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110円の缶ジュースを2人で飲んだらきっちり55円請求されたワリカンデートの思い出。

「55円」
彼は、手のひらを差し出しながら言った。
あの真剣な表情は今でも忘れない。

あれは忘れもしない、大学3年生のとき。カップルにお似合いのロマンティックな街、神戸。ハーバーランドという遊園地デートの帰りだった。

大学進学、ひとり暮らし。初めての彼はイケメンだった


 
北関東の片田舎、ガリ勉だのメガネザルだの、からかわれた暗黒の中学時代、とても楽しかったが女まみれの女子高校生時代を経て、全く男性に免疫のないまま京都の大学に進学し、ひとり暮らしをはじめたわたし。

大学に入るまで男性の免疫がないままだったので、大学ではぜひ「彼氏」なるものが欲しいと思っていた。しかし、男の子と話す機会がなく、どうなることかとどぎまぎしていたが、意外にも大学に入学してみて、実はわたしは男性の方がサバサバしていて話しやすいと言うことに気がつき、気軽に話せる男友達が結構できた。

その中で男友達の中のひとりと、大学1年生の夏に、うっかり付き合うことになった。憧れの初めての彼氏は、なんとイケメンだった。

自分の容姿にコンプレックスがあったので、こんなわたしにイケメンの彼氏がいるというのは結構楽しかった。後から聞いたらイケメンの彼氏は地元にいる頃モテモテで、自分に自信がたっぷりあったので多少イケてないわたしでもかわいく思えたのだという。需要と供給というのはうまくつり合いが取れているものだ。

彼は面白い子で、一緒にいて楽しかったし、気が合うし、お互い下宿生活、同じ学部の同級生と言うこともあり、ほぼ半同棲みたいな感じでお互いの家を行き来して、いつも行動を共にしていた。

一緒にいて楽しい彼に、1つだけ気になる部分、それは。



この彼とは大学時代を通じてほぼずっと付き合いが続き、仲良くしていたのだが、1つだけ気になる部分があった。

それは、「徹底的なワリカン」である。

もちろん学生同士、親に養われている身なので、「おごる、おごられる」などはさほど期待していない。ただし「ワリカン」がキッチリすぎて引くのだ。

たとえばデートで今日との街をブラブラするとしよう。朝からどこかに出かけ、昼ご飯を食べ、映画などを見て、夜ご飯を食べて家に帰ってくる。

できるところは別々で支払うのだが、2人でシェアする食事とかは、とりあえず彼が支払い、帰ってから清算する。

そこまでは良いのだが、朝からの行動をすべて鮮明に覚えていて、ここでいくら使った、とか、1日の振り返りをし、例えば2人で「餃子の王将」に行って、一緒に飲んだり食べたときのワリカンは、

私の方が瓶ビールを7割飲んだから、ビールの単価× 70%を払えとかいう。確かにわたしの方が呑み助なので、多く飲んだとは思うが、何本も飲んだわけではないし、彼もそこそこ飲んだし、そこは半分でいいのではないか?瓶ビールを厳密に7割で計算する必要があるのだろうか。

そういいながら、この「7割飲んだ」が衝撃すぎて、その後の人生でも、友人と飲みに行って、生ビールなら自分が飲んだ分だけ払えばよいので気楽だが、いまだに古風な瓶ビールの店では、わたしが7割払うべきか?と思ってしまう。

そんなキッチリしすぎた金銭感覚を持つ彼だったが、それ以外の部分では楽しいため、引き続きお付き合いをしていた。

そして、ついに「55円事件」は起こった

だが、そこに来てこの55円事件だ。

神戸といえば、異人館やロマンチックな夜景が名物、カップルに最適なデートスポットだ。その神戸のハーバーランドという遊園地で、ジェットコースターに乗ったり、手をつないで歩いたり、ひとしきり遊んだ帰りに、ちょっと喉が渇いたねと言って、出口にある自動販売機で当時110円だった缶ジュースを買った。

ただ、ペットボトルではなく缶ジュースなので、その場で飲み切らなければならず、1人で飲むには多すぎるので2人で1つで良いよねと言って、2人で分け合って仲良く分け合って飲んだのだ。これぞカップル。

