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紫がたり 令和源氏物語 第二百四十四話 常夏(四)

 常夏(四)
 
玉鬘の実の父君・内大臣は正直新しく引き取った近江の君の処遇に困り果てておりました。とても人前に出せるような姫ではないのです。
どうしたものか、と頭を悩ませていると息子の弁の少将がやって来ました。
「父上、私は昨晩とんでもなく恥ずかしい目に遭いましたよ。六条院の大臣に今姫君(近江の君のことを揶揄した呼び名)の噂は本当か、と尋ねられたのです」
内大臣はまた気に病んでいた処に辛いことを言うと顔を顰めました。
「源氏はよほど我が家のことが気になって仕方がないのだね。昔からライバル心剥き出しの大人げない人であったよ」
「玉鬘姫は教養も高く美しいということで、兵部卿宮さまや髭黒の右大将どのが熱心に言い寄られているということですよ」
内大臣はとても近江の君にはありえない幸運を妬ましく、ついつい源氏のことを悪く言ってしまいます。
「あの源氏という男は癖のある男ですからね。六条院に妙齢の姫君がいないことがつまらなくて、実子でないものを引き取ってかしずいているのかもしれないよ。年頃の源氏の娘というだけで若い貴公子達は胸を弾ませるだろうからねぇ。そうして楽しんでいるんだよ、あの大臣は」
などと、思いつきで口にしたにしては真実を言いえていることを当の内大臣はご存知ないのです。源氏の本性をそれとなく見抜いているのはさすがかつての親友といったところでしょうか。
「私も雲居雁をそうしたかったんだが、あてが外れたからねぇ。夕霧の冷淡なことにもがっかりしたよ」
内大臣はついつい息子に本音を漏らすのでした。
「そうそう、源氏の大臣は夕霧にその落ち葉を妻にすれば少しは慰められるだろう、などとからかわれまして、まったく居心地の悪い次第でした」
弁の少将も決まりが悪く、親子は顔を見合わせて深い溜息をつくのでした。
 
内大臣は雲居雁が不憫でなりません。一度噂が立ってしまったからにはよい縁談など望めないでしょう。
もちろん入内などは無理なことで、今上には姉の弘徽殿女御がおられますから姉妹が帝にお仕えするというのも具合の悪いことです。
何より身分の低い尚侍などとして宮中に送り出しては後ろ指を指されるのは目に見えています。
とても気楽に宮仕えというわけにはいかないでしょう。
夕霧に許すにしてももう少し夕霧の官位が上がって、源氏が頼むと頭を下げなければ納得ができないところです。
夕霧は内大臣の目に触れぬところで雲居雁に熱烈な恋文を贈り続けておりますが、うわべは素知らぬ風を装っているので、内大臣は夕霧の心が他に移ったかと恨んでいるのです。
そんな娘はどうしているのかと雲居雁の御座所に赴きました。
ところが間の悪いことに雲居雁は薄物一枚を身に着けてうたた寝をしていたもので、短気な内大臣は親の心知らぬ者よ、とカッと頭に血が上りました。
わざとらしくパチリと大きな音で扇を鳴らすと、姫は何事かと目を覚まし、憤怒の形相を浮かべた父親に赤面しました。
「女がこんな人目につくところで居眠りとは何事ですか。近くに女房もおらぬとは、自覚が足りないにもほどがある。これ以上のスキャンダルは御免ですからね」
「申し訳ありません」
そのしおれた姿も可憐で、ついきついことを言ってしまったと反省する内大臣ですが、娘かわいさにこのように辛くあたってしまうのです。
なんとも惜しいことと娘が可哀そうで仕方がありません。
三年の時を経て、雲居雁は乙女らしく匂うばかりに成長しておりました。
この器量であれば東宮妃にと願っても高望みではないほどに。
姫の方ももう子供ではないので、世間のことがわかるようになり、自分と夕霧の浮名が世に広まって取り返しがつかなくなったことも理解できます。
そして何より父の傷心を申し訳なく思っているのでした。
「姫の身の振りをどうしたらよいのか、私はそればかりが心配でならないのですよ」
内大臣はやはり娘が可愛いのでうっすらと涙を浮かべられます。
そんな父を見て、
「申し訳ありません」
雲居雁はもう一度同じ言葉を口にして俯きました。
つやつやした髪がこぼれ落ちるのも美しく、まったくもって惜しいこと、と内大臣はやるせなく娘の御座所を去りました。

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