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紫がたり 令和源氏物語 第二百八十九話 真木柱(二十)

 真木柱(二十)
 
その年の十一月、玉鬘は美しい若君を産みました。
右大将も大喜びで、玉鬘を以前にもまして大切にするもので、夫婦仲はことさら良好のようです。右大将の若君たちもすっかり玉鬘になつき、愛情を受けてすくすくと成長しております。
その噂を聞くにつけても式部卿宮は面白くありません。
娘は物の怪に苛まれて、手に負えなくなるばかりです。
しかし右大将は北の方に経済的な援助を施し、定期的に若君たちをあちらの邸に行かせるようにして、完全には縁を切っておりません。
真木柱の姫君はというと、弟たちが幸せそうに継母の優しい様子や美しく風情のあることを語るので、何故自分は男子として生まれなかったのだろう、と悲しくなるのです。懐かしい大好きな父上に会いたいと願うのですが、祖父と母がそれを許してくれないのでした。
 
さて、このように玉鬘は己の運命を切り拓き、幸せな日々を送っておりますが、今一人の内大臣の姫君はどうなったのでしょうか?
きっと気に懸けられている方も多いでしょう。
あの今姫君と揶揄され、尚侍を志している近江の君です。
君は相変わらずの早口で弘徽殿女御の間で下働きに勤しんでおりましたが、弘徽殿女御の御前には立派な公達が数多伺候されるので、近頃色気づいてそわそわと落ち着かないようです。
実は近江の君には意中の公達がいるのです。
弘徽殿女御はそんな近江の君を見て、いつかみっともないことをしでかすのでは、と気が気ではないので、女房たちに近江の君の挙動を見張り、何かあれば留めるようにと指示しておりました。
また父の内大臣もこれ以上世の笑い者になるのが恥ずかしく、君にはもう人前に出ることは慎むよう言い含めております。
ですが、とうとう世間の物笑いになる様なことをしでかしたのです。
 
それは弘徽殿女御の御前にて管弦の宴が催された時のことでした。
楽に優れ、声望高い若君ばかりが伺候して秋の夕べの趣あるさまを堪能しようというものでした。
女御の弟君である柏木の中将を筆頭に珍しく夕霧もその場におりました。
女房たちは夕映えに美しい夕霧の姿に溜息を漏らしております。
「柏木さまも立派ですが、さすが夕霧さまは上品で格別にお美しいですわ」
昔の源氏と内大臣のように当代一の公達はというとこの夕霧と柏木。
他の追随を許さぬ上に二人は親友で、眩いばかりの仲のよさです。
一曲目が終わるといよいよ陽が暮れて、しっとりとした風が吹きはじめました。
なんとも心地よく、夕霧が笛の調子を整えていると、どこからか夕霧を呼ぶ声が聞こえてきます。
「夕霧さま、夕霧さま。こちらにいらしてくださいな」
夕霧は女房に呼ばれたのかと御簾の近くに寄ると、同じ声で呼びかけられました。
 
沖津舟よるべなみ路いただよはば
     棹さしよらむとまり教えよ
(あなたがまだ北の方を定めずに漂っておられるならば、私が棹をさしてお側に参りましょう。行きつくところを教えてくださいませ)
 
「御身は私の姉妹の雲居雁をずっと想っておられるようですが、実らぬ恋など諦めて私にふり向いてくださいな」
などと、不躾にもほどがあり、夕霧は恥ずかしさのあまりに赤面しました。
いったい誰がこのような振る舞いをなさるものか、そう思い巡らして、なるほどこれが噂の近江の君であるかと得心しました。
唐突なことで、まさか近江の君がこのような行動に出るとは予測もつかず、女房たちも呆気にとられて制止することができませんでした。
弘徽殿女御が恥ずかしさのあまりに、美しいお顔を扇で隠して背けたのは言うまでもありません。
 
平安時代の恋愛はあくまで奥ゆかしいものです。
女人から歌を呼びかけるのはないこともありませんでしたが、自分の存在をさりげなくアピールするもので、このような近江の君のストレートな求愛ははしたなさを通り越して、絶対にありえません。
 
よるべなみ風のさわがす舟人も
     思はぬかたに磯伝ひせず
(北の方が定まっていない私でも、想いの無い岸には寄りませんよ)
 
夕霧に素っ気なく振られてしまった近江の君は、たいそう気まずく、ご自分の振る舞いを少しは反省されたとか。。。
しかしこのように面白い話が世間に取沙汰されないはずもなく、内大臣の苦悩は益々深まるばかりなのでした。

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