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紫がたり 令和源氏物語 第四十三話 紅葉賀(二)

 紅葉賀(二)

盛況のうちに試楽は終わり、本番の行幸はどれほど素晴らしいものになろうかと、貴族たちは興奮冷めやらぬ様子で、御所を退出して行きます。
連れだって笛を吹きながら車に乗り込み、まだまだ酒が飲み足りないと、宴の続きを我が家で、といった具合に公達たちは三々五々秋の宵に消えて行きました。

帝は大層ご機嫌がよろしく、藤壺の宮を御座所に留めおかれます。
「今日の試楽はいかがでしたか?」
「それは素晴らしゅうございました。これほどの催しは生涯のなかでも拝見できるかどうか」
「うむ。当日は後世に語り継がれるほどのものとなりましょう。それにつけても、やはり源氏の『青海波』の秀逸なことにすべてが尽きるというものですが、相手を務められるとすれば頭中将以外はなかったことでしょうね。さすが名門の若君というのは所作が優れています。また、身分の隔てなく優れた見所のある若人が頭角を表わすのも頼もしいこと、と面白く思いましたよ」
仕方なきこととて、お主上の口から源氏の名が出てくるのは辛いこと。しかし、帝は大きな目で実りある人材を見出したのを心から喜ばれておられるようで、そこが国主たる懐の大きさか。
源氏の君に関しては宮は胸が詰まるような思いで、
「格別にそのように思われました」
そう伏し目がちに答えられました。
慎ましくも、本当のところは目を合わせてしまえば、人の心の機微をよくご存知のお主上に心裡を見透かされるのではないかと穏やかではいられないのです。

翌朝、源氏から宮の元へ歌が届けられました。

 物思ふ立ち舞ふべくもあらぬ身の
      袖うちふりし心知りきや
(あなたを想う煩悶で舞うこともできないこの身で、あなたの心を引き寄せたいと必死に袖を振っておりましたが、その私の気持ちをあなたはご存知ないのでしょう)

宮はこれまで源氏から文をもらっても返すことを自重しておられましたが、あの素晴らしい舞い姿を思い返され、この歌にも大きく心を揺さぶられます。
この時代では“袖を振る”ことで愛する人の魂を側に引き寄せることができると信じられておりました。
源氏の宮を恋い慕う心がにじみでているこの歌に、ご自分も同じ想いであることを秘めながら筆をとらずにはいられなかったのでしょう。

 からひとの袖ふることは遠けれど
    立ちゐにつけてあはれとは見き 大方には

「青海波」は唐から伝わったので、そのことを踏まえつつ、宮は一通りではなく素晴らしく鑑賞いたしました、と返事を送られたのです。
いくら歌を贈り続けてもなかなかお返事をくださらない宮のお手紙は、恋心が詠んである歌ではありませんでしたが、源氏は宮の聡明さと嗜みの深さ、そして懐かしい手跡に、人知れず涙をこぼしました。
ほんのりと薫る香は宮が常日頃からご愛用されているものに間違いありません。
源氏はかの人を抱きしめる想いで、その手紙をそっと抱きしめました。
そうして秘密の場所に文をしまいました。それはまるで己の恋心を封印しようと試みるが如く。而してそのようなことなどありはしないのに、と自嘲の笑みを浮かべるのでした。

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