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入籍前夜

少なくとも初婚の入籍前夜は、一生のうちでも今夜しかない。
そう思うと居ても立っても居られない気持ちになり、今の所感を残しておくべく筆をとった。

ここで「少なくとも初婚の」とか前置きするあたりがわたしっぽいなと思う。プロポーズに指輪選びにブライダルフェア、華やかなできごとが続く日々に浮かれる一方、必要以上に冷静であろうとしてしまう部分もある。
それは、決して婚姻制度を過信すまいという強い意志に基づくものなのだと思う。あんなに結婚に焦がれたわりにおかしな気もするが、そのふたつの思いはわたしの中で矛盾しない。しかし現状、「あんなに結婚に焦がれ」ていた自分すらも、若干揺らいでいる感が否めない。

入籍前の一週間はちょうど術後の傷病休暇と重なって、無職のときぶりくらいに弛緩した精神状態で過ごした。自分と向き合って考える時間がたくさんあった。そのせいか、一丁前にマリッジブルー的な状態に陥っているのを感じる。
あんなに憧れていたのに、いざ数日前になり入籍までのカウントダウンが始まると、なんとなしに気が急いた。物心ついた頃からわたしは、誕生日の前や年末になると「何かやり残したことがある気がする」と俄かに焦りだすくせがあるのだが、そのときの気持ちにとても似ている。冒頭の感情もしかり、根が貧乏性なのだと思う。変わる前に何か成さなければもったいない、とでもいうような。焦るばかりで特に何か成したことはないのですが。

5年あまり交際し、3年以上も一緒に暮らしているのだから、今さら結婚したって何も変わらない。引越しもしないし、わたしは働きつづけるし財布も別のまま、目下子どもも望んでいない。だから何も変わらない、何も心配いらないと、かつて恋人を説き伏せた言葉を思い出す。
本気でそう思っていた。でも、そんなことはなかったのだった。たしかに戸籍上のできごとに過ぎないけれども、こと気持ちの面においては、何も変わらないことはない。

明確なところでいうと、入籍に伴いわたしは苗字が変わる。
特に思い入れもないまま27年あまり過ごしてきたし、仕事は今の苗字でつづけるので日常生活においてはさほど変わりないと思うのだけども、いざ手放すとなると惜しいような気もしてしまう。思い入れはなくとも愛着はあるし。そもそもなんで変えなあかんねんという憤りもあるし。そもそもなんで変えなあかんねん。お揃いの苗字になれてうれし〜♡みたいな可愛げがなくて恐れ入る。

苗字以外はなんやろう。うまく言語化できない、なんとなくソワソワする、としかいえない。
もうひとりの当事者は「プロポーズですべてやり切ったのでもう何も思い残すことはない」と憚らないし、彼の友人の既婚者のうち大半は、婚姻届すらどちらか片方だけで出しに行ったという。わたしが入籍に意味を持たせようとしすぎているだけなのだろうか。
過ぎてしまえば変わらぬ日常がつづくだけとわかっていても、いつだってなんだって変化はこわい。

そういえば同棲を始める日、東京から神戸へ向かう新幹線に乗っているときも、決して楽しい気持ちではなかったことを思い出す。
退職も引越しもすべて自分で決めた。責任は自分で引き受けるのだ。もし新生活がうまくいかなくても誰のせいにもできない。もう退路はない。そうやって挑むような気持ちで車窓を眺めていた。あのときも、資金を貯めるために転職したくらい同棲に焦がれていたはずだったのに、いざその局面が来るとびびって及び腰になっていた。

でもなんとかなったから、このたび結婚と相成ったのだ。
何も変わらないことはないけれども、変わらないことの方が多いとかつてaikoも歌っていた。だから大丈夫。不安と自信がないまぜになったまま明日、日付が変わってもう今日か、わたしは新しい戸籍をつくる。 

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