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紫がたり 令和源氏物語 第十八話 夕顔(二)

 夕顔(二)

それは冬の終わり、春の芽生えが感じられる頃のことでした。
いつものように御息所と約束して昼間に邸を訪れるよう伝えてありましたが、その前日から恋煩いであまりよく眠っていなかった源氏は加減が良くないということで、お断りの使いを出しました。
御息所はいつのまにか源氏の訪れを待ちわびている自分の心に戸惑いましたが、丁寧にお見舞いの手紙を書いて白梅の枝に結んで送りました。
春を告げる清廉な白梅の薫りが芳しく、そのおくゆかしさが胸にしみて、源氏は恋しさでいてもたってもいられなくなり、急いで側近の惟光に車を用意させました。
急な訪れではありましたが元々約束していたこともあり、御息所は快く御座所に源氏を迎えてくださいました。
しかしいつものような快活さはなく、物憂げな源氏を見た御息所は心底案じましまた。青ざめた顔はどこか思い詰めていて、まさか源氏が自分を恋うるあまりにやつれているなどと思いもよらず、何事かと狼狽しました。
「源氏の君、お加減がよろしくないのではありませんか?」
「大丈夫です」
そう言ったきり押し黙り、どうにも歯切れがよくありません。
簡素な白い直衣を着た源氏の姿は却ってなまめかしくて、美しくも罪な御方だわ、と内心嘆息せずにはいられませんが、御息所はこのような表情の若者に何と声をかけてよいのやら。適切な助言ができるものか、と困惑されました。
源氏は大きな溜息をひとつついて、呼吸を整えると、真剣な面持ちで切ない胸の裡を吐露しました。
「私はあなたを想うと胸が苦しくなります。私のような若輩者が御息所に愛を語るなど畏れ多いことですが、この心裡をお察しください」

源氏は十七歳、御息所は二十四歳。
もう女として生きることはないと思っていた御息所は戸惑いました。
恋にやつれた美しい青年が、我が愛を得たい、と目を潤ませながら訴える姿にどうして抗うことが出来ましょう。
世間に知られればみっともないことと、貴婦人の体裁を保ちたい自我と源氏を憎く思わぬ気持ちに乱れましたが、どうにも抗うことができずに、とうとう源氏の愛を受け入れてしまいました。

直に会った御息所は女盛りのしなやかさを備えた美しい女性でした。
まさに貴婦人の中の貴婦人と讃えられるにふさわしい容貌で、目元には何ともいえない色香が漂っております。
源氏はまるで夢をみているような感覚に酔いしれて、虚ろだった心が満たされたような気がしました。
想いが通じた恋のはじまりというものは心を浮き立たせてくれるものです。
最高の女人を得た喜びで、源氏は足繁く御息所の元へと通いました。

それでも男性の身勝手さというものは女人には辛いものです。
御息所は思い描いた通りの人で何の不足はないものの、やはり宮とは違う、という思いが源氏の頭をよぎるのです。
叶わぬ想いを誰かに投影して自分を慰めようとすることは、たとえそれが無意識なものであったとしても、不毛であることに若い源氏の君はお気づきになれません。
真剣に源氏を愛する御息所にはお気の毒なこと。
御息所は慎ましやかで気位が高く、いつも何か言いたいことがあっても品よく飲み込んでしまうようなところがあり、文学談義をしていた時はあんなにも気さくだったものを、と少し落胆した源氏の君なのです。

御息所の方はというと七つも下の愛人にみっともないところを見せたくない一心で見苦しくないよう振る舞い、年上特有の口うるさいことは若い青年のもっとも嫌うところであろうと気を遣っていたのですが、女心の深いところを若い君には斟酌できるはずもありません。
そして源氏のすべてを欲しがるような御息所の愛し方を少し窮屈に感じるようになってきたのです。

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