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私は、私が期待しているよりずっとダメなのでは?

流行りの感染症にかかってしまった。幸い症状は軽い。軽いけどやはり病気は病気だ。周囲に迷惑も心配もかけて、仕事も滞る。症状の1つなのかなんなのか、とにかく凹んでいる。気分が明るくならない。
それなのに、元気な時の私と同じように「体調管理も仕事のうちだよ」「感染症になったのは自分のせいでしょう?」と、自分を責める行為が止められない。心が折れているみたいなのに、自分に向かって「症状が軽いんだから」「頑張ればできる」「迷惑かけた分頑張れ!」と追い込んでしまう。

みなさんの中にもそういう人いないかな。病気に限らない話で、例えば、ミスした時に「お前のせいだ!責任取れよ!」と自分で自分を追い込んでしまうタイプの人。意外に多いと思う。

そんなタイミングで、またまた望月りん先生から、良い本を紹介してもらった。

サムネの帯に目が行った。

つい頑張っちゃう人必読の書

ほんと「つい」なんだよね。周囲が頑張るように言っているわけではない、むしろ「ゆっくり休んでね」って言ってる。でもその言葉を聞くたびに「あー、迷惑なだけでなく、心配までかけている……」と自分を責めて、余計頑張ってしまう。

この本のAmazonのレビューに、こんなのがあった。

一度に読むのではなく…
この本はベットのそばに置いておきます。
疲れたな〜という時に布団に入って
何気なくこの本を開いて
そこに書いてあるお話を読む。
そしてすこし読んだらまた閉じて寝て、
またふとした時に読む。

Amazonレビューより

このレビューを読んで、そのような本の使い方ができる人は、そもそも自分を責めたりしないんだろうなとは思った。分かるかな。私のような人間は、自分に優しくする習慣なんて身についていないから(笑)こんな自分に優しい読み方なんて、この人には許せても、私には許さない。

でも、これは転機、チャンスなのかもと思い直すことにして、この本を買ってみた。このレビューの人だって、やっと良い方法を見つけて、シェアしてくれたに違いない。

エッセイなので、1編が短くて読みやすい。
最初の章「なんにも報われない」はAmazonでも試し読みできるから、気になる人は読んでみるといいかも。

3つめのエッセイ「自分への期待を裏切る自分」に今の自分の気持ちにぴったりな言葉があった。

私は、私が期待しているよりずっとダメなのでは?

今の気分そのままだ。元気ならこんなことくらいできるって思ってるけど、もしかして、元気な時でも、私はできていなかったんじゃ?自分でできたと思っていたこと、みんなはそれほどできたとは思っていなかったんじゃないか?どんどんそんな考えが自分から提供される。

で、ジェーン・スーさんはこう書いている。

本当は私を嗤(わら)ってるのは私自身なのだ こいつはなかなか手ごわくて、私から自信をすべて奪ったり、執着という厄介な地熱を生んだりもするけれど、いなくなられては困る存在。なぜかって?そりゃ、期待通りうまくいったときに、こやつの鼻を明かしたいからに決まってる。「どうだ、見たか!」と鏡に向かってほくそ笑み、うまくやれた自分に、おつかれ!と声を掛けたいのだ。

本文より

強い人だよね。私も元気な時はそうかも。自己肯定感高めだし!
でも今は違う。だから、別の癒しの言葉を求めて、この本をもっと読んでみよう。そう思うってことは、私が求めているのは、励ましではなく、癒しなんだな、きっと。

子どもの頃、風邪をひいて、扁桃腺を腫らせて高熱を出した時、いつも母がそばで頭を撫でていてくれた。あんな癒し。

望月りん先生も言ってたけど、大人になった今、それすらも自分で積極的に方法を探さなくちゃいけない。大人って大変だ。

休んでねって言葉を素直に聞けない。
不調な時も自分が決めたことはやり遂げたい。
自分を甘やかすことに慣れてない。
でも自分に甘い過去もさんざんあったような気がする。
そう考えると、自分の基準に統一感が取れてない気もしてくる。

私は、私が期待しているよりずっとダメなのでは?



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