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認知症の大変さ。人よりマシ。でも自分の定規で測ると日々最悪の更新

認知症の人に寄り添うのは、よほど人間ができているか、専門家とかじゃないと、結構難しい。特に家族は、認知症の人が発する言葉に振り回されてしまう。

実は最初、私は、認知症の父のそばで介護する母や妹の気持ちが分からなかった。そのことはマガジンの最初の方を読んでもらえたらわかると思うが、父は私の前ではかなりしっかりしていた(今も割とそう)ので、認知症だと気づかなかったから。そこから一気に反省して、遠距離介護、月に2回は新幹線で実家に行くようになり、1日もかかさず、母や妹とやりとりをしている。

そんな中、歩けるようになった、体重も少し増えたなど、もちろん、嬉しいこともあるのだけど、やはり認知症の症状に振り回されることが多く、正直、笑えないことも多い。

私は、介護をしている家族が、第三者に気持ちを話すことで、日ごろのストレスを発散するSNSのグループに入っている。私自身は今まで発言をしたことがなく、主に読む方だが、認知症の家族がいる人は、本当に大変な場合が多い。

ほとんど暴力のような、ひどい言葉でずっとののしられたり
乱暴に物(時には排泄物)を投げつけられたり
一日中嫌味や愚痴をきかされたり

そんな話を読んでいると、我が家はまだマシなんだなーとは思う。思うけど、それは他人と比べた場合。父が認知症になってから発する言葉は、自分の家族の事件として計測すると、日々、人生で最悪な言葉の更新オンパレードなのだ。例えば「なんで勝手に歩いちゃいけないんだ!」と声を荒らげることは、そのSNSに書き込めないくらい軽いことに入ると思う。でも、我が家にとっては、大事件なのだ。自分が骨折したことも、入院して手術をしたことも、それが去年の暮だったことも、その病院がK病院だったことも、毎回毎回話すけれど、認知症なので、すぐに忘れてしまう。

別に毎回話すのは構わない。なんなら職業柄「次は3分で理解してもらうような、上手な話し方をしてみよう」とか変な挑戦もできる。そこではなく、声を荒らげた父を見るのがつらいのだ。その話を母や妹から聞くのがつらいのだ。普段の父はそんな人ではないから。

そして、家族の疲労がたまっていく。

私も疲れている。今日も、まったく違う人に、まったく違うことで注意を受けた時、今まで我慢してきた涙がドワッとあふれそうになった。その人には関係がないことなので、なんとかこらえたけど。

母はもっと疲れている。私より父と話す機会の多い妹も。

自宅介護の限界って、こんな感じで迎えるのかもしれない。

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