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紫がたり 令和源氏物語 第八十一話 賢木(十)

 賢木(十)

源氏はあれきり手紙のひとつもよこしませんもので、藤壺の中宮はまた胸を痛めておられました。
日を空けずに消息などよこしていた源氏の君からはたりと手紙が途切れたのを端からみればどのように思われるのであろうか?
源氏の気性を考えると拒んだことを拗ねているのに違いありません。

宰相と呼ばれる立場になってまでどうして藤壺の中宮とのことになると目が塞がれてしまうのか。源氏の子供っぽい振る舞いが宮にはそら恐ろしく、どうしたものかと悩まれるのを当のご本人はまったく推し量ることができないのです。
宮は母となられたことで子の為に生きる強さを養われました。
が、しかし源氏の君はいつまでたっても父として子を思い遣ろうとする姿勢が見られないのが、すれ違いの始まり。源氏の君はけして心を変えることはないでしょう。
このような状況になってみると、亡き院の御志の深さとあらゆる気配り、春宮を守ろうとした御心は父らしくまったく尊いと感じるにつけても、まだ若い源氏の君がそのような心持ちに至らないのが残念なばかりです。
そうして宮はある御決意をなされました。
その為には愛しい我が子の顔を見て、心積りを話しておかなければなりません。きりりと口元を引き締めて、側近たちに参内する旨を伝えました。

平素ならばこのような時は後見が供をしてお送りするはずですが、源氏は宮の仕打ちを恨んでいられるので、気分が悪く・・・、などと辞退しました。
宮はまた子供のような、と呆れられましたが、思う所もあるので却って都合がよいことと気持ちが楽になられたようです。
しばらく御所に滞在しようと考えておられるので、春宮とゆっくり話ができることを楽しみにゆるゆるとお出掛けになられました。

久しぶりの内裏は見知っている懐かしいものとはまるで別世界でした。
右大臣や弘徽殿大后の機嫌を伺う殿上人ばかりで、我先にと人の足元を掬うような目をした輩が手を擦り合わせながら、上辺だけの笑顔を浮かべているのです。
今となってはまさに中宮とは名ばかり。
敬われるどころか冷ややかな視線が付き纏い、挨拶をする者もおりません。
どこか殺伐とした雰囲気が物悲しく、厭わしい。
桐壺の帝ご在位のあの輝かしいばかりの御世はここにはありません。
それでも春宮のお顔を見ると自然に笑みがこぼれる中宮でいらっしゃいました。
心苦しくも春宮は益々源氏の君に似て、聡明そうに立派になられておりました。
「お元気でしたか?」
「はい、お母さま」
母子は長らく会えなかった時間を埋めるようにいろいろなことを取り留めもなく語り合われました。
春宮は益々才気煥発で、最近覚えた詩文のことや、説話など、その教養も豊かになられておられるようです。
あっという間に時間が過ぎて、そろそろ春宮の就寝の刻限が迫り、宮はやはり今話してしまおう、とせつなそうに切り出されました。
「私の姿が変わってしまうとしたら、春宮はどのように思召されるでしょう?」
「姿が変わられるのですか?」
「はい。今より髪がずっと短く尼削ぎになり、お坊さんのように漆黒の衣を纏うようになるでしょう。そうなると春宮とももうあまりお会いできなくなってしまいますが・・・」
そう母君が涙をこぼされるので、春宮も悲しくなり、
「今でも寂しくて仕方がないですのに」
と涙がこぼれそうなものを必死にこらえる御姿が愛おしく、成長なされた、と宮は感慨深く思召されるのでした。

宮の御決意とは、まさに出家すること。
神仏が厳しくお定めになっているので、俗世を捨てれば源氏の懸想を逃れることができます。
そして弘徽殿大后がこだわっておられる中宮の御位も返上すれば春宮に対する風当たりも和らぐでしょう。
宮は、自分はどうなってもこの愛し子だけは守って見せようと改めて誓うのでした。

次のお話はこちら・・・


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