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1年半でアメリカ14往復することになったわけ(1)

こんにちは、こあくつゆきこです。
しばらく書かないうちにnoteも進化していてちょっとドギマギしています。

さて、4年ぶりの2月29日の余韻をカレンダーでジミジミ味わっていて気がついたことがありました。

というのも、FaceBookが発掘してきた投稿が8年前の2月、神楽坂にセッションルームを構えた報告でした。noteを始めた4年前の今頃はコロナ禍突入のタイミング。そして2012年は、10月末からアメリカへの遠距離通学を始めたのですが、メールを遡ってみると先生とやり取りし始めたのが2月から…って見事に4年ごと。

これ、潜在意識的には狙ってたとしか言いようがないのですが、今回はこれまで文字にしてこなかったアメリカ往復の話を書いてみようと思います。まずは、そこに至った経緯からお話させてください。

きっかけは本

あれは大阪にいた頃だから、もう20年前です。
ワンオペ育児で疲労困憊、鍼灸院のお世話になりっぱなしの日々でした。長女は癇の虫、次女は夜泣きと、娘たちも一緒によく連れていきました。必要なツボは自然と覚えて自分でも手当てしていたので、何となく鍼灸の勉強をしてみようかなと思っていたのでした。
それがなぜロルフィング®に向かったかというと、きっかけは夫の「疲れた」の連発を止めたくて買った一冊の本でした。
能楽師の所作がいかに身体の構造に叶っているかという話の中にロルフィングのことも書いてあったのです。一番印象に残ったのが「治さない」と書いてあったこと。面倒くさがりのわたしには「治す=治療」ではない方が絶対合ってる&面白そうと思ったのです。
ヘロヘロで手当て受けまくっている最中に、しかも、受けたことのないボディワークをする側になりたいと思うなんてまるで理屈に合わないですよね。でも、一度そう思ってしまったら落ち着いてもいられず、ロルファーを探してセッションを受けに行きました。

「体力がないって誰に言われました?」

そもそも、幼い頃から超なで肩に猫背で、ヒョロヒョロとお腹の力が抜けたO脚。次女をおぶって長女を連れて歩いていた時にガラスに映った姿が「孫の手をひいたおばあさん」に見えてギョッとしたことがあるほどです。
体力がないからすぐに疲れて体調を崩すのは、残念ながら自然のなりゆき。そんな情けない自分も伸び過ぎた身長も大嫌いでした。

さて、初めてのセッション。そこでロルファーから投げかけられた問いに衝撃を受けることになります。

「体力がないって誰に言われました?」

考えもしなかったことでした。誰に言われたのかが関係ある?
「小さい頃から何かイベントっていうと熱出して、体力ない自覚があったし親にも…」と説明しかけてハッとすると、

「ね?それ親御さんに言われたんですよ」(刷り込み)

「体力ないんじゃなくて、ないと思っていただけ。」
(思い込み)

「体力なくなるまで休まないで動くから倒れるんです」(クセ)

それ本当?という気もしつつ、どこか風穴が空いたような爽快な感覚があったのを今でもはっきりと思い出します。

そこからは実際に身体がゆるんでいくのと同時に、思い込みや自分のクセに気づくことがどんどん楽しくなっていきました。
「治さない」ロルフィングで姿勢の悩みからも自分のコンプレックスからも解放されていき、結果的に身長はさらに2cm伸びました(笑)。
当然、ロルファーになりたい気持ちもますます膨らみ、アテはないけどどうしてもならねばという決意に変わります。

…そうは言っても、アメリカ往復し始めるまでまだまだ道は遠かったのですね。
もうしばらくお付き合いくださると嬉しいです。

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