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紫がたり 令和源氏物語 第百五十九話 絵合(五)

 絵合(五)

さて、ここのところの風向きを面白く思わないのは、もちろん源氏のライバル・権中納言です。
さっそく帝を弘徽殿に呼び戻すために一計を案じることにしました。
有名な絵師を数多く集めて、今風の絵をたくさん描かせております。
平安時代に描かれた絵というものは、風景画をはじめ、昔ながらの絵物語や説話めいた美徳を表わしたもの、宮中における歳時記のような四季折々の行事を描いたものなど多種多様でした。
権中納言は宮中行事を表わしたものを添え書きなども面白く工夫され、帝がお気に召すよう斬新に趣向を凝らしました。
それを弘徽殿女御の手元に置いて帝に足をむけさせようという作戦です。
帝は素直に喜ばれ、絵を斎宮の女御にも見せたいと思召しましたが、権中納言は門外不出の作品ですので、などとなかなか承諾しません。
そもそも弘徽殿に帝を留め置くのが目的なので、帝が斎宮の女御と秘蔵の絵を楽しむなどはもってのほか。
そこが少しセコイといえばそうなのですが、源氏に負けじ、と必死なのです。

それを聞きつけた源氏は、
「権中納言も相変わらず、子供っぽいことをなさる」
そう苦笑しました。
「それでは我が家に伝わる歴史ある絵物語などを斎宮の女御に献上しようではないか。権中納言は今風のものを新しく描かせているというが、やはり古くから伝わる名品こそ、人の心を打つというものだ」
そうして絵画を献上する旨を帝に奏上しました。

「紫の上、あなたは絵画の造形にも深い知識があるし、ご自分が描かれるので趣味もいい。一緒に選んでくれるかね?」
「もちろんですわ」
最上のものを、と早速二条邸の書庫を開けさせました。
「前にここを開けたのは須磨に行く前に権中納言、帥宮と漢詩を競った時だったかな。埃は払ってあるが、絵は無事だろうか」
源氏は紫の上と二人で数々の厨司を開き、あれもこれもと絵を選別し始めました。
「古い趣のあるものもよいが、若い女御だから当世風のものが好まれるのではないかな」
「でも月並みな絵物語では退屈ですわ」
「長恨歌、王昭君などは面白いのだが、新婚の女御に夫と死別する女人の話はいただけないなぁ」
「あなたったら、それはいけませんわ。あら、こちらは?」
紫の上は大切そうにしまってあった何巻かを手に取りました。
装丁は上質な物でしたが、華美ではなく、どこか開いてはならないような気がして躊躇われたのです。
「ああ、これは。ここに納めてあったのか」
源氏はそのひとつを手に取ると、するすると紐を解いて静かに開きました。
その瞬間、紫の上は言葉を失ってしまいした。
海風の渡るわびしい海岸線、潮たれた松の林に屈強な海人たちが描かれたものです。
その手はまさに源氏本人によるものでした。
「これが須磨の浦でございますか?」
「うむ、このような場所であったよ」
「とても寂しげですわ」
紫の上は当時の源氏の心裡を覗き見たように切なくなり、涙をこぼしました。
「ほら、そのようにあなたがお泣きになるのではないかと、私を慮って惟光あたりがここに隠しておいたに違いない」
源氏は優しく紫の上を抱きしめました。
「このようなところにあなたを連れて行けないと言った意味がわかるだろう?それは風の音も獣の唸り声のような恐ろしく寂しいところであったのだ」
「殿、拝見してようございました。あなたの嘆きを分かち合いたいと願い続けたわたくしですもの。怖じませんわ」
この絵にはあの時の心の叫びがまるで表れているようで、けして紫の上には見せられまいと思っていたものでした。
やはり惟光がそれを察してここにそっと隠していたに違いがありません。
しかしながら無事に帰京した今となっても源氏自身、この絵を正視するのは辛いのです。
いまだあのつれない人には甘えたい、知っていただきたいという気持ちがあるからなのでしょうか。
女院にだけは見ていただきたいと心密かに願わずにはいられない源氏の君なのでした。

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