一瞬を共有する
先日、リサイタルを終えてという記事を投稿したのですが、
そこには演奏会本番のあの時間、一瞬一瞬が尊いと感じるようになったと書きました。
あのリサイタルを経て、先日プロのオーケストラのエキストラとして演奏していたとき、よそ見をしていたわけでもないし、集中力が切れたわけでもなかった。
けど、なんとなく、やっぱり
あの本番の空気感というか、匂いというか、
お客様と演奏者が一体化した時間を感じるようになりました。
お客様も演奏者もその瞬間に集中しているというか。
それが、今期で閉館してしまうホールで演奏したから、かもしれないし
ただ、一瞬の煌き
だったのかもしれないし。
どうやら、やっぱりあのリサイタルを境に私の感覚が変わったように思うのです。
リサイタル前の演奏者としての私の感覚も悪くなかったけど、どちらかというとリサイタル前は私が主軸で少し視野が狭いというか、そんな気がします。
どれだけ集中していられるか、どれだけ音楽に没頭できているか、どれだけ役に立てるか、どれだけ響きを聞いて楽しめるか。
そんなことを考えていたのではないかと分析します。
リサイタル後はもちろん演奏がうまくいくように努力するのは当たり前。その本番中集中することも音楽に没頭することも役に立てるようにすることも当たり前。
それにプラスして
時間軸というか目には見えない何かを感じて、お客様にも目を向けるというか意識を向けるというか。
本当に、体感するというか共有するというか。
あ、共有という言葉が近いかな?
そういうところにも目を向けられるようになりました。
この感覚がどれほど続くのかはわかりませんが
一方通行の演奏をしたくない
と常日頃考えている私にとっては、少しその理想に近づいたかな?と烏滸がましくも思います笑。
その時間、瞬間までお客様と共に音楽を感じられる奏者はどれほどいるのでしょうね。
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