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紫がたり 令和源氏物語 第五十一話 紅葉賀(十)

 紅葉賀(十)

さて、闇に身を潜めて、源氏が源典侍(げんのないしのすけ)の元に泊まるのをじっと見つめている者がおりました。
またもや頭の中将です。
『末摘花』の章でも書きましたが、この頭中将という人は葵の上の兄で源氏の親友でもあり、常日頃から女性関係がだらしないと源氏に窘められていたので、源氏の忍び歩きの現場を押えられたことが嬉しくて仕方がないのでした。
これを利用せずして仕返しする機会はそうそうあるまい、と夜半になるまで物陰で息を殺して好機を窺っておりました。

そのうちに渡る風がひんやりとしてきて、二人が寝静まった頃合いを見計らい、そうっと部屋へ忍び入りました。
源氏は闇を探るように近づいて来る人の気配に気付き、さてはこの典侍に想いをかけていまだ言い寄っているという修理の大夫(すりのかみ)でも来たかと察し、大夫もかなり年配の御仁なので、見咎められるのもみっともないこと、と思いました。
「やれやれ、あなたには騙されました。他に来る者があるのに素知らぬ顔で私を誘うなんてルール違反ではありませんか」
そう典侍に恨めしそうにつぶやいて屏風の後ろに隠れました。

そのままこの場を去りたい気持ちでいっぱいですが、冠を歪めてしどけない姿で逃げ去るのもさらにみっともないと、侵入者をやり過ごそうとしたのですが、事情を知り、源氏をやりこめたい頭中将がそれを許すはずもありません。
源氏が隠れた屏風をわざと荒々しく引き倒して、どたどたと足を踏み鳴らして怒っている男を大げさに演じております。
しまいには太刀をすらりと抜き放ったので、さすがに修羅場を何度も経験している典侍でも気が気ではありません。
「あなた、おやめになって」
おばば殿が手をすり合わせて拝む姿が可笑しくて、中将はもう吹き出しそうです。
普段は取り繕って男を誘うおばば殿が、取り乱してただの老女にしか見えないのが苦々しい。自分が老女という自覚もなく、自分の為に男が争っていると本当に信じているならば「年甲斐もない」というのはまさにこうした体であるかと滑稽でなりません。今風で言えば『イタい』の一言に尽きるでしょう。

太刀など抜いて大げさにしているところがかえってわざとらしく、源氏はすぐにこれが頭中将だと見抜きました。
笑みを浮かべているであろう太刀を持つ中将の手をきゅっとつねると、さすがにこらえらきれず、中将は大笑いをしてしまいました。
源氏もつられて笑い出し、
「まったく君は悪ふざけが過ぎるぞ」
と直衣を着ようとすると、
「そのしどけないお姿はめったに拝めませんから、着させませんよ」
などと、源氏の直衣を離そうとしないので、袖が破れてしまいました。
「では、ご一緒にいかが」
源氏もふざけて中将の帯を解いて直衣を脱がそうとしました。

一時は太刀まで抜いてどうなることかと肝を冷やした典侍ですが、二人の若く美しい貴公子たちがじゃれあっているのを見て、急に気が抜けてしまって足腰もなよなよと、十歳も老けたようにげんなりとしてしまいました。
そんな典侍をよそに、

「中将、まったく君の執念には恐れ入るよ」

「源氏の君こそ此度のことで、私だけを悪者にはできまいな。浮気の友ですぞ」

互いに顔を見合わせて笑いあい、一番鶏の声が聞こえると源氏と頭中将は仲良く連れだって帰っていきました。

後に残された源典侍は、何が何やらわからず、腰が抜けたまま呆然としておりました。しかし、元々ポジティブな女人なので、私の罪深さが若い二人の貴公子を翻弄してしまった、などと悲劇のヒロインばりに酔いしれているのでした。

次のお話はこちら・・・


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