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紫がたり 令和源氏物語 第百五十一話 関屋(一)

 関屋(一)

源氏の若かりし日の恋のひとつにどうしても忘れられない女人がいます。
単衣を残して見事に源氏の手元から逃れた『空蝉』こと、伊予の介の妻であった人です。
人妻の匂うばかりの悩ましげなあの夜の様子が思い出されるたびに忘れられない恋であった、と胸の奥の宝箱をひっそりと開くような感じを覚えるのです。
その度にどきどきと、もう一度あの昂揚感に包まれたいと噛みしめた思い出です。
この恋は賢しい空蝉に源氏が負けるように終わったものなので、何年経っても色褪せずに懐かしく思われるのでしょうか。

空蝉は心裡ではたしかに源氏に恋をしていました。
彼女が言葉に出さずに詠んだ歌の数々にはその恋心が滲み出たものばかり。
しかし人妻ゆえにそれは表には出せないものです。何より軽く靡いて分別のないつまらぬ女のように思われるのも辛く、せめて潔く冷たくあしらって憎まれるほうがふとした折に思い返してもらえるようで、それこそ自分には分相応であると諦めました。
そして恋い慕っているからこそ、彼女は執拗な源氏の手から鮮やかに逃げ遂せてみせたのです。
あの瞬間は源氏の胸に鮮烈に焼き付き、きっと忘れられることはない、と空蝉は誇りを持っております。そうして、かの君の想いのなかにずっと棲みつづけることができるのならば、悔いはないと思い切りました。

桐壺院が崩御された翌年、空蝉は夫に伴われて任国へ下ることとなりました。
伊予の介であった夫は常陸の国司に任命されました。
空蝉はいつでも源氏を想っていたもので、この頃の政治の変わり目に君の身に何も起こらなければよいが、と案じておりましたが、一介の受領の妻ではどうすることもできません。
常陸の介には息子が二人おり、長男は紀の守、次男は右近の将監(ぞう)といって、次男の方は賀茂の祭りの際に源氏の供をしたことからお側に仕えるようになっておりました。あの須磨・明石にも付き従った忠臣です。
今一人小君と言われた空蝉の弟も源氏に引き立ててもらっている身でしたが、源氏が都を退去するにあたり、その渦に巻き込まれぬよう密かに姉のいる常陸に下ったのです。
空蝉は小君と常陸の国にやってきて、初めて自分の不安が的中したことを風の噂で知りました。
右近の将監は源氏の側近と見做され、官位を剥奪されました。
この若者は源氏を慕っていたので、どこまでも君に従おうと共に須磨・明石までも放浪したのです。
それから三年近くの時が経ち、遠い常陸の国で源氏が復権されたことを聞いた空蝉の安堵といったら、やはり神仏はあの御方を見捨てられなかった、と人知れず天に感謝の念を奉げたのでした。
長い任期を終え、常陸の介一家は帰京することとなりました。
やはり都に戻れるとなると、女房達のみならず空蝉の心も明るく晴れやかになるものです。
装束を新調してにぎにぎしく旅立つことにしましたが、心はすでに京に飛んでいるようで、女達のうれしさでかしましいこと。
常陸の介もそんな騒ぎを目尻をたらして眺めているのです。
一行が逢坂の関に入るその日はちょうど源氏が石山寺に御願成就の御礼に詣でる日でした。
父である常陸の介を迎えに京から来ていた河内守(以前の紀の守)は、源氏の行列を阻まぬよう常陸の介一行にその旨を伝えておきました。
それは一大事と源氏の君の行列を阻まぬように夜明け前に出立した一行ですが、牛車の歩みというのはただでさえ遅々として、道が平坦ではないのでゆらりゆらり右に左にと、なかなか進みません。加えて大所帯のうえに女車を何両も連ねての旅路で予定よりも大幅に遅れがでました。
日は高く昇り、打出の浜に辿り着く頃には、すぐ近くの粟田山に源氏に君が差し掛かっていると前駆の者が報せにやってきました。
「なんと、君に道をお譲りしたいが、どこか拓けた場所はないものか」
常陸の介はたいそう慌てて、この辺りに詳しい者に問いました。
そうして逢坂の関山で馬を下り、女車も牛を外して木立の下に控えさせていると、向かいから源氏の華々しい大行列が近づいてきました。

次のお話はこちら・・・

ママ:「平安貴族は牛車で優雅に大路を行き来していたんだって」
オシリス:「牛さんも大変ですねぇ・・・」

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愛猫オシリス


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