魔法だと述べている。つまり、オカルト的な読み物ではなく、ユング心理学やシュタイナーの神智(人智)学と同類の啓蒙書となっている。

 実際に読み始めた後、錯覚かも知れないが、自分の周囲に不思議なことが起きている気がする。例えば、聞きたいなあと思っていたクラシック音楽が、偶然TVを点けたら、流れてきた。あるいは、見たいなあと思っていた映画が、TV番組表に載っていた。駅のホームに着いたら、すぐに電車が来たなど、いずれもポジティブなものが多いが、ある時、昼寝をして目を覚ましたときに、壁の中に赤いバラが見えたのは、なんだったのだろう。もしかしたら、薔薇十字団の印かも知れない。


 私は、「指輪物語」のガンダルフに憧れているので、今でも魔法使いになりたいと思っている。一方、禅の本を読んでいるうちに、ある日「無心」の意味に気づいて、心が晴れやかになり、自分が自然と一体になった感覚を得て、これが継続している。自分では大悟したのだと思っているが、果たしてどうなのかは正直わからない。でも、魔法の目的である自然と一体になることは、少しぐらいは達成できていると思うので、もしかするともう魔法使いの弟子くらいにはなっているのかも知れないと自負している。

 ところで、本書において、私の視点からポイントと思われる諸点を抜粋して紹介したい。この抜粋を読むことで、本書の言わんとするところが自ずとわかってくる気がするからだ。

P.22
 魔法は、その象徴や儀式の祖型的イメージを通じて人類の潜在意識的精神に語りかけ、それによって魔法使いの求める「意識の中の変革」を生み出すのである。
・・・
現代の最も発達した心理学の学派は精神の四つの存在を確認している。すなわち
(a)意識的な覚めた精神
(b)個人的潜在意識
(c)集合的潜在意識
(d)超越意識
・・・その結果われわれは時としてより深い自己の隠された神秘的な流れが、われわれが決して意識して選択したことがなかったような方法にしたがって、われわれを引っぱっているということに気がつくことがある。この隠れた流れの方向に意識的に気がつくことができるようになること、そしてこの流れをわれわれの人生を叡智の道と平和の道へと導く仕事に振り向けること、これが魔法使いの熾烈な欲望なのである。

P.106
「・・・魔法使いは生まれながらに魔法使いでなければならないのだ。」つまり、ある人が生まれながらの詩人であるように、生まれながらにして特殊な身体的な気質というものを持っていなければならないという。このことはきわめて真実であるが、さりとて真実の全体を尽くすものではない。詩人は生まれながらのものであって、決して後天的に作られるものではないが、それは偉大な詩人の話である。とはいえ、多くの群小詩人が輩出し、かれらの詩は決して偉大な詩人たちのような美質をもっていないが、にもかかわらず、かれらは中位の力を行使することで満足し、またそうすることによって大衆に娯楽を加えているのである。

P.194-5
 「ルアク」つまり「打算的魂」の下には「ネフェシュ」すなわち「動物的魂」がある。そしてこれは心理学上でいう「潜在意識」と同一視することができる。多分ユングが名づけた「個人的無意識」という言葉はもっと正しい呼び方だろう。

P.224
 (地球磁気の)積極的な流れは北極から、消極的な流れは南極から流れ出ている。そして東西の流れの通路は地球のビンガラ(東)とイダ(西)として知られている。人間の肉体の中にもそれにあたるものをもっている。エーテル体の背骨に相当するところを通じて、積極的な流れと消極的な流れが流れているのだ。一般的にいって地球の磁気圏の限界線は大気圏の限界線のまわりをとりまいており、この影響力の領域内で地上のあらゆる原子はタットワの潮のために作用と反作用を繰り返す中心となっているのである。

P.258
 「五芒星型の儀式」ではそれぞれ「火」、「水」、「地」、「風」の支配者として四人の大天使、「ミカエル」、「ガブリエル」、「ウリエル」、「ラファエル」が呼び出される。

P.282
 ・・・魔法と神秘主義はともにその高い到達点においては、あらゆる人間を照らしだす内なる光、内に住まう聖霊、われわれの真の「自己」という共通の基盤に達するのである。
 魔法も神秘主義も、ここに真の存在理由を発見する。そしてそのため、世界の偉大な宗教は、その程度の差はあっても、みなこの二つの「永遠なる神」に向かう「道」を結びつけている。

 これらの抜粋を読んでいくと自ずとわかるように、魔法とは、ユング心理学でいうところの集合的無意識、それも民族や人類としての集合的無意識ではなく、地球全体、そして宇宙全体の集合的無意識と交感することが目的であることがわかる。

 この宇宙全体の集合的無意識は、錬金術の用語でいえば「大宇宙(マクロコスモス)」であり、それが人という「小宇宙(ミクロコスモス)」と交感することになる。これはさらに、原始宗教、神道、儒教、道教でいうところの「自然の神」、「天」、「道」でもあり、それらと人が交感することでもある。つまり、われわれが「神」や「天」と述べていることは、「大宇宙(マクロコスモス)」の別の表現なのだ。

 そして、この「大宇宙」と「小宇宙(人)」とを交感させるために、「大宇宙」から派遣、あるいは「使わされた」ものたちは、ギリシャ語の原義通りに「御使い(メッセンジャー)」である天使たちなのだ。

 さらにこのメッセンジャーたちは、何も羽が生えて空中を自由に移動しているのではない。彼らは人類より高度に文明が発達した「地球外生命体」として、人類の進化を見守っている。

 そして人類の中から、新たにメッセンジャーに指名された者は、預言者エゼキエルのように、「輪のさまは、光る貴かんらん石のようであった。そのさまは四つとも同じ形で、あたかも輪の中に輪があるようであった。その行く時は四方のどこへでも行く。その行く時は回らない。ただ先頭の輪の向くところに従い、その行く時は回ることはしない。」(旧約聖書エゼキエル書第10章:日本聖書協会)と表現された乗り物=UFOに乗って、「大宇宙」と往来しているのだ。

 魔法使いになるとは、この「メッセンジャー」に連なることであり、また「大宇宙」へと往くことでもあるのだろう。だから、私はいつも、夜空の星に向かって「早く迎えに来ておくれ」と願っている。「When you wish upon a star, your dreams come true」星に願えば、私の夢は実現するのだから。

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