ベンチに座って、楽しくジュースを飲み終えて、缶を捨てて、さて帰ろうと言う時になった瞬間に、冒頭のセリフだ。

彼は、

「55円。」

と言って私の前に手のひらを差し出した。

一瞬何のことだかわからず、「何が?」と聞いた。

すると、今のジュース、はんぶんこだから。
110円の半分で55円だよ。と言ったのだ。

何か悪い冗談かと思って彼の顔を見たのだが、
いたって真面目な顔をしている。

別に、55円を払いたくないわけではない。親から学費も生活費も出してもらっているわたしたちだ。だけど、アルバイトもしているし、さすがに110円のジュース1本くらいは、そこまで細かく言うほどでもない年齢だと思う。

楽しく遊園地で遊んだ後に、仲良く1つの缶ジュースを2人で分け合うなんて、なんて恋人っぽくて楽しいんだろうと思っていたのに、この「55円の割り勘」で興ざめした。美味しかったジュースの味はその瞬間に忘れて、苦い思い出しか残っていない。

こんなことを言われるなら、私が110円払えばよかったと思った。

その瞬間は、大真面目に55円を請求されているので、ビックリしすぎて「お、おう」と思いながら55円払ったが、なんだか本当にがっかりしてしまった。

何度も言うが、別にご馳走してもらおうとかではない。確かにご馳走してもらってくれたりプレゼントは嬉しいが、お互い養われているんだ。そこは気持ち、ということでいいと思うのだが、限度というものがあると思う。そのあたりがキッチリしすぎていて本当に息苦しかった。

さらに、誕生日やクリスマスも、よくいるカップルのようにプレゼントの交換をするのだが、とにかくプレゼントの中身よりも金額にうるさい。

俺は15000円分あげたから、お前も15,000円分返せと言う。わたしの誕生日が11月で彼は12月。わたしのほうが誕生日が早いので、15000円のものをもらったあと、同じ金額になるように、欲しいものを選んでいる彼を見るのはガッカリだった。

それだったらもう商品券でいいんじゃないかという感じだ。

確かに金額的にあまりに釣り合わないと、お互いに思うところはあるかもしれないが、それよりも先に優先したいのは、相手の喜ぶ顔を想像してプレゼントを選ぶワクワク感や、あげたときの相手の表情、もしくは、一緒に買いに行ってどれが良いか一緒に楽しく選ぶ瞬間の楽しさだ。

お金にきっちりした人を選んでしまう理由



ちなみに私がこんなにきっちりワリカンくんを付き合う相手に選んでしまうの理由は、わたしの生い立ちに心当たりがある。

うちの父親がお金にルーズで、わたしが小さいことから常に、母がひたすらお金に苦労していたのを見ていたせいだ。毎月毎月お金が入らない状況で、働きづめの母。私はカギっ子で寂しかった。うちの父は、口を開けばお金がないと嘆く。けれどお構いなしにお金を使ってくる。払うあてもないのにお金を借りる。プライドが高すぎて人に使われることができないので、事業を興すが、すぐに値引きして赤字を出すためすぐに倒産する。そんな感じで働いてもマイナス、働かないほうがマシなんじゃないかという自転車操業の我が家は、両親の夫婦喧嘩が耐えなかった。

父はお金がないと機嫌が悪いし、お金が入ると機嫌が良い。本当にわかりやすい人である。

そしてこの父親の愚痴を母からきかされて育った私は、絶対にこんな風になりたくない、。お金にルーズな男と結婚しないと、幼な心に誓ったのだ。

なので付き合う相手とか好きになる相手も、お金にきっちりしてるかどうかと言うところをしっかり見なくても、この人は真面目そうだとか手堅そうだとか、無意識に見ていたのかもしれない。

その証拠に、今の旦那もとんでもなくお金にきっちりしていて、これまたドン引くくらいお金に細かい。

私はどちらかと言うと宵越しの金は持たないと言う感じで、楽しく使って、足りない分は稼いだろう!と言うタイプだ。どんぶり勘定で細かいお金の計算もニガテ。なので、このきっちり感がよくわからないのだが、付き合っているときには、わたしにはない、このキッチリ感が魅力的に見えた。ギャンブルは、しないのではなく、できない。駆け引きが苦手で、トランプでさえやらないという、これまた極端なタイプだ。

自己管理が徹底していて、休みの日でも朝5時に起き、散歩やランニングをかかさず、体重管理もしている。

パートナーとして、私に足りないところを補ってくれて良いのかもしれないが、いかんせん、その日ぐらしで思い付きで生きているわたしは、それでも慎重なほうではあるが、旦那から見れば果てしなくいい加減に見えるようで、よく「お前というやつは、なんて無計画なのだ」叱責された。両極端すぎると、シーソーの端と端で、生き方のベクトルが違うので、ぶつかったときに着地点がなく平行線だ。ないものねだり、とはこういうことなのだと悟った。

お金の面では、正直、特に専業主婦時代、きっちりしすぎる旦那との生活はかなり息苦しい思いをした。

自分が「こういう人がいい」と思っている場合、「ちょうど良い」人を選ぶと言うのは結構難しい。なんとなくの経験則だが、やはり自分の異性親と似たような人を選んでしまうか、はたまた、わたしのように、「こういう人は嫌だ」と明確に思ったら間逆すぎる方面に行ってしまう傾向にあると思う。

とりあえずわたしは、その極端に走ったことで、窮屈ながらも、祖母の代から続いた放蕩旦那の貧乏ループからは抜け出すことが出来たので、それは良かったとは思う。

でも「55円の彼」との思い出は甘酸っぱい青春の記憶


ちなみに例の「55円の彼」とは、大学卒業して離れ離れになった。彼は地方の地元で公務員になり、私は神奈川で就職した。

卒業後も遠距離恋愛で少しの間付き合っていて、彼の就職先にも遊びに行った。もちろんあちらでもワリカン健在である。新幹線で交通費をかけて遊びに行って、お互いすでに社会人なのだからその辺の配慮があってもよさそうなんだが特になく、きっちり割り勘だった。

だが久々の再会を喜んで色々と話していると、彼はどうやら職場のみんなにはご馳走したりしているらしい。

私はそれを聞いて結構腹が立った。なんで私だけきっちり割り勘やねんと。

結局その程度の扱いなのだなぁと思ってだんだん疎遠になり、結局別れてしまった。

その後も一応友達として少しの間として連絡を取り合っていたのだが、ある日、彼が地元の人と結婚することになった、という連絡があった。元カノの私と連絡を取らないでほしいと、奥さんになる人に言われたそうで、これが最後の電話だね、という連絡があって以来それっきり音信不通だ。

わたしとしては、初めてお付き合いした人で、付き合いも長く、大学時代のほとんどを彼と過ごしたので、憎しみ合って別れたわけでもないので、今でも時々どうしているかなぁと思う。やはりきっちり家で締まり屋でお金を貯めているのだろうか。

公務員一家だったし、本人も公務員だし、おそらく堅実だから、子ども3人くらいいて、いいお父さんやってるんだろうな。なんて想像する。

確か、結婚すると言って、これがわたしとの最後の電話だという報告の時に、「お前も幸せになれよ。」と言ってくれたのがなんだかすごくグッときて、ウルウルしたのを覚えている。

わたしもそのあと、あなたに似た締まり屋の人と結婚して、かわいい息子がいるよ、っていつか伝えたいなぁと思いながら、もう連絡先もわからずそれっきりだ。

彼がこのブログを読むことはないかもしれないが、この場を借りて、元気でやってるよ。と伝えたい。


私の中で、人生で1番驚いた事と言っても過言ではないこの55円事件は、若かりし頃の頃の1つのエピソードとして良い思い出である。けれど、あまりにインパクトがすごいので、できれば「あっぱれ!さんま御殿」のエピソードトークあたりで取り上げて欲しいものだ。

そして気が付けば48歳、年女。もうすっかり恋のドキドキなんてものは忘れてしまい、日常生活、目先のことに必死で、あとは趣味のフラメンコだったり自分の好きなことをすることと、息子を育てるのと、毎日の生活に精一杯。

たまにしか話さない息子の恋バナを聞くと、そんな時期もあったなあとキュンキュンする。息子の表情から甘酸っぱい香りがしてくる。やっぱり若いっていいなぁと思う。

そして、そのたびに神戸のハーバーランドの話を思い出し、クスっと思い出し笑いをしてしまう。

そう思うと、若い頃の思い出って大人になっても何回でも反芻できるから、若いうちにできるだけ、恋しておいた方が良いなぁと思う。だから、息子が甘酸っぱい顔をしながら恋バナをするときは、若いうちにいっぱい恋しておいたほうがいいよ、と薦める今日この頃である。



今日も最後までお読みいただきありがとうございました!


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